端境の彼女
幾ら時代が遷り変わろうとも、人は路を往く。
ウンチクを披露するのに忙しいアルスハリヤによれば、平安京の街路には『大路』と『小路』があり、大路は30メートル、小路は12メートルの道幅があるそうだ。
幅が狭い方の小路でも、現代社会の4車線分に等しいのだから、その道幅は現代基準では広すぎると言っても過言ではないだろう。
東西11、南北9本の大路。
合計20本の大路が平安京の主要道路となっており、この道路を基準として無数の小道が縦横に敷かれる形になっていた。
そんな小道のひとつを進む『鼠』と名乗った元・藤原家の男に付き従い、屍、夭、星の三人の陰陽師が歩を進める。
魔眼・払暁叙事が見せる現実としか思えない過去の光景……小道に籠もったカビ臭い空気や諸司厨町から聞こえてくる喧騒、鼠の跳ねた髪と肩に積もっているフケすらもすべてがリアルに見える。
ライゼリュートの手で殺された俺たちが見ているこの過去の世界から、俺たちが生きている未来を確定させるために必要な条件はふたつ。
『払暁叙事の自然開眼』と『権能:平行時空仮構論をライゼリュートに使用させること』。
前者である払暁叙事の自然開眼の方法は、本家大本である藤原家に眠っている可能性が非常に高い。このまま屍たちに付いていけば、藤原に辿り着けると踏んだ俺たちは、この藤原と三条の行軍に加わっていた。
「ねーねー」
京に入る前とは打って変わって。
軟化した態度を示したセイは、頭の後ろで両手を組んで、ぶらぶらと足を振るようにして歩きながら唇を尖らせた。
「ネズミのおっちゃんさー、コレ、どこ行こうってんのー? 暗くて臭い道しか通らないし、なーんも面白くないっての。ブイブイ行こうぜ、ブイブイさー」
ちらりと。
セイの方を横目で見たヨウは、ニヤリと口端を曲げてからニヤニヤとカバネの方を見遣る。
一瞬、面倒くさそうに顔をしかめて、カバネはセイに眼を向けて注意する。
「失礼を言うな。おっちゃんではなく藤原殿、もしくはネズミ殿と呼べ」
「へ~い。ネズミのおっちゃん殿~」
ヨウのニヤニヤが深くなり、セイはゲラゲラと笑う。
ふらふらと歩きながら俺に付いてくるレイを見守っていた俺は、一連の流れを眺めて思わず唖然とする。
「え……な、なんか、キャラ違くない……? というか、現代っ子みたいな喋り方じゃないこの子……?」
「君はアホか。払暁叙事が都合の良いように見せてる過去の亡霊みたいなようなものだと言っただろう。実際の当時のしゃべり方をそのまま再現されたら、君は1割も理解することが出来ないぞ。1000年単位の壁は厚い。他文化を積み上げてきた宇宙人が眼の前で惑星間物質の議論をしているようなものだ。
今までのカバネのしゃべり方も、十分なくらいに現代化されていただろ」
「いや、でも、陰キャを虐めるクラスの陽キャ女子みたいな感じになってるじゃん」
「安全が確保されたから、安堵感で箍が外れたんだろ。陽キャのパリピでも、クラブでははっちゃけるし、面接会場ではさも清楚でおしとやかみたいな面をするさ」
「チェンジしてよ!! なんで、陽キャっぽい感じで男のおっさんをからかうんだよ!! ヨウ✕セイたちが夏を刺激しろよ!!」
「文句があるなら、自分の目玉とキャラ調整について相談しろよ」
相談したが返答はなく、アルスハリヤは『マジかコイツ……』という顔で、ずっとこちらを見てくる。
ノータイムで、俺は、アルスハリヤの両眼に二本指を突き立てた。
改めて観察してみると、目元を押さえて転げ回っているアルスハリヤの言う通り、確かにカバネの態度も軟化しているように思える。
山中で彼の周囲を取り巻いていた、研いだ剣先のような殺気は雲散霧消し、年齢相応の愛嬌のようなものが多少は見て取れるようになっていた。
「行き先? 行き先は、諸司厨町の付近にある辻だよ」
ボリボリと顎を掻きながら、非礼を指摘することもなくネズミは答える。
野良犬が脇を通り抜けて、鉈の握り手に指を這わせたカバネはささやく。
「蠱術? 犬神ですか?」
「いやいや、まさかまさか。ははは、辻と言えば蠱術で犬神とは、物騒なことを申す男子だなぁ。民間の陰陽師だと確かに名乗ったが、君らに呪物の作り方を伝授する気もないし、教えを乞うつもりも一切ないよ。
招聘した理由は、ひとつと申したばかりであろうに」
「……藤原が誇る最も強き陰陽師の護衛」
ぼそりと、ヨウがつぶやき、懐手をしたネズミは首肯する。
「なぜ」
当然のような手付きで。
野良犬の首を跳ねて落としたカバネは、丁重な手付きでその首を根の紐でくくって腰にぶら下げてからネズミに尋ねる。
「強き者に護衛などを? 無用と心得ますが」
「無用かどうかは藤原が決めること……そうではないか、カバネ殿?」
「……ご無礼仕った」
カバネは会釈し、セイはここぞとばかりに顔をしかめる。
「は~え~? でも、気になるもんは気になるじゃんかよ~? おっちゃん殿さー、サービスで教えてくれても良いんじゃないの~?」
「ま、ココで指教の栄を授かってもよろしいがなぁ」
首の後ろを掻きながら、ネズミはニヤニヤと笑う。
「会ってのお楽しみ、とした方が私としては面白い。そして、私は面白いことを優先する性質の男ゆえに閉口する。
っと、斯様な四方山に花を咲かせていたら目的地」
ぴたりと、ネズミは足を止めて――臭いを嗅ぎ取ったカバネが鉈を抜き放ち、続いて、ヨウとセイも得物を構える。
辻。
十字の小道の中心では、ひとりの幼女が立ち尽くしていた。
「…………」
赤。
真っ赤に染まった彼女は、呆然と空を仰いで十字の中心で立ち尽くす。
礼賛し信仰し盲従するかのように。
彼女を取り巻くように敷き詰められているのは、人間の生首であり、その形相は安堵と心酔と歓喜に満ちていて、胴体と泣き別れをして血の海に沈んだ死体のものとは思えず、天に召された恭順者かのような法悦で浸されていた。
同心円状に並んだ人間の生首は、あたかもバースデーケーキに盛られた赤色の苺のようで、その中心で佇む彼女は重大な神の意思が書かれたチョコレートみたいだった。
そこに書かれたメッセージは、きっと赤色に染め上げられている筈だ。
肩口からズレて、地面に落ちた裾が血の沼に浸って鮮血の紅に染まる。
そこら中に散らばった胴体を拾い集めるもの好きはおらず、生きたまま取り残された彼女は生者の世界にあって死者の世界に惹かれた異常者だった。
「…………」
生と死の端境。
そこに起立した少女は、頭を後方に倒したまま胡乱げにカバネたちへと眼を向ける。
ひとり。
また、ひとり。
緋色に染まった眼が個々を捉えていき――一点で視線の動きが止まり、驚愕で瞳孔が開き――唇がゆっくりと割り開いた。
「あなた様は……」
この世界に存在しない筈の俺を見つめて――
「なに……?」
生死の境目で彼女は言った。