探しものは、もうどこにもない
「ライゼリュート」
両手をポケットに突っ込んで。
九鬼正宗は座席に放り出し、無手の状態で俺は肆号車の内部へと呼びかける。
「話をしようぜ……お前の大好きな三条家の話だ」
眼前の天井から。
ゆっくりと、下半身が生えてくる。
床からは上半身が伸び出てきて、半分割されているようにしか見えないライゼリュートは、頭の包帯をガシガシと掻きながら右上を見つめる。
「う、うちぃ……さ、さんじょぉ……すきぃ……さんじょぉのはなし……するぅ……さ、さがしものするぅ……どこぉ……?」
嫌悪感を隠そうともせずに、アルスハリヤは舌打ちをする。
「前に見た時は、もう少し、まともに頭が回っていただろうに……なぜ、わざわざ、頭の傷を治していない……?」
「…………」
アルスハリヤの疑念は最もだ。
俺の知っているライゼリュートというキャラクターは、頭に怪我を負っていなければ包帯も巻いていない。甘えん坊の幼児のようなキャラクター性はそのままだが、彼女は、もっと邪悪で知的で人間を惑わす存在であった筈だ。
「…………」
少なくとも。
俺の知っているライゼリュートは、絶対に『三条家が好き』などと口にしたりはしない。
むしろ、『三条家は嫌い』だと口で言いながらも篭絡するような態度をとり、甘ったるい麻酔を口頭で投与し、心と絆と情を丁寧に解き分解すようにして人間を惑溺に至らせる措置を好む。
なぜ。
なぜ、怪我を治さずに放置しているんだ……? この原作との相違点は、一体、なにを意味している……?
俺の眼前で。
ライゼリュートは、くんくんと鼻を鳴らし顔面を歪める。
「い、いやな臭い……アルスハリヤぁ……く、クラスにひとりはいる自分が賢いと思い込んでる成績不良者……ぜ、全自動愉悦引き笑い式キモオタ……三日、カレーに浸したトレンチコート着てるアバズレ……ま、毎朝の髪のセットに3時間かけてるのに誰にも気にされてないブサイク筆頭……」
「…………」
「無言で、払暁叙事を開くな。魔力を漏らすな。七椿戦より本気を出そうとするな」
通じないとわかりきっているのに。
笑顔で、ライゼリュートへの膝蹴り(スカ)を繰り返すアルスハリヤは哀れだった。
「ライゼリュート」
上半身と下半身。
半々に分割された魔人の前で、俺は汽車の座席に腰掛け足を組む。
「この状況を引き起こしてるのは……お前だな?」
「こ、この?」
ガシガシと。
傷を掻きながら、ライゼリュートはよだれを垂れ流す。
「じょ、じょぉきょお……?」
「……木偶が」
心底、イラついているらしいアルスハリヤは舌打ちを繰り返し、隣席の背もたれの上に座り込む。
「この朧車には、参号車から壱号車までは存在しない……いや、実際には存在しているが、そこに行き着くまでの『通路』が見当たらない。一部の『抜け穴』を除いてな」
「…………」
ライゼリュートは、くんくんと鼻を蠢かす。
「俺は、一度、この現象に出くわしている」
俺は、指を一本立てる。
「魔法合宿だ。黄の寮に鳳嬢の学生が人質として囚われていた時、一室の中に詰め込まれている筈の102名の学生は姿を消していた。にもかかわらず、俺とエイデルガルトが踏み込んだ瞬間、102名の学生は突如として出現した。
あの時、使われていたのはお前の権能だ。そうだろ、ライゼリュート? そして、その時と同じように、お前はキリウ、カオウ、レイを俺たちの目からは見えなくした。どこかの誰かに頼まれて」
両目で。
俺は、眼前の魔人を捉える。
「お前を操ってるのは……誰だ……?」
「さ、さんじょぉ……!」
急に。
匂いを嗅いでいたライゼリュートは、にっこりと満面の笑みを浮かべて、俺へと駆け寄り――抱き着いてくる。
「あ、あそぼ……! あそぼあそぼあそぼ……!」
「……あの時と同じだな」
ぼそりと、アルスハリヤはつぶやく。
疑念を籠めた俺の視線に気づき、俺に取り憑いた魔人は肩を竦める。
「コイツは、かつて藤原家に飼われていた。なにを狙っていたのかは知らないが、まるで忠犬ハチ公のような八面六臂の奉公心だったよ。どのタイミングだったかは忘れたが、頭の傷はその時代についたものだ。あの頃のまま、大人しく良い子ちゃんのままでいたのであれば、エスティルパメントの探知にも引っかからず封じられることもないだろうね」
「封じられてない……つい最近、六忌避が犯されて復活したんじゃないのか?」
「否、だ。取り巻く魔力が薄すぎる。覚醒を迎えたばかりであれば、復活に要した時間分の魔力が裡に溜め込まれている筈だ。現世で肉体を長期間保ってきた魔人は、周囲環境に応じた魔力に適して馴染むようになる」
「何時から」
顎をなでろと言わんばかりに。
喉を鳴らしながら頭頂部を擦りつけてくるライゼリュートを持て余しながら、俺は、アルスハリヤへと問いかける。
「何時から、コイツは目覚めてる?」
アルスハリヤは、一本立てた指で地を指して――
「あをによし 奈良の都は 咲く花の にほうがごとく 今盛りなり」
微笑を浮かべる。
「この和歌は、藤原の盛りを詠ったものだと言われている……平城から長岡、そして平安……894年から最盛期を迎えた藤原氏は1017年まで栄華を誇る。従えた忠魔と異界に沈んだ京と共にね」
「藤原最盛の時代から……平安時代か」
俺は、愕然とつぶやく。
「でも、それは」
「さすがは僕の相棒だ、勘が良いな。僕も疑問に思った」
人を相棒呼ばわりした魔人は、立てた指を口元へと持っていく。
「魔人が現世に留まり続けるには、根源となる『存在証明』を生み出し続ける必要がある……飢えた獣が血肉を欲するようにして、己をこの世に繋ぎ止めるため魔人は根源に基づき行動し続ける……僕で言えば『興味』、フェアレディで言えば『幸福』、七椿で言えば『饗宴』……ライゼリュートで言えば……」
「『悔悟』……」
俺はつぶやき、アルスハリヤは頷く。
思わず、俺は考え込む。
悔悟……誰の悔悟だ……? 平安の時代から色濃く薄れることない嘆きと後悔……それこそ、1000年も昔から受け継がれてきた……キリウの言っていた長和六年の禍と関係があるのか……1000年も前から、先祖代々続く恨みつらみがあるとでも……?
――三条家の始祖……三条屍による簒奪劇
脳裏に、エイデルガルトの言葉が響く。
――死傷者数は幾万数多
反響し渦巻く。
――当時、藤原に纏わる人間は、ほぼ死に絶えたと聞くわ
長和六年の禍、三条屍による虐殺、その殺戮劇を悔いた三条屍の悔悟がライゼリュートをこの地に留めているのか……?
いや、有り得ない。
時期的には一致するが、普通の人間であった筈の三条屍が1000年もの間、生きていられるわけもない。もし生きていたとしても、なぜ、三条家が崩壊しつつあるこの現状を静観していられる。
幾万数多を殺してでも手に入れた三条家が潰えてゆく瞬間を静観するわけがない。
だとしたら誰が。
誰の『悔悟』が――ライゼリュートをこの地に繋ぎ止めている?
「ライゼリュート」
俺は、眼下の魔人を見下ろす。
「お前の飼い主は誰なん――」
眼。
俺を見上げたふたつの目玉が、薄暗がりの中で不気味な光を放つ。
真っ白で。
純真無垢な視線で、彼女は俺を絡め取る。
「もう遅い」
画。
裂けた喉から。
口唇はぴくりとも動かさず、その空洞から魔人はささやいた。
「お前には、なにも救えない……もう既になにもかもが……」
汽車が、ゆっくりと――
「終わった」
止まった。