宿命の破滅と定命の再生
静謐。
粘着く闇が、目玉にこびりついている。
「…………」
目が。
目が慣れるまで、動くべきではない。
そうは思っていても、焦れた全身は発汗を始め、ぬめっている右手で掴んでいる九鬼正宗の柄が滑る。
パッと。
電気が灯る。
その瞬間、動き始めた車内にはみっつの人影とひとつの物体があった。
三条燈色。
徳大寺霧雨。
藤原黎。
西園寺華扇――を映した電気小箱。
「おや、まぁ」
愕然としている俺と黎の前で、霧雨は煙草に火を点ける。
「全員、仲良く集合とはコレまた稀有なことで。
どうしましょうかぁ、坊っちゃん、お嬢ちゃん。生憎、ぼかぁ、切らしてますがハンカチ落としでもす――」
同時に。
俺とレイは、踏み込んでいる。
だが、目的は似通っているようで異なっていた。
鼻先三寸。
微笑を浮かべている霧雨の目と鼻の先で、刃と矛がかち合って火花を散らした。
「くくっ」
押し合い圧し合いを続ける俺とレイの前で、霧雨は呑気に紫煙をくゆらせる。
「ぼくを巡って兄妹喧嘩とは、高価なぬいぐるみにでもなった気分で悪くありませんねぇ……引っ張り合いっ子で、腹から綿が飛び出す羽目にならなければ」
己の殺意を受け止めた俺へと、顔を歪ませたレイは叫ぶ。
「邪魔立て無用ッ!!」
「そっちに用がなくても、こっちには用向きがあるんだよ。むざむざ、現実世界で妹のキルスコアの加算を見物して拍手するつもりはないんでな。時代錯誤めいた侍ソウルで切り捨て御免する前に、心配させたお兄ちゃんに『ごめんなさい』しなさい」
くるりと、槍先が回転する。
華麗な足捌きで立ち位置を交代しようとしたレイに上半身の動きでフェイントをかけ、躊躇が生まれたタイミングで着物の裾を踏みつける。
「着物の裾が長すぎるんじゃない?」
よろめいた彼女に足をかけ、転びかけたところに腕を差し伸ばし胴を支える。
慌てて槍を振り回そうとしたものの、対象との距離が近すぎるせいで無為に終わり、俺は逆輪を握り締めて完全にレイの動きを封じる。
『ま~ま~、クールダウンクールダウン』
俺の腕の中で身動ぎしているレイを見下ろし、ボリュームを上げたカオウが制止の声をかける。
『確かに、レーちゃんの殺意丸出しスタイルは理解出来るぞ~! だって、そういう遊戯だもんね、コレって。それに、この一週間、ずーっと開戦の狼煙が上がるのを待ち続ける戦に恋する乙女状態だったもんね~!』
両手でハートマークを作って。
右へ左へと動かしながら、ツインテールロングのカオウがウィンクし、コメント欄に表示された同意の文面が滝のように流れ落ちる。
「理解っているなら、すべきことはひとつでしょう?」
俺の手を振り払ってから胸を押し、距離をとったレイは両眼から光を消した。
「今、ココで、私が貴女たちを殺して終わらせます」
「うーん、ぼかぁ、平和主義者なんで殺し合いには反対だなぁ。それに、そこの四角い箱に隠れてるあざとい臆病者はどうやって始末するつもりで?」
口内の笑いを噛み殺しながら、キリウは煙草の先端でノートパソコンを指す。
『自分の心を押し隠して薄汚い後悔に縋ってる卑怯者よりかは、リフレッシュレート500Hz カオーちゃんのほうがマシだっつの。殺す殺さない云々はともかく、巫蠱継承の儀でカオーちゃんを殺す方法は実に簡単。このノーパソを、えいやで壊せば良いだけ』
リフレッシュレート500Hzの笑顔を浮かべ、カオウはぱちんと指を鳴らす。
『マル秘大公開。実は、カオーちゃんの魂はこの箱の中に備わっているのだ~。メン限公開の驚きの事実だから、SNSで流したりしたら殺しちゃうゾ♡』
「俺、実写公開やASMRで視聴者を釣り、引退を匂わせてスパチャを稼いでる終末感漂うカオーちゃんのメン限に入った覚えないんだけど」
『バカクソが♡ こちとら、この2Dモデル一本で戦ってきとる正統派大和撫子じゃい♡ 誰が引退間近の最後の稼ぎに走ったエロ系配信者だ♡』
堂々とレイの剣先と槍先の狭間を通り抜けたキリウは、真っ青な空と太陽を見上げて苦笑する。
「おやまぁ、ついさっきまで月が世界を支配してた筈なんですがねぇ……」
「お前の仕業じゃないのか?」
「ぼくのぉ? まさかぁ? さすがのぼくでも、太陽と月の手綱を握っちゃぁいませんよ。くいくいっと、引っ張って、好きな時に昼夜逆転させられれば便利そうですがねぇ」
苦笑いしたまま、道化ぶっているキリウは肩を竦める。
「…………」
自然体か、演技か。
ライゼリュートの能力を使って、巫蠱継承の儀を捻じ曲げている主犯……己の『悔悟』で、画骸の魔人を平安から現世まで縛り付け、唯々諾々と従わせている裏の主催者は誰なのか。
考え込む俺の前で、レイは矛先をキリウの胸の中心に突きつける。
「剣を取りなさい、徳大寺。巫蠱継承の儀は、既に始まっている。正々堂々、己が家名を証明してみなさい」
「それなんですけどねぇ」
両手を挙げたキリウは、ニコニコと笑いながらささやく。
「話し合いで、勝者を決めませんかぁ……?」
『はぁ?』
カオウの疑問が聞こえなかったかのように、キリウはゆっくりと目を細める。
「ぼかぁ、暴力は嫌いなんですよねぇ。根っからの平和主義者ゆえに、巫蠱継承の儀は苦手の部類に入るぅ……であればぁ、話し合いで正当な後継を決めるのも手だと思ったわけですよぉ」
「バカな」
レイは、鼻で笑う。
「この巫蠱継承の儀が、市井で行われる運動会とでも思っているの? 藤原本家が練り上げて、三条屍が完成させた陰陽の到達点、究極の呪術の有様、縁と情を絡み合わせた違えることの出来ぬ約定」
ぴくりとも表情筋を動かさず、レイは暗唱を続ける。
「次代に依る巫蠱継承の儀が行われるまでの間、今代の儀における敗者の血は呪われ続ける……二度と勝者の血に逆らうことは出来ない。だからこそ、我々、藤原本家は分家の三条から主権を取り戻すことが叶わなかった。
それは、徳大寺、貴女も同じでしょう?」
「ですからねぇ、そのおっかない呪い呪われをやめませんかという話でしてぇ」
「無為な相談ね」
レイは、確信をもって言い切る。
「この血が流れ続ける限り……藤原と三条と徳大寺、西園寺の四家が入り交じることはない。長和六年の禍で、四家の家祖になにが起きたかは学んでいる筈」
「でも、それは、ご先祖様の話だろ?」
なにを考えているかわからないキリウには、同調している姿勢は見せないようにしつつ、飽くまでも自身の意見として俺は発信する。
「そんな大昔の話に縋り付く必要なんてねーだろ。折角、こうして、四家全員が集まったんだから、話し合いで決着するのもひとつの道筋の筈だ」
「巫蠱継承の儀に依る血脈の呪縛がなくなる。縛りなくして、貴方は、キリウもカオウも信用出来ると? 何時、寝首をかかれるのかもわからないのに?」
俺が視線を向けると、愉快なキリウちゃんとカオウちゃんは笑顔で手を振ってくる。
「し、信用出来ない……」
「ならば、殺し合うしかないでしょう?」
思わず、本音をつぶやいてしまった俺に対し、レイは当然だと言わんばかりに頷く。
「なら、ぼくを次期後継者に仕立てあげればいぃ」
両手を広げて、キリウは自身をアピールする。
「ぼかぁ、ヒイロ坊っちゃんもレイ嬢ちゃんも信用しますよぉ。悪いようにはしません。おふたりで、カオウを抑えておいて頂ければソレだけでいぃ。ソレ以上のことはなにも望まず、おふたりを平和な学園生活に戻してさしあげましょぉ」
『おいゴラ、なんで、カオーちゃんのことは信用ならんのだ。ゴラ』
「どうですぅ……?」
一瞬。
レイは、両眼に希望の光を宿らせて――直ぐに闇に沈む。
「いいえ、貴女は、目的のためであれば私と三条燈色を殺すでしょう。実権を握った後、生かしておく道理がない。いえ、生かしておいてはいけないと考える」
「ならば、坊っちゃんに跡目を――」
「ダメッ!!」
声を張り上げて。
唇を噛み締めて、己の左腕を握り込んだレイは顔を背ける。
「必ず……必ず、貴女は、跡目を継いだ三条燈色を殺す……巫蠱継承の儀に依る呪縛がなければ……いずれ、必ず、貴女は三条燈色を殺して玉座をすげ替える……そして、私とカオウのことも殺すでしょう……」
「要はぁ」
キリウは、ふーっと天井に向かって煙を吐く。
「ぼくやカオウを殺し、己の死を飾り付けして、大切な兄に平穏を贈呈しようということでしょぉ? 本来の貴女の筋書きじゃあ、大切で大切でたまらない兄は、巫蠱継承の儀に参加することもなく、汚れ仕事は貴女ひとりですべて請け負って『藤原人形』として生きていくつもりだったんでしょうがねぇ」
「…………」
「くくっ、酷いなぁ、ぼくやカオウは『家族』じゃあないんですかぁ……? その綺麗なお手々で、ぼくやカオウは殺せるのに兄は殺せませんかぁ……? アレだけくっきりと、繰糸が見えてたお人形が、随分とまぁ見違えたものでぇ」
緋色。
カラーコンタクトで、彩られたキリウの両眼が――レイを射抜く。
「オマエらは、ぼくとあの子から幾つ奪えば気が済むんだぁ……? 正当な藤原の眼を持っている貴様らがぁ……何も持たないぼくらから、何度、奪えば心が満たされる……己の顔半分を焼いた電気人形の感情がわかるか……貴様らに……貴様ら如きに……諦めた人間の心を解せるものか……」
『キリウ』
「…………」
『キリ――』
「紛い物が口を開くな」
紫煙をくゆらせて、キリウはそっとささやき――俺は、キリウとレイの間に入り――彼女は、パッと笑顔を見せる。
「坊っちゃん、お嬢ちゃん、知ってますかぁ? 魔眼を開眼する引き金のひとつに、強烈な感情の惹起があるってことぉ。
強烈な感情の惹起っていうのはぁ、たとえばですねぇ」
笑っていない眼で、キリウはつぶやく。
「愛している人間の死」
瞬間――
「ヒーロッ!!」
現出したアルスハリヤが、真っ青な画が走った俺の全身を操作し――俺の右半身が消し飛んだ。
「えっ……」
レイの全身に、大量の赤黒い血がかかる。
強烈な激痛と衝撃。
と同時に、覚えた疑問。
なぜ。
熱を帯びる傷とは裏腹に、冷えていった頭で俺は思考する。
なぜ、キリウがココで動く。唐突過ぎる。有り得ない。レイに払暁叙事を開眼させたところで、キリウになんの得があるというんだ? 巫蠱継承の儀の効果を狙っていたとしても、なぜ、こんな中途半端なタイミングで行動を起こす? こんなことが出来るなら、開始と同時に行動を起こし終わらせていた筈だ。
盤外だ。
両眼を見開いた俺は、自分の眼では捉えられなかった『外』へと眼を向ける。
盤外に……俺が想定していなかった『何か』がいる……俺から見れば、何もかもが唐突にしか思えないこの不出来な茶番劇は……その『何か』から見れば、すべて、自然の帰結として映っている……。
凄まじい勢いで巡った思考、俺は、自分が失敗したことを知った。
しくじった。
俺は、悔悟の念で目を閉じる。
――もう、我々は敗けている
幾ら警戒していたところで、数手、今の俺には足りていなかった。
――もう遅い
俺は、四家を覆い込む『呪縛』を捉える。
――もう既になにもかもが
座席に肢体を叩きつけて、俺は、冷めていく身体から――窓外の枯れ落ちた櫻を見つめた。
――終わった
『キリウさん……』
画面の中で、カオウは天を仰ぐ。
『なぜ……なぜ、いつも、貴女は……』
目元を覆った彼女の目の端から、涙が流れ落ちる。
『大切な人のために、正義の味方を諦めてしまうの……』
凄まじい勢いで青々とした画が走ったノートパソコンが、粉微塵に千切れ飛んで爆発し、画面の中のカオウはバラバラになって消し飛ぶ。
フルオートで。
天井に張り付いた俺の身体は、逃走路を見つけ出そうとし――画――あまりにも細かすぎて面に見える線が全身を走り抜けていく。
己の命運を悟ったアルスハリヤは、ゆっくりと息を吐いて――微笑む。
「許せ、相棒」
彼女の顔面がズレていき、目元と口元が右と左に泣き別れし、地面へと落ちていった。
「幸運の女神は、賭博台に乗らなかった」
ぱらぱらと。
雨が降る。
否、それは、細切れになった俺の全身だった。
ずしゃりと。
肉の塊となった俺は床に沈み、幾ら魔力を取り込んでも再生が始まらないことを自認し、かろうじて形を保っている目と口をレイに向ける。
「げろ……にげろ……れい……にげ……ろ……」
赤と黒に染まって。
立ち尽くしていたレイは、ゆっくりと大口を開き――
「ぁあ……ぁああ……ぁああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああっ!!」
絶叫する。
その間延びした悲鳴は、車内へと響き割る。
そして、その両眼は緋色に染まって――真っ赤な血に染まったキリウは、微笑みながらその光景を見守る。
「そうだ……ずっと……ずっとずっとずっと、ぼくが欲しかったのは……」
彼女は、泣きながら両手を伸ばし――
「その眼だ」
頭が吹き飛んだ。
緩慢な動作で膝をついたキリウは、失くした頭の名残から血を噴き出しながら崩れ落ち、ただの肉塊と化して潰えた。
眼が。
眼が光る。
レイが閻いた緋色の両眼が、色を失った車内を歪め始める。
「…………」
死を迎えつつある俺のふたつの目玉は、護れなかった妹の最期の光景を見つめて――激痛と共に、閻いた両眼から血が溢れ始める。
――おいおい、幸運の女神にディープキスでも強請るつもりか?
「勝ち目はある……幸運の女神がいなくても、賽を振る……諦めてたまるかよ……コレが予定調和であるのなら……おれが……捻じ曲げる……」
俺は、必死で分解けた手を――また、独りに戻って、泣き続ける大切な妹へと伸ばす。
「傍にいてやる……なにがあろうとも……かならず……かならず、おれが……家族になってやる……もう、独りにはしない……だから……」
血反吐の中で、俺は、魔眼の開閉を繰り返し――笑いながら宣戦布告する。
「その邪魔をするヤツは……全員、捻じ伏せる……待ってろ……待ってろ、レイ……絶対に、家に帰してやる……おれが……おれが必ず……」
真っ赤な血に溺れた視線の先で。
「迎えに行く」
誰かが、俺を見下ろし――意識が潰える。
眼が見える。
「…………」
分解けた筈の四肢が動く。
「…………」
右。
視線の先で、涙を流したレイが、俺の手を握って眠っていた。
「…………」
左。
ボロボロになった小袖に褶を羽織り、土と汚れで黒ずんだ腰布を纏ったひとりの男の子とふたりの女の子。
彼らは、葦が生い茂る山中で車座になり額を突き合わせている。
「藤原道長様の便りに従い、京に入る」
男の子の言葉に、ふたりの女の子はこくりと頷きを返す。
「しくじりは赦されぬ。我らに次はないと心得よ。よいか、我らは三つの条だ。それぞれの道を歩みながらも、いずれは集いひとつの条となる。そのことをゆめゆめ忘れるな」
蓬髪の合間から、獣じみた眼光を飛ばした少年はつぶやく。
「かの時代、軽皇子陛下を魔人から助く給うたのは藤原に非ず。我らが高祖、三人の陰陽師よ。ゆえに、我らは、この便りを藤原の情とは捉えぬ。むしろ、彼奴と成り代わる好機と捉える」
彼は、口角を上げる。
「我らは三つの条。決して断ち切れぬ縁で結ばれた三条。いずれ、我らは帝より三条の氏を承るであろう。
ゆえに、今より、おれは――」
ふたりの少女の前で、ひとりの少年は己を告げた。
「三条屍と名乗ろう」




