ラプラスの悪魔は賭けをしない
――朧車。
そう銘打たれた蒸気魔導機関車に乗り込んだ瞬間、独りでに変形した扉はカメラのシャッターを思わせる動きで閉じる。
「後戻り」
両手をパーカーのポケットに突っ込んだ月檻は、顎で扉を指してささやく。
「出来ないみたいだね」
パッと。
すべての電気が消えて――点く。
足元に張り巡らされた導体と導線の紋様、一本の大樹の枝葉を思わせる蒼白い線と形、それらは仄明るい蒼白を瞬かせながら電灯と化す。
頭上に光源はなく、足元の光明のみが車内を照らした。
心許ない光量によって、蒼白く照らされた俺たちは、急激に暗さを増した車内を見渡し――顔を青くした寮長は、わなわなと震えながら外を指差す。
「ヒイロ、いや、そんな! アレは何だ! 窓に! 窓に!」
「なんすか、寮長、そんなホラー映画によくありそうなセリフで人のSAN値下げようとしちゃって。
俺のように勇猛果敢な男の子は、そんじょそこらの子供騙しでは声ひとつ上げたりしませ――きゃぁああああああああああああああああああああああああああああああああ!! いやぁああああああああああああああああああああああああああああ!!」
窓。
その窓には、映り込んではいけないものが映り込んでいた。
「星……」
ラピスがささやき――俺の大声でひっくり返った寮長以外の三人は、慌てて窓にまで駆け寄り、満天の星空を見上げる。
下りた夜の帳の中で、星の海が漂っている。
空を流れる天の川、地上にまで届いた銀河系の艶姿。散りばめられた光と光が手を繋いで、黒と青と白の雲状の光の帯と化し、宵闇の静けさをそっと切り破いて、うねりくねる光粒の河川となっていた。
「どう見ても」
窓枠に肘をついた月檻は、楽しそうにつぶやく。
「数千円くらいで見られるプラネタリウム、ってわけじゃなさそうだね」
「昼夜が逆転しちゃったってこと……? ついさっき乗り込んだ時は昼間だったよね?」
腰を抜かした寮長は、ぶんぶんと人差し指を振りながら叫ぶ。
「た、祟りだぁああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああ!! わ、わたしが、昨日、リリィが楽しみにしてたケーキ食べちゃったからぁああああああああああああああああああ!! リリィの祟りだぁああああああああああああああああああああああああああ!!」
「け、ケーキくらいで、遠路はるばるココまで祟るなんて……! どれだけケーキが食いたかったんだよ、リリィさん……ッ!!」
「全呪術的責任を押し付けられる程のポテンシャルをもつリリィさんって何者なの……?」
実際、あの女性、人を祟るくらいなら片手間で出来そうなパーフェクトメイドだからな。
改めて。
俺たちは、車内を見回して内装を確認する。
二席が1対ずつ向かい合ったBOX席が20BOX、座席番号は旧漢字で割り振られており、そこには魔法的な仕掛けは施されていない。
俺たちが乗車した肆号車の一端は展望ラウンジになっており、もう一端には参号車へと続いているであろう扉があった。BOX席の座席はモケット地、木製の窓枠に収まっている窓は三段式で開閉可能となっている。
「怪しいところって言ったら」
月檻は、床の導体を踏み鳴らす。
「下、かな」
「魔法……でも、昼と夜を反転させる魔法なんて聞いたことない……だって、要はこの星の自転を操作するってことでしょ……? 星の自転速度なんて弄ったら地殻変動やら地震やら火山活動でめちゃくちゃになるし、その道の頂きに立つニュートン卿に『魔法で昼と夜を反転させられるか』って聞いたら鼻で笑われておしまいだと思う……」
「転移」
顔を青くした寮長は、俺の肩に顎を載せてささやく。
「転移ならどうだ? この機関車の扉が次元扉になっていて、別の場所に転移しているとか?」
「転移先の現界に」
月檻は、親指を下に向けて水面に映る天の川を指し、続いて、真っ暗闇の中に辛うじて映る三条櫻を指した。
「全く同じ場所が存在すると思う?」
「ココは異界、平安異京、さっきまで居た場所と全くおんなじ。外因性魔術演算子の質と量からして間違いないと思う」
引き金を引いたラピスは、手元に緑色の光玉を作り出し、数メートル飛ばしてから掻き消した。
「な、なら、ココはどこなんだ……? さっき、ラピスが言ったように、昼と夜を切り替えるなんてこと魔法でも不可能なんだろう……?」
「…………」
考え込んだ俺は、己の中で言葉を発する。
ひとつだけ。
ひとつだけ、この現象に説明がつく『答え』は存在する。
「ヒーロ」
座席の背もたれの上に座って、足を組んでいるアルスハリヤは俺を指で招く。一瞬で、嫌な顔を形作り、げんなりしながら俺は魔人の呼び出しに応じた。
「なんだよ、お前としゃべってるとブツクサ独り言男子になっちゃうだろ」
「ライゼリュートとは戦うな」
俺は、目を見開き――真顔のアルスハリヤを見つめる。
「どういう意味だ」
「さすがの君でも、言語を解する能くらいは持ち合わせてるだろ。同じことを二度言わせるなよ。ヤツとは絶対に戦うな。逃げろ。なにがあっても会敵するな。猪突猛進型の正義の味方ぶりは、今回ばかりは鳴りを潜めさせろ」
「理由は?」
「もう」
アルスハリヤは、つぶやく。
「我々は敗けている」
黙りこくったまま、俺は、アルスハリヤの向かいの席に腰掛ける。
「……お前でも無理か?」
「無理だ。手がない。全盛期の僕であればやりようは幾らでもある。ただし、それは、ヤツの舞台上に上がるまでの間の話だ」
「…………」
「やめろ」
アルスハリヤは、両眼で俺を射抜く。
「良いか、ツキってものは何時までも続かない。この世には、幸運も不運もないんだよ。在るのは、ラプラスの悪魔だけが見て取れる、ありとあらゆる因果に惹かれた必然性だけだ」
とんとんと。
アルスハリヤは、踵で背もたれを蹴りつける。
「勝ち目はあるだろ、俺たちには……ひとつだけ」
「おいおい、幸運の女神にディープキスでも強請るつもりか? 君のその貧相な面構えで、女神が肢体をベッドに乗せると思うか?」
「寝台に乗らなくても、賭博台には乗らせてやるさ」
無表情で、アルスハリヤはつぶやく。
「幸運と不運の狭間で、賭けしていてもヤツには勝てない。
ライゼリュートには――」
ちかちかと。
足元の導体が点滅し――闇――
「幸運の女神が無限に憑いている」
光へと切り替わる。
眼前の視界が開けた瞬間、ガタンゴトンと列車は走り出しており、向かいの席にはひとりの少女が座っていた。
頭と顔半分に巻いた血まみれの包帯。
白と黒の襤褸を繋ぎ合わせている継ぎ接ぎ装束。
崩れかけている全身は、薬臭さを発しながら辛うじて人の形を保ち、もぞもぞと襤褸の内側で蠢く複腕と複足が呼吸する度に外側に突き出す。
左半分だけ露出した尊顔だけが見目麗しい少女を演出し、異常めいたアンバランスさを見せつける。
胸。
胸には一本の画が入り、そこからはひとつの魔眼が覗いていた。
「う、うちぃ……」
彼女がしゃべる度に。
左側の口の端からよだれが這い出て、顎を伝って垂れ落ちていく。
「さ、さが、さがしてるぅ……さがしてる……さ、さんじょぉ……さんじょぉのにおい……さんじょぉは……すきぃ……」
俺は。
目を見開いて。
凍りついているこちらの前で、にっこりと笑っている少女の名を知っている。
「み、みなかった……?」
第二柱、画骸のライゼリュート。
書籍版の店舗特典の詳細について、作者ページの活動報告で報告させて頂きました。
書籍版の発売日(4月25日)まで、一ヶ月を切りました。
続刊判断に繋がりますので、ご予約、もしくは発売一週間以内での店頭でのご購入をご検討頂けますと大変助かります。
よろしくお願いいたします。