かつての歴史とかつての戒め
ぼんやりと。
闇に慣れた眼が、眼前の光景を映し出す。
暗がりの奥に潜む木製の格子、錠前がかかった出入り口、四畳半ほどの大きさの座敷。
座敷牢。
半壊しているその牢屋の扉は半分取れかかっており、冷たい地面に下端を触れ合わせていた。
カビが生えて黒ずんだ畳からは異臭が放たれており、欠けた椀が無造作に転がっていて、呑み口に傷が残っている瓶が横倒しになっている。
「憶えてらっしゃいますか?」
侍衛頭は、気遣うように小さな声でささやく。
「幼少の頃合いで記憶にないかもしれませんが、かつて、貴方もココで一時を過ごしたことがある。当代様の鶴の一声がなければ、今でもこの暗中に沈んだまま浮き上がってこれなかったかもしれない」
「一時どころか永遠に近寄り難い、理想のマイホームとは縁遠そうなとこだが……閉じ込められた理由は、俺が男だから?」
背もたれが傾いている椅子を勧め、俺を座らせてから彼女は肩を竦める。
「藤原の慣わしと言った方が正しいかもしれませんね。藤原最盛の時代から、臭いものに蓋をするというスタンスは変わっていない」
「ね~ね~、きょ~さま~」
四人の緋色羽織の少女たちに囲まれて。
手ぬぐいで血をこそぎ落とされているワラキアは、回収していた俺の左腕を切断面に押し当てながら小首を傾げる。
「フジワラーってなんですかぁ? 格闘タイプのポケ○ン?」
「それはシマムラーね」
「エ○ワラーだよ。なんで、サ○ムラー経由してファッションの総本山に辿り着いてんだ。ファッション戦士がポケ○ン図鑑に載る余地は一切ねぇよ」
「藤原とは」
「マジかよ、この流れでシリアストーク始めようとしてるぞコイツ」
ポケ○ントークにはノッて来ようとしない侍衛頭は、頭の包帯を結び直しながらぼそぼそとつぶやく。
「894年から1017年までの間、最盛を誇った名門氏族のことを指します。藤原不比等の政治的手腕の功績を大とし、皇室との婚姻関係を結ぶことで摂関政治を行いその地位を不動のものとしました」
「要は、天皇にハニトラ仕掛けて成り上がった家ということね」
「へぇ~、つまり、ドスケベ一家だぁ!」
底辺と底辺の理解力がシナジーを生み出し、予想だにしない不敬を生み出してる……。
自信満々のエイデルガルトとワラキアから目を逸らし、俺は打撲傷に顔をしかめている侍衛頭に顔を向ける。
「で? その藤原を黎が名乗ってたのはどういうことだよ? アイツは三条家の人間だろ? アイドルの推し変みてーに、三条から藤原に鞍替えしたのか?」
「逆だ」
「あ?」
血を拭き取りながら、彼女は口を開く。
「三条黎は、元々、藤原の人間でした。彼女の旧姓は藤原黎。藤原氏の血を引く、れっきとした血族のひとり。
だからこそ、彼女は三条家の正統後継者として担ぎ出された」
「……どぉゆうこと?」
クエスチョンマークを飛ばしているワラキアの横で、俺も意味がわからずに無言で先を促す。
「要は」
か細い。
蝋燭の火に照らされた横顔が、皮肉げな笑みを形作る。
「三条という家は、藤原という筆頭名門氏族から枝分かれした支流のひとつに過ぎないということですよ」
「意味がわからん。
なら、なんで支流の三条家がデカい顔して仕切ってて、本流の藤原家は顔すら出そうとすらしないんだよ。本家大元が藤原なら、黎が三条を名乗る必要はないだろ」
「簡単な話よ」
壁に背を預けて。
自身の腕を指先で叩きながら、耳元を弄っているエイデルガルトはささめく。
「もう、この世界に藤原は存在しないから」
「……は?」
「長和六年の禍により、南家、北家、式家、京家……藤原不比等の四子から分かたれた藤原四家に属する家々は、すべて三条に合一された。以降、藤原を名乗ることを許されている人間はいないの」
「長和六年の禍? なにそれぇ?」
「三条家の始祖……三条屍による簒奪劇」
エイデルガルトは口端を曲げる。
「死傷者数は幾万数多。貴族・官人が二千死に、諸司厨町は四千の屍体で溢れ、一般市民の一万は蝿に集られることになった。
当時、藤原に纏わる人間は、ほぼ死に絶えたと聞くわ」
「それは、三条家に恨みつらみをもつ人間がでっち上げた口伝の与太話ですよ。ひとりの人間が一夜にしてそこまでの人数を殺せるわけがない」
「さて、どうかしらね。
三条屍は、藤原の地位を簒奪するため、乳飲み子の頃から連れ添ってきた家族同然の知己すらも殺したと記録にある。現在と比べれば、男性に対して差別意識が薄かった人々に、『男』という存在に対する忌避感を後押しした事件とも言われているわ」
侍衛頭のため息に対し、エイデルガルトは不敵な笑みを浮かべる。
「えっと、つまりぃ~? 元々、藤原さんって人がすんごく力を持ってたんだけどぉ~? 三条さんっていう人が横からやってきたかと思えば、いーっぱい人を殺して、藤原さんの権力やら地位やら名声やらを奪い取っちゃったってことですぅ~?」
「WAO!! 強強理解力ぅ!!」
「やぁ~ん! きょー様の強強絆力ぅ~!」
俺に褒められたワラキアは、ハートマークショップを飛ばしながら、撫でて撫でてと腰に縋り付いてくる。
「でもぉ? クエスチョンひとつあるんですけどぉ?」
俺の膝に頬を押し付けながら、ワラキアは手を挙げる。
「そんな、人間なんかをたくさん殺したくらいで、藤原さんの代わりになれるわけなくないですかぁ~? そんなこと許されるなら、わー、今からカードショップのオタク皆殺しにしてくるよ~?」
「カドショのオタクの命で天下を取ろうとするな。俺の百合百合エクソシ○ターデッキで叩きのめすぞ」
「グッドクエスチョンね」
耳を弄りながら、エイデルガルトは答えようとし――
「三条屍は――」
「三条屍の先祖は、天皇との縁故があり、藤原と肩を並べる機会を得ていたんですよ。その縁を使った屍は、魔祓いの陰陽師として平安京に入り、藻女と呼ばれていた妖狐を祓うことに成功し、ヤミ陰陽師との抗争でも活躍しました。
皇室の覚えも実に良く、許可も得ず勝手に名乗っていた三条の姓を授かり、彼が引き連れていた娘たちも西園寺と徳大寺の姓を承った」
侍衛頭に説明役を奪われたエイデルガルトは、愕然とした表情で彼女を睨めつける。
「西園寺と徳大寺……」
――藤原、三条、徳大寺、西園寺の四家にて巫蠱継承の儀を執り行い、次代の継承本家を裁定する
考え込む俺に対し、侍衛頭は微笑みかける。
「なんとなく察しはついていると思いますが、三条華扇の本姓は西園寺、三条霧雨の本姓は徳大寺……元を辿れば『藤原』に辿り着く血筋の人間で、三条屍に付き従った手練れの陰陽師を祖とします」
「長和六年の禍を契機に、三条家に吸収されてたのか……」
俺はささやき、侍衛頭は頷く。
「なら、巫蠱継承の儀っていうのは」
「三条屍が取り決めた規則のひとつ。長和六年の禍を契機にひとつになった四家が、本家本元を決めるための簒奪劇の再演劇、再度の分裂と統合を果たすために設けられた一条の蠱毒」
ぽたりと。
開いた傷から、地面へと血が滴り落ちる。
「正しい血がどこに在るのかを決める――存在証明の闘争」
言葉を失って。
俺は、思わず問いかける。
「そんなことしてなんになる……? また、人を殺すことで、権力の行き先を決めようってのか……?」
「血が流れて、血の行き先は決まった」
彼女は、つぶやく。
「ならば、同様のことをするまで」
ゆっくりと。
顔を上げた三条家の守護者は、俺のことを見つめた。
「当代様の死を契機に楔はなくなり、三条はまたバラバラになろうとしている……もし、当代様がまだ生きていれば、その采配を振るい次代の三条を指名し、三条家は盤石のまま進んでいた筈……今となってはもう遅い、三条を繋ぐには巫蠱継承の儀で勝利を収め他三家に力を示す他はない……」
潤んだ瞳の中で、俺は溺れ続ける。
「他の三条家の人間では、藤原には……西園寺には……徳大寺には……勝つことが出来ない……貴方しか……貴方しかいないんだ……次代の継承家を『三条』とするには……貴方が巫蠱継承の儀で勝つ他ない……」
「断る」
「貴方しかッ!!」
ワラキアを押しのけて、彼女は俺に縋り付く。
「貴方しかいないんだッ!! この家を救えるのは!! 貴方しか!! 貴方しか!!」
「え~? その三条家ってのが云々っての、きょー様になんか関係ありますぅ? 後、気安く触んないでね~?
はい、ど~ん!」
ワラキアに弾き飛ばされて、地面を転がった侍衛頭は悔しそうに呻く。
「ね~、きょー様、もうこんな陰気臭いところ飽きたし、とっとと脱出してニンニクたっぷりの二郎でも食べ――」
投擲。
俺へと投げつけられたイヤホンを目にも留まらぬ速さで掴み取り、しげしげと眺めたワラキアは投擲手を見つめる。
「なにこれぇ? ニンジャーさん?」
無言で。
目を閉じたエイデルガルトは、とんとんと自身の耳元を叩く。
その指示に従って、俺はワラキアから受け取ったイヤホンを右耳に身に着けた。
『は~い、オタクくん、ご機嫌いかが? ねぇねぇ~、シリアスシーズン開幕からのご提案なんだけどぉ』
この場にそぐわない明るい声が耳朶を叩き――
『カオーちゃんと手を組まない?』
俺は、無言でエイデルガルトを見つめた。