過去視と未来視
「…………魔神?」
驚きで言葉を失ったのは、俺だけではなかった。
カバネ、ヨウ、セイもまた驚愕で腰を浮かせて、三人と対峙した陽姫はちらりと自分の胸に目線を向けた。
「……成程」
その目線を追ったアルスハリヤは、ニヤリと嗤う。
「どこか覚えがあると思えば……コイツ、あの時の雌か……成程成程、血の臭いに混じってわかりづらかったが、この鼻が捻じ曲がるような臭いは……くくくっ、ようやく、運命の女神が紡いだ糸の色が視えてきたな……」
「おい」
俺は、アルスハリヤを睨めつける。
「アルスハリヤ、お前、なにを知ってる……?」
「…………」
「アルスハリヤッ!」
玩具の煙草を咥えた魔人は、俺の怒声に水蒸気の煙を吹きかける。
「ヒーロくん、先に言っておこう。僕は、君の味方だ」
「……あ?」
「そして、僕は、君の本質を知っている」
「恋の駆け引きじゃねぇんだ、はぐらかさないで答えろ」
「たかが数十年、百と幾つか程度で死を迎え入れる君と違って、長き時を生きる僕は、恋の駆け引きどころか命の綱引きにおいても手練なんだ。人間は阿呆だから『知っていること』こそが武器だと思い込むが、事実はその逆、『知らないこと』こそが安穏と平穏を誘き寄せる素晴らしいエサなのさ」
唇の前で人差し指を立てたアルスハリヤは、ゆっくりと両眼を細める。
「忘れるなよ、ヒーロくん。誰がどう足掻こうとも、過ぎ去った時は戻らないんだ。故に、人生は美しく色づくのさ」
「…………」
なんだかんだ言って、生と死の境目に立たされたアルスハリヤが判断を間違えていたことはない。
だから、信じて良いのだろう。
信じて良い……筈だが……なんだ、この厭な感じは……ひとつひとつ、違和感が塗り重なり、何時しか真っ黒な破滅が完成していくような……。
「魔神から生み出された……つまり、陽様は魔人ということですか?」
思考に沈んでいた意識が、カバネの問いかけによって現実へと引き戻される。
「いえ、己の出自は知りませぬが、陽は魔神から道長様に渡された『道具』に過ぎません。只の人間の筈です。乳飲み子の頃、魔神の手から道長様に受け渡された時、魔神はわたくしに『ひいろ』を迎え入れるために必要だと言いました」
「緋色……」
カバネは、顔色を変える。
「払暁叙事……」
ヨウとセイは、両眼を見開いて陽姫を凝視する。
その小さな身体に視線を注がれた彼女は、美しい正座の姿勢を崩さずに目を伏せる。
「いえ、陽は払暁叙事の自然開眼に成功してはおりません。飽くまでも、アレは強制開眼。自然開眼を成し遂げるまでの間、陽は道長様の『娘』として飼われる必要があります」
そっと、陽は自身の目元を撫でる。
「払暁叙事は……この眼は呪われております……この眼を開くために、たくさんの命を奪いました……たくさんの不幸を呼び寄せました……陽は……陽は、こんなモノ潰してしまいたい……自分が真の人間であるかもわからない……わたくしは、ただの『眼』の容れ物にしか過ぎない……こんな人生になんの意味があるのでしょうか……」
「死ねないのですか」
まるで、そこに亀裂があるかのように。
藤原の陽姫は、自身の胸の中心に一文字を結んで微笑む。
「そう出来ないように細工されております」
「……失礼。少々、お暇を」
陽姫の許可を得て、カバネはヨウとセイを引き連れて表に出る。
粗末なあばら屋の前で、彼はふたりに眼を向ける。
「どう思う?」
「かわいそ~って思う! 殺してあげね?」
セイの素直な感想に、カバネは苦笑して応える。
「阿呆。殺したら元も子もない。払暁叙事の自然開眼は、藤原一門の悲願、斯様なことをすれば我々の首は河原行きだ」
「ならばァ、貴様、どうする?」
舌を巻いた蛇のように話すヨウは笑みを浮かべる。
「まず、『ネズミ』が言っていた『護衛』というのは表面上のものだろう。あの女に護衛など必要ない。我々なんぞより余程の手練れだ。ともすれば、この護衛の任には裏の理由が存在している」
「えへぇ~? うらぁ~? 自死の妨害とか~?」
「いや、自身で言っている通り、呪術か何かによる縛りであの女に自死は赦されていない。あの眼は、死人の眼だ。生き甲斐がない。故に、もし赦されていれば、あの女はとうの昔に命を絶っている」
「……では、裏とはァ? なんとする?」
カバネは、薄く笑む。
「贄だよ」
「……贄?」
「我々、三者を贄とした払暁叙事の自然開眼。それしか考えられん」
ヨウとセイは息を呑む。
「そも、道長から便りが来た時点で訝しんではいた。確かに、魔人の手から軽皇子陛下をお救いしたのは我らの高祖。指示を与えた藤原の手柄になったが故に、彼奴らは今や殿上人よ。その手柄を基に天皇に取り入ったヤツにしてみれば、わざわざ、かつての配下にその恩賞を分け与える筈がない」
「カバネみたいに、『軽皇子陛下を救ったのは、本当は我々の先祖だぞ~!』って乗っ取りを考えるヤツがいたら困るからでしょぉ~?」
「そうだ。あそこまで上り詰めた藤原の人間が、恩や情に絆されて、己が手で我らを呼び寄せるわけもない。何らかの『裏』があるのは必定」
「くくっ……ソレが、払暁叙事の贄とすることねェ……確かに確かに、呪法に携わる人間は良い贄になる……」
顎に手を当てたヨウは、ニヤニヤとしながら頷く。
「え~……だったら、やばいじゃん? 逃げた方がよくね~?」
「いや、違う、逆だ。コレは機だよ」
カバネは、腰にぶら下げた犬頭を入れた袋を叩いて――笑う。
「あの女を絆し、我らに引き入れ、藤原から払暁叙事の器を手に入れる。さすれば、我ら三条の敵はいなくなる」
「喰い返すのかァ?」
「左様。呪法の基礎よ。呪われたなら呪い返す」
楽しそうに、カバネは血塗れの手を振った。
その血しぶきは轍に落ちて、行く末を示すかのように赤く濁った。
「コレは、愉快な呪法の合戦だ。精々、後悔させてやろう。我らを侮ったことを。あの女を利用し、我らが天を戴く」
「……でも、それ、なんかかわいそ~じゃね?」
セイは顔を曇らせて、カバネは目を細める。
「可哀想?」
「だってさー、あの子、なんにも悪いことしてないじゃん。魔神とかいうわけわからんのに生み出されて、わけわかんないうちに人殺しさせられて、わけわかんない藤原だのあたしらから利用されちってさー。まるで道具じゃん。誰からも人として扱われず、心まで弄ばれてオシマイになんの? 酷くない?」
「まぁなァ……」
乗り気ではないセイとヨウを見て、カバネは真顔でつぶやく。
「だから、なんだ?」
言葉を失ったふたりの前で、カバネは朗々と語る。
「今更、なにを世迷い言を申す。人は道具だよ。知っているだろう。おれたちとて、同じことだ。人に自由意志があるとでも思っているのか。幾ら時代を経ようとも、人間の本質は道具だ。藤原が天皇から、我らが藤原から、陽姫が我らから……道具として使われている。なにも変わらん。幾千の時を経ようとも、人は上に立つ人間から道具として扱われているだろう。人間という生物が、自由を得る瞬間は訪れることはない。そう思い込んでいるだけだ」
「……なら、カバネにとってあたしたちは道具なの?」
「違う」
カバネは、澄み切った瞳で断言する。
「おれたちは家族だ。乳飲み子の頃から一緒だった。連れ添ってきた。おれは、お前たちのために命を費やす。だから、藤原も陽姫も道具として使う。お前たちを『雨』や『華』にするためだけに、この命を道具として使う」
どことなく子供っぽく、彼はニヤッと笑う。
「おれは、お前たちの道具だ。だが、お前たちはおれの道具ではない。ゆめゆめ、そのことを忘れるなよ」
「……まぁ、なら良いけどさぁ」
頬を染めてセイは石ころを蹴りつけ、ヨウは顔を伏せてモジモジとする。
その前で、カバネは真っ赤に染まった右手を握り込む。
「そうだ……おれは、それで良い……呪われたら呪い返すように……喪われたのなら取り返すだけだ……」
談合を終えたカバネたちは、家内へと入っていく。
取り残された俺とアルスハリヤは、必要もないのに潜めていた息を吐き出す。
「アルスハリヤ」
「あぁ。なかなか、シリアスな話だっ――」
「百合の気配が微塵もなくて吐きそう」
「おいおい……嘘だろ……今際の際に求めるなよ、そんなもの……百合に纏わる話しか、まともに聞けないのか君は……」
ドン引きしているアルスハリヤの前で、俺は、九鬼正宗の柄に手をかける。
「カバネを◯せば、あのふたりくっつくかな……」
「ほ、本気だ……本気だ、この男……」
音を立てて、戸が開く。
カバネたちとの折り合いがついたのか、姿を現したのは陽姫ひとりだった。
彼女は、しっかりと俺を捉える。
「少々、お時間を」
頷いて、俺は、彼女と連れ立って歩く。
「貴方様は?」
「俺は高校生百合好き、三条燈色。遠縁で血の繋がりがほぼない三条黎と遊園地に遊びに行って、百合ずくめの妄想に耽ってる己を自認した。妄想に耽るのに夢中になっていた俺は、背後から近づいてくる、シリアスパートに気づかなかっ――」
「今、なんと?」
「…………」
どこか身に覚えがあるキャンセルをかけられて、俺は、再度口を開いた。
「俺は高校生百合好き、三条燈色。遠縁で血の繋がりがほぼな――」
「なんと?」
「…………」
「…………」
「お――」
「なんと?」
「…………」
「…………」
その後、何度も試してみるも『俺の名前』を聞き取れなかった彼女は首を傾げるだけだった。
仕方なく、俺は、自身の名前を省略して現況を伝える。
「未来……? 払暁叙事に宿った記憶……? 斯様なことが……過去にいる陽と未来にいる貴方様がお話出来ている……過去、現在、未来……時間軸に左右されない魔眼……まさか、自然開眼が始まっている……?」
そこで、ようやく。
俺は、彼女のことを思い出した。
「…………あ」
――兄様を見ませんでしたか?
「あぁ!!」
――見つけてくれるんです、約束しました
「お、おま、お前!!」
――皆で……咲いた櫻を……櫻を見たかった
「OPを飛ばすタイプの幼女!!」
「……はぁ?」
シルフィエル、ワラキア、ハイネと共に三条家の本邸に急襲をかけた際、三条家の当主との談合を待っている時に、忽然と姿を現して唐突に姿を消してしまった謎の童女。
未来で逢った筈の彼女が、陽姫であることに気づいた俺は思わず声を震わせる。
「なんで、お前、平安時代に居るんだよ……! そのまんまじゃねぇか!! 瓜二つの子孫か何かか!?」
「なんだ、気づいてなかったのか」
俺は、呑気なアルスハリヤの襟首を掴み上げる。
「気づいてたなら言えや……!! どういうことだよ……!!」
「わかってるだろ、君と同じだよ」
アルスハリヤは、せせら笑った。
「彼女は、払暁叙事に蓄えられた『未来』を視ていた」
「……つまり、お前、それは」
画。
眼前の陽姫の胸の中心に縦の一画が走り、その境目から伸びでた両手が彼女の胸を掻き分けて――魔眼が覗く。
「やっほー」
蠱惑的な女の声。
「やっほー……やっほー……やっほー……やっほー……やっほー……やっほー……やっほー……やっほー……やっほー……やっほー……やっほー……やっほー……やっほー……やっほー……やっほー……やっほー……やっほー……やっほー……やっほー……やっほー……やっほー……やっほー……やっほー……やっほー……やっほー……」
その声音は、やまびことなって響き渡り――
「ンフフ、うち降臨」
血泥でずぶ濡れになった裸体が――
「ンフフ、うち降臨……ンフフ、うち降臨……ンフフ、うち降臨……ンフフ、うち降臨……ンフフ、うち降臨……ンフフ、うち降臨……ンフフ、うち降臨……ンフフ、うち降臨……ンフフ、うち降臨……ンフフ、うち降臨……ンフフ、うち降臨……ンフフ、うち降臨……」
幾百にも折り重なって、この地へと這いずり出た。
幾百もの人体、その名は唯一。
其の魔人、第二柱、画骸のライゼリュート。




