天は禍福を与え、人は禍福を配する
しとしとと、雨が降っていた。
「……屍」
優しい慈雨の中で、少年は濡れそぼっていく。
「……屍」
その視線の先には、赤黒い水溜りがあった。
水面に浮かび上がっている澄んだ瞳は、曇り空をくっきりと映している。
頭、腕、胴、足。
大雑把に放り出されている人体の部品は、あまりにも数が多すぎて赤と黒が混じった山のようだった。
コレだけの死体の山を前にしてみれば、所詮、人間は肉塊に過ぎぬのだと誰しも気がつくことになる。
ずぶ濡れになった死体漁りが、じゃぶじゃぶと血と臓物の溜まりを歩きながら服や髪を剥ぎ取っている。彼ら、彼女らは、時折、歓声を上げながら戦利品を小脇に抱えて、質の良い小太刀を巡って殺し合いを繰り広げていた。
「屍」
ようやく。
カバネは、緩慢な動きで顔を上げる。
星は、歪んだ顔で彼へと必死に訴えかける。
「死んでるよ」
彼は、ぼんやりと彼女を眺める。
「死んでる……もう、死んでるよ……」
「でも、あの子じゃァない」
ぼそりと、夭はそうつぶやいて、セイは勢いよく振り向く。
「ヨウッ!!」
微動だにしないカバネを見つめ、膝まで血に浸かったセイは首を振る。
「あたしだって……あたしだって信じたいよ……でも……でも、生きてるわけがない……魔人の魔の手から逃れられる人間はいない……アレは、災禍だよ……人間が敵うものじゃない……諦めるしか……ないじゃん……」
「……だが、死体はなかった」
カバネの乾いた声音を受け、セイは声を張り上げる。
「わかるわけないでしょ!? 同じような背丈の子供の死体は幾らでも転がってて、顔面が潰れるか剥がれて判別がつかないのは幾百もあった!! ひとつひとつ、頭と胴を繋ぎ合わせてあの子を探すつもり!?」
「鬼門を抜けて、幽世の妖魅に救われているかもしれなィ……」
「ねぇ、お願い、ヨウ。冷静に考えてよ。ココに鬼門なんてひとつもなかった。ヨウみたいに鬼門を抜けて、しかも、その先にいた龍に助けられるなんて奇跡は万にひとつもないんだよ」
「…………」
龍に育てられた子供は、シューシューと音を立てながら押し黙る。
そっと、セイはカバネの肩に触れる。
「カバネ、戻ろう。日が暮れて妖魅が出てくる。魔人が出たとなれば、検非違使も来るかも。このままココにいたら全員死ぬことになる」
カランカランと、音が鳴る。
あの子が遊んでいる姿が、くっきりと脳裏に映し出されて――カバネは、乾き切った唇を震わせる。
「生きている」
カバネは、小さな幼子の瞳を覗き込みながら言った。
「きっと、おれの妹は生きている。赤ん坊の頃、拾った時のあの子が纏っていた着物は高値のものだった。貴族だ。あの子の親は貴族に違いない。やんどころなき事情により、捨てざるを得なかったのだろう。どこぞの姫君で、今は、平安京で平穏に暮らしているのかもしれない」
「……カバネ」
「救われたのだ。救われて生きているに違いない。あの子の死体だけがないわけがない。そも、おかしかったのだ。なぜ、魔人が斯様な村を襲う。なにもない村だ。必ず。必ず、なにか理由があるに違いない。そう、そうだ、そうに違いない」
――あにさまぁ
にっこりと、笑う妹の姿を昨日のことのように思い出す。
抜けてしまった前歯を見せつけながら、くしゃりと顔をつぶして笑う姿はとても可愛らしかった。
――あにさまに、あーのわけてあげる!
名付けの前だった。
だから、名無しのあの子は自分のことを『あー』と呼んだ。
カバネが与えた物を大事にしていて、いつも、自分の飯の半分をカバネに分け与えようとする優しい子だった。
相手が誰であろうとも、助けて救おうとするような子だった。
なによりも、大事にしていたカバネの――たったひとつの宝物だった。
「……おれたちには、血の繋がりはない」
ぼそりと、カバネはつぶやく。
「だが、おれたちは……おれたちは家族だ……血の繋がりなどなくても、ハッキリと縁は結ばれている……生まれ落ちた時に奪われたものを……生き着いた先でも奪われてたまるか……強かに……強かにならなければ……平安京……平安京に上る……そして、氏を賜り……あの子を見つけ、家族を笑顔にして……いつまでも……いつまでも、幸せに生きるのだ……そうだ……そうしなければ……そうしなければ、帳尻が……帳尻が……合わない……」
蛆が這い回る幼子の目玉へと、カバネは笑いながら誓いを立てる。
「我らは道具ではない……どうでも良い国や世のために、使い潰される道具であってたまるか……おれは、屍にはならん……あの子も……ヨウも……セイも……おれが……おれが必ず……必ずや……正しい名をつけて……そして……」
ゆっくりと、カバネの前で幼子の死骸は血と臓物の池に沈む。
「他の奴らが味わった幸福を啜ってやる」
「カバネ様?」
俺と陽が眺めている前で、急に動かなくなったカバネはハッと顔を上げる。
「カバネ様、如何なさいましたか?」
「いえ、失礼、考え事を」
急にフリーズしたから、耐用年数超過したかと思ったわ。
ヒヤヒヤしていた俺の横で、正座して押し黙っているレイは興味なさそうに外へと目を向ける。
「……一雨、来そうですね」
その宣言通り。
ぽつぽつと、雨が降り始める。
「ヨウ様とセイ様、遅くなっておりまする。如何なさったのでしょうか。カバネ様を置いて、ふたりでお出かけとは珍しいことで」
「……陽様」
姿勢を正して。
真っ直ぐに、陽を見つめたカバネはささやく。
「お願いしたい儀が」
「はぁ。どうなさったのですか、急に改まって」
「おれを」
カバネは、身を固くして言った。
「おれを……『兄様』と呼んでは頂けませんか?」
「それはなんというか」
ごほんと、陽は咳払いをする。
「気恥ずかしい願い。陽は、藤原の姫であるゆえ、そう簡単には他者を兄と呼ぶことは――」
「伏して、お願い奉る」
床に額をつけたカバネを見て、仰天した陽は正座したまま器用に跳躍する。
その様子を横目で捉え、レイは白けきった目でカバネを眺めていた。
「バカらしい。呼び名を変えたところで変わる関係などないというのに。私が燈色さんをお兄様と呼んだところで、遠縁は遠縁で民法上は結婚出来るままというのと同じことです」
「レイさん、ごめん、ちょっと今は黙っててくれる……?」
珍しく。
陽はうんうん唸ってから、ごほごほと咳払いを繰り返し、ちらちらとカバネを窺いながら――頬を染めて俯く。
「…………ま」
ちらりと、陽は目線を上げた。
「あ、あにさま……」
その瞬間。
カバネは、今まで見せたことのなかったような優しい笑みを浮かべる。
「はい」
「い、いやしかし、コレは少々、幾ばくか、陽には似合わないといいまするか……き、気恥ずかしいといいまするか……」
「家族に恥を感じることはありません」
「家族……」
呆ける陽へと、カバネは切実な表情で問いかける。
「陽様、ひとつ伺いたいことが。
貴女は、魔神の手で藤原道長に受け渡される前、魔人に襲われたことがあっ――」
勢いよく。
戸が開いて、あばら家の中に見覚えのある姿が飛び込んでくる。
「カバネ」
血まみれのセイとヨウは、カバネを凝視してゆっくりとささやく。
「面倒なことになった」
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