エヴェレットはかく語りき
俺の胸の中心から――手が生える。
「うおっ!?」
思わず、仰け反る。
愉しそうに嗤いながら、両手で俺の胸を掻き分けたアルスハリヤが体内から這いずり出てくる。
「ははは、見事に敗けたなヒーロくん。完敗じゃないか。勝ちはしないが敗けもしないの信条は、どこに落としてきたんだ」
「アルスハリヤ……テメェ、生きてたのか……」
「いや、死んだよ。一心同体である君と一緒にくたばったさ」
木の枝で、地面へと。
なにやら、地図を描いている三条屍は、ふたりの少女にボソボソと指示を出しながら入念に準備を行っている。
その様子を眺めながら、俺は、ぼそりとつぶやく。
「だったら……コレは、なんだ……?」
「ふむ、仮説は幾つか立てられるがね。どれ、試しにそこの君の妹の胸を掴んでみろ」
「わかっ――」
俺は、ぴたりと動作を止める。
「おいコラ、待て。なんで、胸なんだ」
「はぁ……おいおい、そんなことまで説明しないといけないのか。君の低能さにも、まいったもんだな。僕が愉しいからに決まっ――」
「っしゃぁオラァッ!!」
俺の飛び膝蹴りが顔面に食い込み、大量の鼻血を吹き散らしながらアルスハリヤは後ろに倒れる。
悪即蹴、を体現した俺は、レイの肩を揺さぶろうと手を伸ばし――
「あれ?」
すり抜ける。
肩、頬、頭、下がって、腹、足、爪先。
どの箇所にも触れることが叶わず、俺は、啞然と立ち尽くす。
「……やはりな」
クックックッと嗤いながら、アルスハリヤはカバネたちを指差す。
「次は、奴らだ。触れてみろ」
同様に。
カバネたちにも触れないことを確かめた俺は、煙草の玩具を咥えて、先端を赤色に光らせている魔人に振り返る。
「……触れない」
「胸は? コレは冗談じゃない。どの部位にも触れられないのか確かめてみろ」
カバネの背後に回った俺は、息を荒らげながら彼の胸を揉みしだく。
「さわれなぁあああああああああああああああああああああい!!」
「尻は?」
四つん這いになった俺は、カバネの尻の中に頭を突っ込む。
「さわれなぁあああああああああああああああああああああい!!」
「落ち着け。頼むから落ち着け。誰も、男の尻の中に頭を突っ込めとまで言ってない。他人の尻の中から報告してくるな」
混乱していた俺は、息を整えてから立ち上がる。
「俺……タイムリープしてね……?」
「してない。すっげーバカな質問してくるな。七椿の時とは、『時間』の意味も何もかもが異なる。二度も同じ手を喰らう程、僕も君もマヌケじゃあない。来い」
指で招かれて、俺は、アルスハリヤの前で腰を下ろす。
「まず、大前提、僕と君は既に死んでいる……いや、正確に言えば『死んでいる最中』だと言って良い」
「……払暁叙事か?」
アルスハリヤは、目を見張る。
「おいおい、やはり、君は常軌を逸してるな。アステミル・クルエ・ラ・キルリシアが目をかけるだけはある」
「それ以外に、この状況が起こり得る可能性なんてねーだろ。最期の最期、一か八かで、強制開眼を仕掛けた意味があったのか? もしくは、レイの開眼に引きずられる形で固有魔法が発動したのか?」
「どちらとも有り得る……有り得るが、少なくとも、君の妹の魔眼では固有魔法を発動させることは出来ない。なぜならば、『強烈な感情の惹起』による開眼は、僕も用いている強制開眼のやり方と同じだからだ。魔眼の固有魔法は、自然開眼以外で発動することはない」
俺は、顔をしかめる。
「お前、今まで、人様の感情を弄ってたの……?」
「君の奥底に大切に仕舞われている『感情』を使えば、実に簡単に開眼を行えるんでね」
「…………」
「そう怖い顔をするな。詳細までは覗いてない。
話を戻そう」
くるくると、アルスハリヤは煙草の玩具を回す。
「僕と君は、今、死んでいる最中だ。そして、死んでいる最中に人間はひとつの『夢』を見る」
「……走馬灯」
「その通り。だが、君は、今際の際で眼を閻いた。魔力は血縁で繋がれる。血を通じて、魔力は受け継がれ引き継がれる。魔眼は血統を基にした相伝であり、体内の魔力が眼に簇って発現する導体だ」
目の下を引っ張って。
目玉を突き出したアルスハリヤは、俺のことを見据えた。
「君は、現在、払暁叙事の裡にある記憶を視ている」
「視ている……だけなら、なんで、自分の好きなように身体を動かせる? それに、レイが付いてきたのはなんでだ?」
「君が『動かしている』と感じているだけで、ただ、視点を変えているだけの話だろ。払暁叙事には、君が思う以上に大量の情報が蓄えられている。君にしか見えない僕と同じように、連続性をもって脳が騙されているんだ。君は、恐らく、この世界の何もかもに干渉することは出来ない」
アルスハリヤは、肩を竦める。
「君の妹が、なぜ、くっついてきたのかと言えば……ユングの言うところの共時性というヤツかな。同時に払暁叙事を閻いたことによる近接性、としか今のところは言いようがない」
「だとすれば」
俯いていた俺は、顔を上げる。
「この状況は、意図的に引き起こされたのか」
ニンマリと、アルスハリヤは嗤う。
「仰られる通り、コレは、恐らく意図的に引き起こされた事象だ。黒幕は、三条霧雨を使ってレイを開眼させ、僕たちを記憶の海へと引きずり込んだ」
「……なんのために」
俺の独言には答えず、ひらりと樹上に飛び上がったアルスハリヤは、ニヤニヤとしながら足を振る。
「今、僕たちにとって、ホワイダニットは重要じゃあない。容疑者の心情を慮るのは次の場面で、僕らの眼前に丁寧に並べられたハウダニットを、ひとつひとつ丁重に分解して口に運ぶ必要がある」
「なるほどな」
ニヤリと笑って、俺は樹上の悪魔を見上げる。
「このまま上映会を続けていたら……俺たちの名前は、エンドロールには刻まれないってことか」
「Exactly!」
愉しそうに、アルスハリヤは指を鳴らす。
「僕たちは、今、まさに死んでいるんだ。『死』という時限爆弾付きの記憶旅行さ。払暁叙事に依る記憶の上映会が終われば、僕たちはお陀仏で、香典もなしに墓の下で闇を貪ることになる」
「この状況を覆せるのは、たったのひとりしかいない」
俺は、口端を曲げる。
「画骸のライゼリュート」
ぱちぱちぱちと。
頭の横に掲げた両手で、慇懃無礼に魔人は拍手を送ってくる。
「そう、その通り、ヤツの権能を使えば僕らは『生きていることになる』。巻き戻しのボタンを押して、ハッピーエンドへ一直線さ」
「逆に言えば、ヤツの権能のせいで俺たちは『死んでいる』。俺があの列車に乗り込んだ時点で、敗北は確定していた……俺たちが朧車に乗った時に発生した昼夜逆転は……ライゼリュートが権能を使った証左だった……」
「そして、残念ながら、君が狙っていた勝ち目はなかった」
「払暁叙事の自然開眼」
俺は、断言する。
「どう足掻こうとも……それしか、俺たちに勝ち目はなかった……」
「この記憶の中で、揃えるべき勝利条件はふたつ」
アルスハリヤは、指を二本立てる。
「払暁叙事の自然開眼。
そして、ライゼリュートの権能『平行時空仮構論』をヤツに使わせて――」
ニタァと、魔人は三日月の形に赤黒い口を開いた。
「僕たちが生きている並行未来に戻る」




