もしかして、バグってるのか……?
「んぅ……わたし、襲われて……なにが……ヒイロ……?」
俺は、突っ伏したまま、動きを止める。
大丈夫。大丈夫だ。月檻が来るまでの間、この俺の演技力で、クソザコのフリを続ければ良い。なるべく無様に、弱そうに、如何にも頼りがいのなさそうなクソ男を演じれば良い。
宿れ!! 宿れ、往年の名俳優!! 来い、アカデミー賞!! アカデミー賞、来い!!
「ぐ……ぐううん……やられたぁ……!(ヒイロなりのアカデミー主演男優賞)」
「えっ!? ヒイロ!?」
膝立ちで、ラピスは、俺に寄ってくる。
「き、傷だらけ……な、なにがあったの……ヒイロ……!?」
「すまんラピス俺はやられてしまった無様にやられてしまったクソザコだったマジで一太刀も浴びせられなかったそこを月檻に助けてもらって俺はアイツの足元にも及ばずラピスを助けたのは月檻で俺はただのヨワヨワなので月檻は本当にスゴイラピスは月檻にお礼を言うべきだと思う月檻最高(早口)」
「そんな……ヒイロが敗けるなんて……!」
俺を見下ろした彼女は、今にも泣きそうな顔でささやく。
「ばかっ……! 君、わたしを庇ったんでしょ……!?」
Ahan?
彼女は、俺の頬に付いた血を一生懸命に手で拭う。彼女の温かな手のひらが、やさしく、俺の頬を撫でた。
「あんなヤツらに、ヒイロが敗けるわけないでしょ……! 君、わたしを庇いながら戦ったから……そんな傷だらけになって……月檻桜が助けに来なかったら、わたしを護って死ぬつもりだったの……!?」
「いや、あの、ちょっと待ってもらって良いですか?
全然、話が違――」
ぽたぽたと、なにか、液体が落ちてくる。
それが涙だとわかった俺は、ぎょっとして、ラピスの口から嗚咽が漏れる。
「このばかぁ……!! わたしなんかのために、無理して……死んじゃったらどうするのよぉ……!!」
泣きながら、ラピスは俺の頭を抱き締める。
柔らかな膨らみに包まれて、俺は、お姫様でも制汗剤を付けるんだなと思った。せっかくの私服に血が付くぞとか、どうでも良いことを考えながら、俺の頭の中では大量のクエスチョンマークが飛び交っていた。
あれぇ? なんでぇ?
俺の完璧な計算(『猿でも出来る百合算~基本編~』参照)によれば、ラピスが俺に声をかけている時に月檻が颯爽と現れる。
俺はすぐさま立ち上がり、月檻に今回の手柄を押し付ける。ラピスは自分の命の恩人である月檻に惚れて、俺は、傷が治ったことにして直ぐに立ち去る。
ハッピーエンドってね!!
となる筈なのに……どうして、ラピスは路傍の石のために涙を流すんだ? 助けたのは俺じゃなくて月檻だよ?
「ら、ラピス? 俺は、あの、あれだよ? お前のことは護れずに敗けたんだよ?」
「だから、わたしを庇ったんでしょ……?」
ぐすぐす言いながら、ラピスは、俺を抱き締め続ける。
「庇ってない!! むしろ、盾にしようとした説が有力!!」
「嘘! ヒイロが飛び込んできた瞬間は、憶えてるんだから! 盾になってくれてたのはヒイロの方じゃない!!」
「え、じゃあ、盾になったけど無様に敗けた……?」
「だから、わたしを庇ったからでしょ……?」
意味がわからない……なんで、ボロ負けした俺の好感度が上がるんだ……?
「…………?」
もしかして、この世界……バグってるのか……?
「で」
コンコンと、大木をノックして、颯爽と月檻が現れる。
「なんで、血まみれでイチャついてるの?」
「月檻ぃ……!!」
きたぁあああああああああああああああああああああああああ!! 月檻、きたぁあああああああああああああああああああああああああ!! コレで勝てる!! と言うか、もう、勝ったわ!! ぼく、月檻、だいすき!!
「月檻桜……」
ラピスは、熱い視線を月檻に注ぐ。
胸を高鳴らせながら、俺は、彼女たちの動向に注目する。
コレで、ラピスは月檻に好意を抱いて、ふたりは順調に愛を育――
「どうして、怪我をしたヒイロを置いていったの!?」
「「はぁ?」」
俺と月檻は顔を見合わせて、ラピスは、また俺を胸に仕舞い込む。
「助けてくれたのは礼を言う! でも、それとこれとは別!! 怪我をしたヒイロを介抱もせずに、どこに行ってたの!?」
「は? どういうこと?」
一気に血の気が引いた俺は、慌てて弁明を始める。
「ち、違う、ラピス! 俺が頼んだんだよ! お前を襲った連中が逃げていったから、追うように頼んだんだ!! 月檻はなにも悪くない!! と言うか、すごく良いヤツ!! 強いし綺麗だし、最高!! 月檻、最高!!」
「そこまで言われると照れるかな」
長い髪を掻き上げて、月檻は微笑む。
微笑を浮かべる彼女に、ちょいちょいと手招きされる。
俺はラピスから離れて、月檻と一緒に大木の陰に入り――綺麗に、頭を下げた。
「たすけてくださぁい……!!」
「はいはい、話してごらん」
大樹に背を預けて、月檻はくすりと笑む。
「ラピスが魔神教に襲われてて……だから、俺、思わず倒しちゃったんだけど……出来れば、ソイツらを倒したのは月檻ってことにして欲しくて……」
「なんで?」
「月檻にラピスたちと仲良くなって欲しいから(欲望)」
ゆっくりと、彼女は微笑む。
それから、俺の頬に指先を置いた彼女はささやいた。
「ヒイロくんは優しいね」
…………は?
「私が孤立してるから、友達を作らせようとでも思った? 確かに、私、無愛想だし、アピールポイントなんてこの強さしかないしね。
こういう機会がないと、私とラピスたちが、仲良くなれないと思ったんでしょ……?」
…………なに言ってんだ、コイツ?
「いや、仲良くってのはそういう意味じゃな――」
「相手は何人だった?」
「はい?」
「魔神教、何人だった?」
「3人」
「1人で勝ったの?」
「え……あぁ、まぁ、師匠のお陰みたいなもんだけど……」
月檻に押されて、俺は、大木に押し付けられる。
美しい笑みを浮かべて、彼女は、そっと俺に身を寄せた。温かな体温を通して心音が聞こえてきて、俺は、身体を硬直させる。
「私も3人」
「え……お前……」
「うん、まぁ、ヒイロくんの妹ちゃん、不意打ち喰らってたから助けてきた。
あの烙印は、アルスハリヤのものだろうね……姿は見せなかったから、ヒイロくんに助けられたとか思い込んでるかも」
「なにフザけたことしてんのお前(真顔)」
おいおいおい!! 原作通りなら、ラピスとレイが同時に襲われるなんてことなかったぞ!!
アルスハリヤは、まだ目覚めていない筈だから、魔神教(アルスハリヤ派)の活動も活発化してないし操れる眷属の数だって限られてる……なにかが、おかしい……と言うか、なんで、コイツは俺にくっついてんの……?
「はい、お礼、終了」
どうやら、お礼(なんの?)のつもりだったらしい。
俺から離れた月檻は、髪を耳にかける。
「仲良くすれば良いんでしょ、ラピスたちと」
「えっ……ゔんっっっ!!(過去一の声量)」
「良いよ。
そうしないと、またどこかのお人好しが、私の世話を焼き始めちゃうし」
たぶん、初めて。
月檻桜は、俺に裏表のない満面の笑みを向けた。
「ありがとう」
「え……こちらこそ、ありがとう……?」
謎の礼を言い合った月檻と俺は、ラピスのところに戻った。
憮然としているラピスは、月檻を睨みつけている。睨まれた月檻はいつもの調子で口端を曲げた。
「命の恩人にその目はないんじゃないかな」
「だ、だって、ヒイロが……!」
「ラピス、さっきも言った通り、俺が頼んだんだよ。それに、あの時、月檻が連中を追わなかったらレイが危なかった」
「そうそう、だからさ」
月檻は、綺麗に笑って、ラピスに手を差し出した。
「仲良くしようよ」
一応、事情には納得がいったのか。
そっぽを向いたラピスは、顔を赤らめてその手を握る。
「べ、別に、仲良くしたくないとは……思ってないし……恩は……ちゃんと感じて……ヒイロの次に、だけど……」
俺は、涙を流しながら、その架け橋を見つめる。
まったく、百合は最高だぜ……!!
これにて一件落着。
多少、釈然としないものを感じるが、さすがは百合IQ180の俺、無事に百合の芽生えを観測することが出来た。
この後、ラピスと月檻は、徐々に愛を育んでいくことだろう。
百合に挟まる男が……三条燈色が、もう、百合に挟まることなんてない筈だ。
微笑みを浮かべて、俺は歩き出し、彼女たちに後ろ手を振った。
お幸せに……邪魔な男は、クールに去るぜ……。
彼女らに気付かれないように、俺は独り、船に戻ろうとして……ラピスは、慌てて駆け寄ってきて俺を支える。
「ヒイロ、無理しないで!」
密着してきた彼女を見下ろし、俺は、驚愕で目を見張った。
なぜ、月檻を支えずに俺を支える!?
「ヒイロくん」
逆側から月檻が俺に張り付いて、そっと、脇の下に腕を入れた。
「足、ちょっと、ふらついてる。
ほら、歩くよ」
俺は、絶望で、顔を歪める。
なぜ、ラピスを支えずに俺を支える!?
ふたりの美少女に挟まれた俺は、ようやく我を取り戻し、現実逃避の世界から帰ってくる。
アカン!! 今回、結局、俺の好感度も上がってるやん!!
「ぁあ……ラピス……月檻ぃ……お、俺は置いていけ……置いていけぇ……!」
「なに言ってるのよ、もう」
風が吹いて、ラピスの黄金の髪がなびいた。
「君は、ココにいなきゃダメでしょ」
「嫌だぁ……俺は、嫌だぁ……!! こんなの……こんなの、エスコじゃなぃい……!! 百合要素、ゼロだぁ……ジャンル詐欺だぁ……!! 間違えてる……こんなの間違えてるぅ……!!」
「ヒイロくん、頭、打った? 大丈夫?」
「俺は……俺は、諦めないぞ……俺はぁ……!!」
ふたりに引きずられながら、俺は声を振り絞る。
「諦めないからなぁ……!!」
そんな声は、最早、百合の神には届かなかったのか――
「わたし、ヒイロのこと、このままにしておけないし」
頬を染めたラピスは、ぼそっと、恐ろしいことをつぶやいた。
「ヒイロの部屋に泊まり込んで……お世話、するから……」
「…………(心臓の止まる音)」
レクリエーション合宿一日目。
長い夜が――始まる。