露する胴、伏せる首
争いは止んだ。
崩れ落ちた清涼殿の下で払暁叙事を開眼していた俺は、陽の神懸かり法にて一時顕現して担った囮を終える。
アルスハリヤが霧刃で突いた時には、陽は既に魔眼を閉じており、俺の実体はそこに存在していなかった。
故に、アルスハリヤは存在しない『空』を突いた。
アルスハリヤの首を持ったヨウは、動きを止めていた七椿とライゼリュートを仰いで叫ぶ。
「諍いは、コレにて始末を!! 元凶の首はココに!! 相争う口火は消えました!!」
「はぁ~!? 意味がわからんわ、このへちゃむくれがぁ~!? 今更ァ!? 今更、興がノッた妾が止まると思ったら大違いじゃぞ~!? 止められるもんなら止めてみぃ!! 止められたら大したもんじゃわぁ!! 妾のこと止められたら、大したもんじゃわぁ!!」
「貴女様は、アルスハリヤを殺したかっただけでしょう? そうであるのならば、もう戦う理由はないのでは?」
「ホントじゃ……妾、止まっちゃった……」
急にテンションがガタ落ちした七椿は、しゅんっとしょぼくれて、肩を落としながら地上に下りてくる。
「ライゼリュート、貴女も」
「ンフーッ……フフッ……」
すぅーっと。
六臂の腕で、禅定印を結んだライゼリュートは、増えた腕を掻き消して陽の下へと戻る。
「これから、魔人アルスハリヤを封印いたしまする。それで落着を」
「おいおい、待て待て。ひとりで話を欄外にまで運ぶなよ、雌童。僕は、端から君の唯一の味方だぞ。この麗しい尊顔を見てみろ、悪業を働けるような美しさだと思うか?」
「陽、聞くな。封じろ」
自慢の髪を鷲掴みにされているアルスハリヤは、ブツブツと真言を唱え始めた陽に向かってささやく。
「魔神に会わせてやる」
ぴたりと。
陽は動作を止めて、俺は彼女の肩に手をかけようとし――すり抜ける。
「陽! 確実性のない戯言なんぞに耳を貸すな! ソレがこいつのやり口だ!!」
「……どうやって?」
「僕は、魔神が下りてくる場所と時期を知っている。僕を解放してくれるのならば、特別にその秘密を共有してやろう」
「陽!! ホントなんだって!! こいつ、嘘ばっかだから!! ホント、嘘ばっか!! この間だって、『駅前で雌同士が番で幸せそうに暮らしてるぞ!!』って言うから見に行ったら、雌のカブトムシが二体セットで販売されてるだけだったから!! お陰様で、その日の俺は甲チュー連写ユリキングだよ!!」
必死な俺の呼びかけには応えず、陽はじっとアルスハリヤに視線を注ぐ。
「僕は、今、安倍家の人間として高位にいる。名代の陰陽師として活躍し、天皇の覚えもよく、莫逆の友が潜んでいる。そんな絶頂期の最中で、出し抜けに、『藤原陽に加勢に行く』と書き置きした僕が姿を消せばどうなるかな?」
「……魔人との争いに巻き込まれて戦死したと伝えられる」
「いやぁ、脳が甘みで痺れるね」
アルスハリヤは、ニヤリと嗤う。
「『道具』の君は、責任を追求されるんだよ。何故、かの安部晴明を死なせてしまったのかと。まず間違いなく、藤原道長は君の資質について再考する。七椿ひとり仕留められず、安倍晴明をむざむざと死なせた君の愚行をじっくりと吟味する。ココまで時間をかけたのだから、打ち捨てられることはないだろうが何らかの罰はあるだろうね」
マズい。
そうは思うものの、既に術中にハマっている陽は行動を止めている。
「罰とは、当人が『傷』を負うものでなければならない……例えば、そうだな……君の護衛は、本当に三人も必要か……?」
数十メートル離れた箇所で。
こちらを見守っているカバネたちを見遣り、陽はアルスハリヤに眼を戻す。
「払暁叙事の強制開眼は、『強烈な感情の惹起』に依って引き起こる……自然開眼の起源もまた、その類いにあると考えてもおかしくはないだろう……君とあの三人が親しんできた時期に、道長はふと思いつく……そうだ、あの時の『罰』として、あの中のひとりを使って……」
「納得いたしました」
陽は、真顔でつぶやく。
「貴女様は、式神さんの仰られる通り……手始めに滅ぼさなければなりませぬ」
「首のまま値踏みされるのは初めての経験ではあるが、その評は実に光栄の至りではあるね。で、どうする?」
「……一時、貴女様を開放す――」
「必要なのは、肉体だけだろ」
そこで、ようやく、陽は俺の方を向いた。
「アルスハリヤの精神は必要ない。むしろ、玉ねぎの上端と下端くらい切り捨てるべき存在だ。丁度、そこに胴体が落ちてる。カバネが、代わりの頭も持っていた。だとすれば、答えはひとつしかないだろ」
陽と出会った際に、カバネが腰からぶら下げていたモノを思い出した陽は、ゆっくりと回答を提示する。
「……丁度、カバネ様が犬の頭を持っております」
彼女は、アルスハリヤの胴体を指す。
「胴体と接合し、犬神を執り行いまする。犬神憑きにした後、定刻、わたくしの都合の良いように使役する。式を使えば、犬の頭を貴女様の頭部と見せかけることは可能。ならば、貴女様が消えたことを悟られることもない」
「おいおい」
アルスハリヤは、爛々と両眼を輝かせる。
「君の背後にいる愉しいのはなんだ……紹介してくれよ……なんて、愉快なことを考える下衆だ……実に素晴らしい……!!」
「式神さん」
ぼそりと、陽はささやく。
「貴方様は……途方もない御人ですね……犬神を斯様に遣おうとは……道具のわたくしには思い当たることもなかった……」
「…………」
野良犬合体アルスハリヤを見て、爆笑しただけだったのになんか評価されてる……犬神とか知らんし……犬の首をくっつけて使役ってなにそれ……こわ……。
「な、なんと、よもや!! い、犬ゥ!! ま、魔人が犬とくっつけられて使役されるとは!! ほほほほほほーっ!! めちゃんこ脳に響くことを考えるわ、この小娘がぁーッ!! やれやれーッ!! 今直ぐ、やらんかーァッ!!」
「なぁ、藤原陽。犬神で僕の胴体を使役したとしても、首だけになったこちらの僕は何時でもしゃべれる」
魔人の生首は、陰の中で笑みを形作る。
「ふたりきりならば……何時でも、相談にのるよ……」
「…………」
陽は、微笑む首から眼を背けた。
「……陽ちゃァン」
ライゼリュートは、そっと、陽へと耳打ちする。
「な、七椿の間抜け、今なら、う、うちらを見逃しますよぉ……い、一時、撤退……ンフッ……しちゃいましょぉ……? そ、想定以上に、七椿は力を増してる……ヤツの存在証明……『饗宴』が近づいている証左ぁ……ンフフッ……う、うちと陽ちゃんでも荷が重いかもねぇ……べ、別の方法、模索した方が良きかもぉ……?」
「…………」
素直に聞き入れて。
騒いでいる七椿に応援されながら、陽はアルスハリヤの首と胴体を回収し、役目を果たすことなく平安宮を辞した。
その数日後、野良犬合体アルスハリヤが完成したタイミングで――
「……よろしいですか?」
腰後ろに鉈を隠したカバネは、陽への謁見を申し入れた。