幸運の女神は、無限に憑いている
平安京左京――東三条殿。
中央にある寝殿を中心にして、南側には南庭と池で囲まれた中島があり、東西と北側には渡殿で繋がれた対屋がある。
東中門から入った俺は、寝殿を確認してから渡殿を通って北対屋へ。東対屋、西対屋と見回ってから、東西の釣殿まで確認し、中島にまで行ってから寝殿前にまで戻ってくる。
「深夜の散歩にしては趣味が悪いな」
俺の後ろに付き従うアルスハリヤは、あくびをする。
「東三条殿……藤原の本拠なんて見て回ったところで得られるものなどないだろうに」
「なにが目当てかなんて、お前ならわかってるだろ」
「払暁叙事の極意書、か」
俺は、アルスハリヤの両目に指を突っ込む。
「君の可愛い妹が、混浴中に『関連資料は本邸の大金庫に仕舞われていて』と零していたからな。藤原陽が自然開眼に成功していないこの時代、藤原どもが『極意』などと吹聴するようなものなどたかが知れてるとは思うがね。
いやぁ、しかし、懐かしいね。君と妹の混浴パーティーは、クリス・エッセ・アイズベルトと殺り合う前の話か……追憶の最中に聞きたいんだが、なんで、僕の両目に指を突っ込んでる?」
「あの時の復讐だッ!!」
「君だろ。自分で自分の目を潰そうとしたアホは君だ」
俺は、アルスハリヤの目から指を引き抜く。
足を組んだまま、ふよふよと浮遊しているアルスハリヤは肩をすくめて苦笑した。
「やれやれ、ようやく自分の生命を重視するようになったか。映画館の画面に映り込んだ藤原陽にまで入れ込み始めたからどうしようかと思ったよ」
「生きてる人間を重視してなにがわりーんだよ」
「『生きてた』、だ。履き違えるなよ」
アルスハリヤは、俺の胸の中心に指を突きつける。
「忘れるなよ、コレはすべて『終わった出来事』だ。払暁叙事に残っていた記録の残滓に過ぎない。リアルタイムの上映期間は、とっくの昔に過ぎ去ったリバイバルなんだよ。自分が今地獄に落ちている最中で、ライゼリュートに『平行時空仮構論』を使わせなければ、生へと繋がる道は閉ざされるということを理解しろ」
「テメェに、ご指導ご鞭撻されなくてもわかってる」
「いや、わかってない」
水蒸気を吹かしながら、アルスハリヤは俺の胸を突く。
「いい加減、理解しろ。理解しろよ、ヒーロくん。僕たちは、かつてない程に追い詰められている。後手に回っている。黒幕の手のひらの上なんだよ。君が現状を正しく理解出来ているのであれば、あんな藤原陽に遊◯王OCGを教え始めるわけがないんだ」
「いや、でも、初期であれば誘発とかないしソリティアも発生しないしエクストラデッキとかも……」
「やかましい、誰も習得難易度になんて言及してないんだよ。現状を理解出来ているというのであれば、僕らが狙っている最終到達地点を述べてみろ」
記憶を探りながら、俺は口を開く。
「ライゼリュートの『平行時空仮構論』は、『対象』を平行世界へと移動させる権能だ。この権能は、量子的な重ね合わせ(量子世界では、粒子が同時に二つの場所に存在するということが起こり得る=状態が確率的に共存している)の状態が、干渉性を失う度に世界が分岐していくという理論……エヴェレットの多世界解釈を基にしている。この解釈によれば、『世界』とはマクロなレベルで現れる近似的な存在であり、世界の分岐は『観測』によって無限に発生する」
「仰る通り、波動関数が実在していると定義した場合の理論。有名所で言えば、『シュレディンガーの猫』だな」
アルスハリヤは、パチパチと指を鳴らしながら続きをせがむ。
殴りたい衝動を嚥下しながら、俺は、煽り顔の魔人へとスピーチを続ける。
「現在の素粒子理論は、量子場が空間全体を満たしていることが前提になっている。空間が量子化されていると考えた場合、空間は地下鉄の駅のような節が繋がりあったネットワークだとも考えられる。この考え方によれば、空間とは節同士のただの関係性に過ぎない。波動関数は、この節が見つかる確率を示している」
俺は、すらすらと開発者ブログに記載されていた『設定』を読み上げた。
「ライゼリュートは、この世界を空間と捉えて『節』と『節』同士を繋ぎ合わせ『道』を創ることができる」
「いやはや、素敵だね。あたかも、台本を読み上げるかのようなセリフ回し。まるで、ヤツを崇拝するファンボーイを気取っているみたいじゃあないか」
アルスハリヤは、口角を上げる。
「仰るとおり、ヤツは自分にとって都合の良い世界へと移動する。傍から見れば、それはまるで、幾度となく幸運のミルク色で己の行き先を染め上げているようにも見える。当たり前の話だ。自分だけに微笑む幸運の女神がいる世界へと、自身を運んでいるだけの話なのだから」
魔人は煙を吐いて――白色に包まれる。
「ライゼリュートには、幸運の女神が無限に憑いている」
押し黙る俺の前で、彼女の腕に纏わりついた煙が筋を描いて、ゆっくりと広がりながら分かたれる。
「エヴェレットの多世界解釈……常識的な見地からすれば『実にバカげているトンデモ理論』であり、実験や観測による判定が出来ない時点で『科学』ではなく『哲学』の分野に入る」
「だが」
「そう、だが――魔神に象られた魔人に、この世の理は通じない」
――理の外におるな?
俺は、言葉を思い出す。
――魔神様、そこにいらっしゃったんですか
有り得ないと思いながらも思い出す。
「……俺たちが朧車に乗った時、昼夜が逆転していたのは」
「『運ばれた』んだ。ライゼリュートの権能によって」
「あの時点で、ライゼリュートはこうなる世界へと俺たちを移動させていた。だから、お前は俺に会敵するなと忠告していた」
「そこまでわかっているなら上出来だ。さすが、僕のヒーロくん」
「…………」
「吐くな。記録の世界の中まで嘔吐物で汚すなよ」
片足で跳ねながら中島を繋ぐ橋の上を進み、右と左の分岐路に立ったアルスハリヤは笑む。
「だが、ヤツの権能も万能じゃあない。制限もある。そして、君は、唯一無二の対抗手段をその身体で握っている」
「……払暁叙事か」
「そうだ。払暁叙事を自然開眼させることが出来れば――」
アルスハリヤは、自分の意志で右の橋を渡って対岸へと辿り着く。
「僕らは、僕らが生きている平行未来へと戻ることが出来る」
「払暁叙事は、三界三世の魔眼……世界の現在、過去、未来を捉える魔眼……この世界が記録された『過去』の世界であろうとも……」
俺は、眼で世界を捉える。
「ライゼリュートが権能を使った瞬間を『眼』で捉えれば固有魔法は発動する」
「素晴らしい。よおくわかっているじゃあないか。あの藤原陽の神懸かり法のお陰で、準備は十全に整っている」
拍手をしながら、橋の欄干を歩いてきたアルスハリヤは俺を見下ろす。
「自然開眼さえ成し遂げれば、後はライゼリュートに権能を使わせるだけだ」
「…………」
「使うぞ、ライゼリュートは」
愉しそうに、アルスハリヤは嗤う。
「ヤツは使う」
欄干に上った俺は、無言でアルスハリヤを突き落とす。
溺れている頭を踏んづけて溺死したのを確認してから、ぷかぷかと漂う溺死体を押して遠ざけた。
「さて」
ぱっと。
現れたアルスハリヤは、後ろから俺に抱きついてきて耳打ちする。
「探そうじゃあないか……僕らが共に生きるための道を」
「…………」
「だから、吐くなって。殴れよ、僕を。コミュニケーションを大事にしろコミュニケーションを」
お望み通り、頭から地面に叩きつけたアルスハリヤを土葬してから捜索を再開する。
数時間後。
邸宅を端から端まで探しても払暁叙事の極意書は見つからず、がむしゃらに探し回っても無意味だと悟った俺は脳を回した。
「…………」
数分間、脳内で描いた間取り図を眺めて――閃く。
「……同じだ」
「なにが?」
アルスハリヤの問いには答えず、俺は、奥へ奥へと進んでいき――壁の前で止まる。
「…………」
実体を持たない俺は、壁をすり抜けてその先にある隠し通路を進む。勾配のきつい階段を下りていくと、付いてきているアルスハリヤが口笛を鳴らした。
「おいおい、観察力が頭ひとつ抜けてるな。なるほど、未来の三条家本邸と間取りが同じなのか。君が君の妹に捕まりそうになった時、三条家の自衛頭が誘った経路と同じ。
つまり、この先は――」
暗がりの奥に潜む木製の格子、錠前がかかった出入り口、四畳半ほどの大きさの座敷。
座敷牢。
なにかうめき声を上げている半壊している人体が、隅の方で丸まってしきりに黒ずんだ肌同士を擦り合わせている。端の欠けた椀をしきりに指先で引っ掻いて、飯を強請る猫のようにカランカランと音を立てていた。
こちらを見ている半壊した人体は、ぼうっと緋色の両眼をこちらに向けている。
俺は、周囲を観察してから結論づける。
「アレが極意書だ」
俺が指差す先を見て、アルスハリヤは首を傾げる。
「地面? 地下に部屋があるのか?」
「違う」
俺は、隅に転がる人体を指してつぶやく。
「人間が極意書だ」
カランカランと――椀が鳴った。
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