求み、乞ふ
水は流れる。
物資の運搬用として、左京と右京それぞれに掘られた運河。
右京での運河に位置する西堀川、その川に沿って作られた小路を歩きながら、陽と屍は主人と従者の体を保っていた。
「…………」
背後の屍が隠し持つ鉈を注視した俺は、その抜身が放たれた途端に行動を起こせるように脚と腕を蠢かした。
いざという時には、強制開眼するように陽には伝えている。
屍、夭、星たちによる談合の内容……陽を傀儡として成り上がる、要は『陽のことを道具としてしか見ておらず、利と不利を天秤にかけた際に陽を切り捨てる可能性』も事前に伝えているが、彼女は『必要ありませんよ』と答えた。
奇襲をかけられても対処出来るという意味なのか、それとも……。
「…………」
相変わらず、俺の背後を付いて回るレイが意識を取り戻す様子はない。
このまま、俺が『ライゼリュートの権能を使用して、俺が生きている未来』を確定させることが出来なければ彼女の身も危うい。
「…………」
何があろうとも、レイのことは救わなければならない。
そして、レイが家族として慕っているスノウも……三条家に纏わる者を、誰一人として、俺は救い漏らさない。
――三人で撮りたいんです、どうしても。お願いします
アレで終わりにはさせてはいけない。
――やっと、思い出カメラがいっぱいになりました
思い出にさせてはいけない。
――宝物にします
これからの全てが、彼女の宝物になるように……俺は、全てを懸ける。
「それで?」
陽の声が聞こえて、俺は眼前に意識を戻した。
「御用事は?」
「…………」
ゆっくりと。
カバネは、鉈の握り手を握り込み――離した。
「何故、おれの手を払ったのですか?」
陽の光に照らされた堀川小路は、お世辞にも綺麗とは言えない景観を保っていた。
薄汚れた川沿いに集う蚊柱は、無意識下で陽とカバネが発している魔波を感じ取り、彼女らの進路から退いてはまた集うを繰り返している。
「貴方の自尊を傷つけましたか?」
目を伏せたカバネは、通り過ぎる牛車を見送る。
ぽつりと。
髪房から零れ落ちた雨粒のように、カバネは言葉を溢した。
「……何もかもは救えません」
「はい、知っておりまする」
「では、何故、斯様な真似をしたのか。下手を打てば、貴女の首は今頃この川を流れ去っている」
「既にお答えいたしました」
すすすと、着物特有の可動域が限られた動きで陽は進む。
「陽は、『壱』を救える者ではないからです。わたくしは、払暁叙事の自然開眼のために用意された依代で、大切な『壱』をもっていないから『全』を救う他ない」
「貴女にも、『壱』がいるでしょう」
ぴたりと、陽は歩を止める。
そんな彼女へと、カバネは正答を投げかける。
「魔神」
「…………」
「何故」
カバネは、らしくもなく、情を入れて訴える。
「何故、まともに名も顔も縁も温もりも知らぬ者に縋るのですか……? それは、貴女の命取りになる……矛盾しているのだ、貴女は……魔神という『壱』があるのに『全』を救うと宣う……見知らぬ民草の命を救うことが、見知らぬ魔神のためになるわけがないでしょう……? 貴女は……貴女は、そのことをよく知っている筈だ……」
押し黙った陽へと、カバネは一歩踏み込む。
「貴女は……貴女は、自分に言い聞かせているだけだ……自分は道具だからと……道具で魔神の子だから、愛する術を知らないのだと……そう己を信じ込ませているから、大切な誰かを作ろうとはせず、その誰かになってくれるかもしれない他人を救おうと欲しているのだ……」
的を射ていると。
常に真顔を崩さない陽の顔面が、くしゃりと歪んだことが表していた。
「貴女の望みは……なんですか……?」
「払暁叙事の開――」
「違う。それは、藤原道長の望みだ」
堂々と、藤原の姫の前で『藤原道長』と呼び捨てたカバネへと、陽は驚愕の表情を向ける。
「おれは、貴女の未来を視たくなった」
カランカランと、その手から鉈が落ちる。
唯一の武器を捨てたカバネは、無手であることを見せつけてから口端を曲げる。
「最早、平安京はおれたちの手には負えない。この京は、あまりにもきな臭すぎる。六柱もの魔人が集っている時点で、貴女の首を代価に金銀を強請り、盗るものを盗ったら退散するべきだと判断している。三条家などという世迷言は捨てるべきだと全身が叫んでいる。
だが」
彼は、微笑む。
「この機を逃せば、その未来がないことも知っている」
「…………」
「貴女の」
カバネは、つぶやく。
「貴女の望みはなんだ?」
一歩。
二歩、三歩と。
陽は、後退り、逃げるように背を向けようとし――その退路を俺は塞いだ。
「陽」
怯えた表情で、彼女は俺を仰ぐ。
「言って良いんだ」
水面を求めて、喘ぐ魚のように。
彼女は、必死に、俺とカバネを見遣り……長い長い時間をかけてから、川の流れの音にかき消されてしまいそうな小声でささやく。
「……陽は」
震える唇で。
彼女は、自分の言葉を吐いた。
「かぞくが……家族がほしい……」
こわごわと、反応を窺うように彼女はカバネを見つめ俺を見上げる。
だから。
俺は、お手本代わりに笑って見せる。
ゆっくりと。
陽は、安堵したかのように――柔らかな笑みを浮かべた。
「陽は……家族が欲しい……」
カバネは、笑った。
「承知した」
茂みから、ヨウとセイが姿を表す。
藤原の使いと共に去った陽の背を見つめ、立ち尽くしているカバネへとセイは声をかける。
「ねぇ、作戦なんだよね……?」
「…………」
「陽様を絆して、利用するっていう作戦なんだよね……? だから、あんなこと言ったんだよね……ね、カバネ……?」
「…………」
押し黙るカバネへと、ヨウはそっとささやく。
「似てないぞ」
「…………」
「あの子とはァ、鼻の形が違う……あの子は、もっと、前額が広かった……声も癖も感じも……なにもかもが似ておらァん……」
「…………」
「陽様は、ただの童だァ……どこにでもいる子だよ……ただ……ただ、見知らぬ人を……救える者を、全て救おうとしていただけだ……あまりにも、人を殺しすぎた子はよくあぁなる……心の中の折り合いをつけるための英雄願望……殺した分だけ救って心の勘定をつけようとしているだけだ……」
「…………」
「あの子は、もう――」
「わかってる」
カバネは、ぽつりとつぶやく。
遠ざかる陽の背に憧憬を向けながら、唇を震わせた彼は言の葉を漏らす。
「わかってる……わかってるんだ……」
その背が消えるまで。
カバネは、じっと視線を注いだまま動かなかった。