道具の殺し方
瓦礫が飛来する。
首を傾けた陽は、己の頬を切り裂いた瓦礫を一顧だにせず、破壊に勤しむ三体の魔人へと踏み込み――手を取られる。
「貴女が進む必要はない」
己の歩みを止めた屍を見遣り、彼女は更に首を傾げる。
「人が死にます」
「人は死ぬものです」
陽は手を払い、再度、屍はその手を掴む。
「魔人は災害です。大嵐、颶風、雷雨、豪雪、澎湃と肩を並べる禍事だ。人間如きが止められる由もなく、人間如きに止められる権はない。ただ、呑まれて、去りゆくのを願うのです」
「貴方は、災禍に呑まれる民草を救わないと?」
「少なくとも、災禍に呑まれたおれたちを救った者などいなかった」
無言で、夭と星は陽を見つめる。
「ご安心召されよ。そう簡単に平安京は終わりませぬ。この地には、巣穴を愛でる蟻の如く陰陽師が集っている。天子様が有らせられるこの平安宮で、集った蟻たちが万が一のことを許すわけがない」
「貴方様は」
陽は、無表情でつぶやく。
「貴方様は『壱』を護る人なのですね」
燃える宮城が、朱と橙のとぐろを巻いて、グラデーションに包まれた彼女は紅の渦中でつぶやく。
「貴方にとっての『壱』は、ヨウ様とセイ様……己の有り様を懸けて、彼女らを護り通すと誓ったのでしょう。ソレ以上もソレ以下も護れないと識ったのでしょう。その心を捧げた先には、今も死んでゆく『他』が在ることはないのでしょう」
火の粉が。
ゆっくりと、ちらつきながら、流れ去ってゆく。
「陽は」
舞い散る火の粉に照らされた髪が、赤色に染まって黒ずんでゆく。
「陽は……『全』を救う者で在るしかない……もし、それが叶わぬ絵空事であったとしても……この世には存在しない理想であったとしても……己の無力を悔悟で慰める結果に終わったとしても……陽には……陽には『全』しかない……」
彼女は、不器用に口端を曲げる。
「道具のわたくしには、貴方のような『壱』がないのです……だから、名も顔も知らぬ『全』を救うために戦う……なんの軌跡も矜持も希望もなく、ただ、漫然と『全』を救い取る作業に勤しむ……この平安京が壊れれば、わたくしには存在価値がなくなる……だから、何時か、この眼が開くまで……変わることのない三界三世を見つめ続ける……」
震える唇を開いて、陽は初めて感情らしきものを覗かせる。
優しく。
尊いモノを撫で付けるようにして、視線が彼の輪郭をなぞった。
「羨ましい……」
彼女の情動が、ぽつりと垂れ落ちる。
「貴方様のその眼は……その肉は……その魂は……ひとつの世界を……たったひとつの大切な世界を……護るために在るのですね……」
呆然と。
目を見開いたカバネの手を払い除け、陽はゆっくりと前に進んだ。
「式神さん」
両眼を天に向けた陽は、俺へと呼びかける。
「あの魔人の中で、最初に殺すとすればどれですか?」
「アルスハリヤ」
「なぜ?」
俺は、真顔で彼女を見つめる。
「嫌いだから」
「…………」
「嫌いだから」
「…………」
「き、嫌いなんだもん……」
陽は、天に向けていた目線を俺に向ける。
「聞け、陽、コレは感情論じゃない。我が心が激推しする殺したいNo1は、変わることなくアルスハリヤではあるが、ソレ以上にアイツが最も厄介だということを知ってる。特に安倍晴明だと名乗ってるのがマズい」
「と、言うと?」
「アイツの口回りは才能だ。権能じゃないが特殊能力の類に入る。既に平安京の中心部にまで入り込んでいるとすれば、安倍晴明という人間のフリをして政治を掻き回すだろう。七椿はアホでライゼリュートはお前から離れられない。だとすれば、将来的に人間を最も殺すのはヤツだ」
「承知いたしました。では、ヤツを殺しまする」
「やったぁあ!!」
「…………」
前に踏み出した陽の前へと、俺は、慌てて回り込む。
「おいおいコラコラ、どこ行くつもりだ。真正面から虎穴に入らずんば虎子を得ないぞ」
「魔だろうが虎だろうが我が心が激推しする殺したいNo1だろうが、咒を当てなければ死にませぬ」
「頭、呪われてんのか? 咒を当てても、アイツらは死なねーよ。上手くいけば、便秘が解消される程度の効果しかない」
「腹に穴を空けられれば、多少の動きは封じられまする」
「考えろ、陽。お前は道具じゃない。自立する人間としての機能が備わってるなら、無駄死にで末節を汚すのはやめろ」
無表情で、陽は歩を止める。
「状況を見ろ、魔人は何体いる」
「参」
「こちらにとって、不利か有利か」
「不利」
「違う」
七色の光線が、俺の背中を掠める。
首のない王子様を抱いた七椿が、スポットライトを浴びながら大声で歌って、キラキラとしたエフェクトと共に空を流れてゆく。
「有利だ。何故かわかるか」
「…………」
「考えるのをやめるな。お前は強い。才能もある。だが、それだけじゃあ三体もの魔人には勝てない。なら、どうする。お前には何が出来て、なにが出来ないんだ。どうやって、お前は『全』を救う」
「…………」
ゆっくりと。
陽は、顔を上げて俺を見つめる。
「勝たない」
俺は、ニンマリと笑う。
「力の使われ方じゃなく、使い方を学んでみろ」
違和感。
安倍晴明は、言説を振りまき挑発を散じて欺瞞をばら撒き、まずは喧しい七椿を片付けようとしていたにもかかわらず……最も被弾しているのが己で、最も敗北に近づいているのが自分であることに気がついた。
何故だ。
久方ぶりに追い詰められる感覚を味わいながら、三つ巴の戦闘の鉄則――『己を含めた二者の攻撃を残りの一者に集める』が崩れていくことに疑問を覚え、アルスハリヤは思わずニヤニヤと嗤っていた。
何故、七椿とライゼリュートの攻撃が僕に集中している。ライゼリュートの阿呆の精神性は、出会った当初から掌握している。僕の言説に惑わされたヤツは、間違いなく、七椿を狙う筈だ。何故。
消し飛んだ右足を再生しながら、アルスハリヤは光線を弾き飛ばした。
「うぉおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおお!! コレが妾のぉおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおお!! 全・身・全・開ぃうんんんんんんんんんんんんんんんんんんんんんんんんんんんんんんんんんんんん!!」
「全身全霊だろ。全身開いてどうするんだ、君はアジの開きか」
死を司る魔人は、呆れながらも、追尾してくる光線を次々と煙で吹き消した。
逃げた先で、空間に線が入る。
その空洞から突き出てきた腕に腹を貫かれたアルスハリヤは、空中で足を組んだまま葉巻きから煙を吐き出した。
やはり、おかしい。
アルスハリヤは、愉悦感で肩を揺らしながら嗤う。
三体の魔人の諍いに、我が物顔で首を突っ込んできている『狂者』が居る。その上で、コイツは僕らを手玉に取ろうとしている。無傷のままで漁夫の利を得て、今晩の食卓に魔人の開きを並べようとしている。
居る筈だ。
星明かりを浴びながら、背を仰け反らせ、回避に徹したアルスハリヤは血走った眼をギョロつかせる。
どこかに。このどこかに。
イカれた強者が居る。
アルスハリヤは、生み出した死者の眼という眼を動員させて――ようやく見つける。
緋色。
崩れ落ちた清涼殿、その瓦礫の裡側で緋色の目玉が光る。
「……払暁叙事」
緋色、ということは強制開眼。この場の藤原は唯独り、つまり、藤原の姫君……陽姫の仕業か。
いよいよもって、アルスハリヤは愉しさを溢れさせる。
素晴らしい! 実に素晴らしい! 僭越ながらに、人間如きが魔人を殺すと企むか! そうだ、そうだ、その傲慢さこそが人間じゃあないか! 悪食と惰眠と交尾を貪るアリンコが! 複雑怪奇で迷宮じみたその精神が、正義が、理想が! ゆっくりと、綺麗に、ひしゃげる光景を魅せる前に見せる一瞬の煌めき!
恍惚として、アルスハリヤは己の顔に爪を立てる。
最善! 最善じゃあないか! 払暁叙事による最善手!! 藤原の魔眼で、七椿とライゼリュートの攻撃が僕に集中するという最善を『視た』のか!! 己は闘争の渦中には在らず、ただ、身を隠して視ていれば潰し合ってくれるというベストの選択!!
う、薄汚い……!
身を震わせる絶頂感に、アルスハリヤは形相をおぞましく変じさせる。
な、なんて、薄汚いんだ……素晴らしい……手段を選ばない殺意の塊……人間が人間らしく在るための作法を心得ている……騎士物語に憧れる阿呆共とはまるで異なる、正義や正攻や正当をかなぐり捨てた清純なる合理性……ッ!!
両眼を上に向けて、よだれを垂らしながら、宙を舞っていたアルスハリヤは、はて、と小首を傾げる。
しかし、コレは陽姫の感覚ではないなぁ……となると、裏に何かが居る……あの付き纏っている三人のガキ共にこの器量はない……気になる……気にはなるが……この段階に居る相手がこの程度の攻め手で満足するか……?
ニタニタと、魔人は嗤う。
コイツ、僕を『理解』しているなぁ……? 感覚的に、僕が陽姫に手を出せないことを知っている……この短時間で、僕が最も厄介な相手であり、最も手を出しても問題がない相手であることを既知に置いている……。
嗤いながら、アルスハリヤはステップを踏む。
降り注ぐ光線を相手に舞踏を踊りながら、彼女はくるくると回転する。
マズいなぁ、コイツ、将来的に僕を殺し得るぞ。この興味深さは危険だ。まぁしかし、そんなことは、僕にとって大した問題じゃあない。
アルスハリヤは、じっと、緋色の目玉を見つめる。
僕の愉しみのためには、ココで陽姫は殺しちゃあいけない。だがしかし、殺そうとしなければコイツはなんの反応も見せない。
ゆっくりと、口端が曲がる。
『興味』がある。『興味』が。僕を殺そうとしているコイツが、陽姫を殺そうとした僕に対して、どういう反応をするのか。
アルスハリヤは、一気に加速し――
「興味深さで、胃が落ち込みそうだ」
目にも止まらぬ速さで、霧の刃を緋色の眼へと突き立てた。
が、反動がない。
肉を刺したというフィードバックはなく、その手応えのなさに小首を傾げる。
「残念ながら、この場で払暁叙事を開けるものは――」
魔人が振り向いた先で、魔眼を閉じた陽姫の手から刀印護符が飛び――
「藤原だけではありませぬ」
アルスハリヤの首を飛ばした。




