藤原殿のご依頼は
倒壊した羅城門。
その門に纏わりついている土蜘蛛は、尻の先端からしゅるしゅると糸を吐きながらケタケタと笑う。
鉄札と革札を一枚ずつ交互に配置した『一枚交』の小札と八枚の草摺……徒士用の『胴丸』と呼ばれる鎧を身に着けた武士の集団は、腰にぶら下げている竹筒の中身に鏃を浸した。
「約180cm……伏竹弓か。しかも、使っているのは野矢。鏃を血に浸したのは正解だが、ソレ以外はすべて不正解だ。強弓がひとりもいないとは、自殺志願者のバーゲンセールだな」
ぼそりと、アルスハリヤはつぶやく。
その言葉の通り、殺到してきた下級武士たちの矢は土蜘蛛に致命傷は与えられず、あっという間に戦線が崩れ始める。
「陰陽師だ!! 陰陽師を呼べ!! 鬼門が開いた!! 京に入られるぞ!!」
容易に破壊される人体。
鋭利な蜘蛛の前脚で右足やら左腕やらを斬り飛ばされ、糸で巻き付かれて窒息死させられている武士の集団は叫声を上げる。
「陰陽寮には誰もおりませぬ!! 今日は、藤原様に依る四角四境祭!! 賀茂家も安倍家も、主要の陰陽師は出払っております!! 末端を差し向けるにしても、半刻はかかると!!」
「陰陽道の輩は、何時から、盲亀浮木に成り果てた!? 急事よりも祭事を優先している場合か!?」
男と女。
体格から判別出来ただけでも、その割合は6:5で男の方が多い。
驚いたことに。
下級武士を取り纏めているのは、立派な髭を蓄えた大柄の男であり、彼は必死で弓を放ちながら土蜘蛛を門外に押し止めようとしていた。
「……マズいな」
俺は、九鬼正宗を引き抜こうとして――
「あっ」
ココは払暁叙事に眠っていた記憶の世界であり、干渉方法が見つかっていないことを思い出した。
「おいおい、疲労で脳細胞が死滅してるのか?」
アルスハリヤは、苦笑して肩を竦める。
「僕らは、ただ視てるだけだぞ。タイムスリップモノでありがちな、テレビの中に人が入っている……とか、やるつもりか?」
「う、うるさいわ。わかっとるわ、アホが。ちょ、ちょっと、腰の脇の辺りがこしょばゆくなっただけだわ」
「まぁ、安心しろ。この時代に生きる端役の登場だ」
猛然と。
駆け走ってきたのは、三条屍率いる三人の少年少女だった。
「夭、祓を唱えろ」
『夭』と呼ばれた長髪を持った少女は、カバネの命令を聞き分け、凄まじい勢いで九字印を結びながら祓を口ずさむ。
「掛けまくも畏き、伊邪那岐大神、筑紫の日向の橘の小戸の阿波岐原に、禊ぎ祓へ給ひし時に、生り坐せる祓戸の大神……」
「星、反閇だ。囲め」
『星』と呼ばれた短髪の少女は、ニヤリと笑ったかと思えば急加速し、地面に擦り跡を残しながら猛スピードで円を描き始める。
「現代的に言えば、詠唱と魔法陣だな。起こるぞ」
アルスハリヤが、そうつぶやいた瞬間――ゴキゴキと、音を立てながら土蜘蛛たちの首が捻れ始めて――天へと向かって打ち上がった。
「コレは」
見える、空気の揺らぎ。
その只中で、瞬いている蒼白の魔力光を捉えて俺はささやく。
「魔法か」
首。
首、首、首。
猛烈な勢いで吹き飛んだ土蜘蛛の首、その傷口から大量の血液が迸り、腰後ろの鉈を握ったカバネは羅城門跡を駆け登る。
生き残りの土蜘蛛は、向かってくる細身の少年を捉えるなり、目にも留まらぬ速さで前脚を鎌のように振るった。
が、既にその身は地上を離れている。
刀印を結んだ左手で、鉈の刃先をなぞって血を出したカバネは、一切の感情が宿らない顔つきで――錆だらけの鉈を振った。
斬。
土蜘蛛が中程から断たれて、返す刃で二匹目の前脚が吹き飛ぶ。
祓と反閇と刀撃。
徐々に土蜘蛛の数は減っていき、わらわらと湧いていた蜘蛛たちは、徐々に後退し蜘蛛の子を散らすように逃げていった。
数秒の沈黙の後、勝鬨が上がる。
血塗れのカバネは、褒め称える下級武士を無視して淡々と鉈を振るい、土蜘蛛の肝を取り出してから竹の葉に包んで懐に仕舞う。
「身なりは餓鬼のようじゃが、あの戦の采配ぶり! 貴殿ら、名のある陰陽師と見た! どの家の者か? 賀茂か安倍か?」
「…………」
ヒゲモジャの武士に肩を叩かれながら、問われているカバネは、ヨウとセイへと目線を向けて――
「我ら、藤原の者である」
表衣に指貫に平履、ラフな格好をしたボサボサの髪の男は、懐手に両手を仕舞ったまま飄々と答える。
突如、現れた男に対し、下級武士はぎょっとしてから膝を折る。
「こ、コレは、光栄殿」
「よしなさいよしなさい。私は、ただの仲介役で、諸々の不都合があるから、一寸、藤原を名乗っているだけだ。最早、『ふじわら』は捨てたよ。今は、民間の陰陽師をしている。『鼠』と呼んでくれ」
ふあぁと、あくびをして、鼠を自称した男はぽりぽりと右足で左足を掻く。
カバネが膝を折った瞬間、ヨウとセイは同時に見様見真似で片膝をついた。
「藤原殿」
「おいおい、鼠と呼んでくれよ。なぁんだとぉ、鼠ではなく虎のようではないかってぇ? ははは、おべっかはやめたまえ、ははは」
「「「…………」」」
「おい、笑えよ。泣きそうだ。太鼓持ちや腹芸のひとつふたつ出来んことには、平安京では生きていけんぞ、貴様ら」
表情筋が死んでいるネズミは、乾いた笑い声を上げてからポリポリと顎を掻く。
「……藤原殿」
「わかったよ、もう、藤原殿で良いよ。藤原でも光栄でも道長でも好きに呼べよ」
「貴方は、道長様ではないが」
「……諧謔も嗜めんと、平安京では生きていけんぞ」
理解出来ないと言わんばかりに、カバネは真顔でネズミを見上げる。
「道長様が我らを呼び立てした仔細をお伺いしたい」
「アルスハリヤァアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアア!! この鼠とかいうヤツにも触れねぇええええええええええええええええええええええええええええ!! 俺の頭が股間から『こんにちは』しちゃってるぅううううううううううううううううううううう!!」
「人様と人様の会話中に、人様の股間から挨拶するなよ……後のヒントになるかもしれないんだからちゃんと聞けよ……」
「…………」
四つん這いになっていた俺は立ち上がり、無言で、ネズミと全身を重ねてその場から消える。
「仔細……仔細と言っても、実に簡単な話だがね」
眉をひそめるカバネの前で、ネズミは頭をかき回してフケを散らす。
「貴殿らを招聘した理由はひとつ」
ネズミは、ささやく。
「我ら藤原が誇る――最も強き陰陽師の護衛を頼みたい」
三条屍は、ますます深く、眉をひそめた。