錠と鍵、妹と兄
「払暁叙事の極意書の居所がわかった?」
そう報告した瞬間、陽は驚きで目を見張る。
「昨夜、姿が見受けられないとは思っておりましたが……出家ではなかったのですね」
「昨日まで、ニコニコ笑ってたヤツが急に帰依したら怖くない……?」
「いえ、別に」
「…………」
「別に」
喉から愛想を流し込んであげたい。
「陽様ぁ~?」
床座に正座している陽へと、じりじりと膝でにじり寄ってきた星はぽんぽんと彼女の頭を叩く。
「屍が狩りに行くらしいからLet’s同行しとく~?」
「いえ、陽は用向きが」
「はいは~い」
また、ぽんぽんと頭を叩いてから、セイは外へと出ていった。
その光景を眺めていた俺は、ハァハァと息を荒げながら血走った眼を陽に向ける。
「つ、付き合ってるんだろ……?」
「は?」
「あ、頭ぽんぽんって……あ、頭ぽんぽんってした……つ、付き合ってる……よ、陽とセイは好き同士……ら、ラブチュッチュッ……?」
「違――」
「無駄話はやめて話を戻すぞ。払暁叙事の極意書は、藤原家の本拠……東藤原殿の座敷牢に在る」
すかすかと。
両手を振り回した陽は、なぜか、俺の頭を殴ろうと躍起になる。
無意味な腕の回転を終えた彼女は、恨めしそうな眼をこちらに向けてから腰を下ろした。
「座敷牢……斯様な獄が藤原家に? それに、なぜ、座敷牢などに極意書を隠しているのですか?」
「一応、秘匿されてはいる。隠し通路だ。その先にある階段から地下にまで行かないと座敷牢には辿り着かない仕組みになってる」
「しかし、それでは」
「そう、その程度では防御措置として詰めが甘い」
俺は、指を振る。
「絶対に見つからない隠し通路や隠し部屋なんてものは存在しない。そこに空間がある以上、風の通りや壁からの反響、継ぎ目やホコリの積もり方といった情報から露見する。であるならば、露見した後の防御措置を考えて実行にまで移していると考えるのが自然だ」
俺は、口を噤んだ陽の前で持論を語った。
「藤原家にとって、払暁叙事の極意書は機密情報……陽、お前なら、自分の命を賭してでも護りたい物があったらどうする?」
「隠します」
「そう、それが隠し通路とその先にある座敷牢だ。だが、それはいずれ誰かに見つかるだろう。見つかれば、お前の大切な物は奪われる。どうする?」
「……錠を」
ぽつりと、陽はつぶやく。
「錠をかけます」
「そうだ、錠をかける。だが、錠には鍵が必要だ。また、錠をかけたとしても、錠がかかったまま持ち出される可能性がある。どうする?」
「鍵を隠す……そして……」
自分で考えて、陽は結論を導く。
「錠がかかった物を『偽装』する」
「そうだ。極意書は偽装されていて、錠がかけられた上で鍵は隠されている。
偽装とは、辞書で引くと『ある事実をおおい隠すために、他の物事/状況を装うこと』とある。薄暗い座敷牢に厳重に錠がかかった金庫があれば、極意書を狙った賊や敵は直ぐにソレだと勘付くだろう。そうであるならば、藤原家は極意書を『座敷牢に在って当然の物』に偽装する」
ゆっくりと。
陽の両眼が押し広がって、薄く割り開かれた唇から言葉が漏れる。
「人間に……座敷牢に閉じ込めた人間に……極意書の内容を仕舞ったのですか……」
驚愕にあてられたまま、口元に手を当てた陽はぼそぼそとつぶやく。
「しかし……しかし、それでは『鍵』がありませぬ……賊や敵に脅されるなりすれば、極意書の情報を引き出される恐れがある……」
「その通り、だから、藤原家は極一部の人間……払暁叙事に纏わる藤原家の人間のみが得られる『鍵』を用意した」
「それは、どういうことでしょうか? 陽にはわかりませぬ。呪法で人間の脳を縛る? 斯様な呪法は聞いたことがありません。人間に錠をかけることは不可能です」
「わざわざ、錠をかける必要はない。藤原家は、生来から『錠』と『鍵』を持ち合わせている。よく考えろ。あまりにも都合よく『記録』が行える媒体を俺らは持ってるだろ」
俺は、自分の眼を二本の指で指した。
「藤原家は、『払暁叙事』に極意書を記録した」
愕然と。
開示された盲点を捉えた陽は、ぶるりと身を震わせて俺を凝視する。
「三界三世の魔眼……現在、まさに式神さんが行っていること……魔眼は血統を基にした相伝……払暁叙事に蓄えられているのは、藤原家の『血』に蓄えられた記憶……そうであるならば、払暁叙事を開眼していない人間は決して視ることが出来ない……式神さん、あなた様は……」
ふたつの目玉が、戸惑うようにして俺を捉える。
「たったの一夜で、陽すらも知らぬ藤原家最大の謎を紐解いてしまったのですか……ただ、座敷牢を一目視てきただけで……解き明かしたというのですか……」
「いぇい」
笑いながら、俺はぶんぶんとダブルピースを振り回す。
「いぇい、いぇい、いぇい」
「…………」
「いぇい、いぇい、いぇい」
「…………」
「いぇい、いぇい、いぇい」
「…………」
すっと、真顔になった俺は口を開く。
「恐らく、藤原家は常に『記録媒体』を座敷牢に閉じ込めてきたんだろうな。三条家の血筋を持つ厄介者を騙して連れ込み、一筋の光も差さない地下で廃人化させるのがベストだ。余計な口を利かなくなる道具として扱えるからな」
「しかし、廃人化した人間はものを解さず、こちらに合わせて払暁叙事を開かないのでは……?」
「払暁叙事の強制開眼の引き金は、『強烈な感情の惹起』……閉じ込められていた人間の身体は、『人の形を保った肉』としか形容出来なかった」
「…………」
――幼少の頃合いで記憶にないかもしれませんが、かつて、貴方もココで一時を過ごしたことがある
三条家の自衛頭が言っていた言葉を思い出す。
――当代様の鶴の一声がなければ、今でもこの暗中に沈んだまま浮き上がってこれなかったかもしれない
恐らく、三条燈色にも同様の結末を迎える可能性があった。
藤原家が考案した、この保全策は完璧に近い。
十中八九、俺が生きる現代にまで、この悪しき伝統は引き継がれているだろう。さすがに、あの座敷牢は使われていないだろうが、現代でも三条家は魔眼隠しの人体を飼っている筈だ。
「どこで人に見られるかわからないからな。開眼している藤原家同士で、顔と顔を突き合わせて極意書の情報を引き出すような真似は難しい。だが、秘匿されている隠し通路の先にある座敷牢であれば、人目や時間を気にせずに情報を得られる」
「しかし、式神さん」
尊敬の念が籠もった眼差しを向けて、陽は尋ねてくる。
「極意書の内容を参照するにしても、払暁叙事に記録された内容量はあまりにも膨大過ぎるのでは? こう、なんというか、こう、選定しなければ」
一生懸命、陽は指先で情報をつまむイメージを体現してみせる。
「そうだ、払暁叙事に記録された極意書の情報を抜き取る方法を知る必要がある。
そして、その方法は、恐らく――」
俺は、ささやく。
「藤原黎が知っている」
書籍版、第4巻、無事に発売いたしました。
既にいくつか感想も頂いており、本当に有り難いです……いつも、応援、ありがとうございます。




