弔問を叩く
「三条黎は、自らの手で選択しましたよぉ」
水着姿のウェイターに運ばせたジントニックをあおり、ネクタイの先端を弄びながらキリウは口端を曲げる。
「あの子は、正統後継者への道程に足を置いた。
要は、彼女が姿を消したのは――」
「俺のためか」
腕を組んでガラス壁に背を預けた月檻は、ゆっくりと目を閉じる。
演技ぶった動作で、キリウは両手を広げた。
「愛。愛、愛、愛……実に良いじゃないですかぁ。陳腐で普遍的でくだらなくて、大衆向けの広報が打ちやすそうな主題。演目の最後に、主人公とヒロインのキスシーンを置けば完璧だぁ」
「レイは、俺が三条を後継することを望んでいないと思っている。いや、違うか。そう思うように、どこかのおせっかいが導いてくれたわけだ」
「実際、男が三条を後継すれば、七転八倒の結末が待ってるのは必定でしょぉ?」
「俺ならどうとでもなる」
「だが、ソレを貴方の可愛い妹が望んでいるかどうかは別」
二杯目のジントニックに口をつけて、キリウは高々と杯を掲げる。
「くくっ、自己犠牲は、坊っちゃんだけの専売特許じゃなかったってことだ」
哀切の破片を踏みつけた魔女は、長い足先を揺らして苦笑する。
「このままいけば、レイお嬢ちゃんは二度と貴方の元には戻らなぃ。自ずから翼を折って、鳥籠の中で歌うことを選んだ青い鳥。幸福の旗印を抱えた三条家は、二度と、その羽を地面に落とそうとはしないでしょぉ。
でも、この最悪の盤面をひっくり返せる奇手がひとつだけある」
「……巫蠱継承の儀」
答える代わりに。
無表情のキリウは、杯を飲み干した。
「坊っちゃん、あんた、現当主に会うしかなぃんだ。死の床にある当主に、払暁叙事を開眼させたことを打ち明け、遺書に『継嗣は、巫蠱継承の儀で裁定する』と認めさせる……そうすれば、男のあんたの視界にも後継者の腰掛けが入ってくる」
「そんなことをしなくても、俺が正統後継者に――」
「なれなぃ。もうとっくの昔に過ぎたんですよぉ、そんな段階はぁ。最後の最後でネックになっていた『レイに三条を継ぐ気がない』という障害がなくなり、分家連中は既にレイが後継した後のことを見定めて動き始めているぅ。
金と利権が絡んだ野犬を黙らせるには、文句のつけられないような一手を打って躾け直す他はなぃ」
杯に杯を重ねて。
アンバランスなタワーを立てたキリウは、今にも崩れ落ちそうなその杯の塔の中へとゼリービーンズを投げ入れる。
音を立てて、その塔は崩壊し――彼女は笑んだ。
「坊っちゃん、あんたが積み上げてきた計画はもう瓦解したんですよ」
「なるほどな、コレで確定した」
俺は、微笑み返す。
「自殺呪詛をかけたのは、お前じゃなくてカオウか」
ぴくりと、身動ぎしたキリウのネクタイが揺れる。
「カオウは、俺を潰すことでレイを救おうとしたな」
「…………」
「俺という弱みが、極上の切札になることをカオウは察知していた。だから、あの魔法合宿で、俺に自殺呪詛をかけて殺そうとした……いや、恐らく、俺がその程度では死なないと理解した上で、仮死状態にまで追い込み、お前の魔の手から俺を隠そうとしたってところか」
「…………」
「俺とレイ、このふたりを跡目争いから除外して、お前と決着を着けようとしたってところだろうな。
まぁ、その場合、お前が勝ってバッドエンドだったろうが」
笑ったまま、俺は崩れた杯の山を積み直す。
「良いね、やろうぜ。その『巫蠱継承の儀』ってヤツを挟まない限り、お前が三条を継ぐ目はないってことなんだろ?」
肘を突いて両手を組んだまま、黙り込む長身の像。
「安心しろよ」
立ち上がった俺は、その三条霧雨という名の作品の頭に手を置き――なだめるように、ぽんぽんと叩いた。
「しっかり……躾け直してやるから」
「…………」
無抵抗のキリウの頭を優しく撫でながら、俺はその顔を覗き込む。
「楽しもうぜ、可愛い子ちゃん……その牙、全部抜いて、ラブリーなリボンを首に巻き付け、ポメラニアンみてぇなつぶらな瞳で『愛』を歌えるようにしてやるよ……お前が諦めてきたモノ全部、眼の前で積み上げ直して、浮かれたガキみたいにはしゃがせてやる……俺もレイもスノウも、そしてお前にも、帰るべき家があるんだよ……」
俺は、笑う。
「俺たちは、家に帰る」
ゆっくりと。
顔を上げたキリウは、虚無が潜んだ真っ黒な目で――言った。
「ぼくに……帰る家なんてない……」
じじっと。
視界に靄がかかって、目に激痛が走り、キリウの顔と口を借りた見知らぬ少女は泣きながら訴える。
「帰りたい」
血。
「帰りたい、三条に」
だくだくと、口端から血の筋を滴らせながら彼女は言う。
「三つの条は」
血と涙が混じり、俺の足先へと滴り落ちる。
「交わらなかった」
バチンと。
意識が弾けて、よろけた俺は月檻に支えられる。
「ヒイロくん……?」
目元に手を当てる。
べったりと血がへばりつき、拭っても拭っても溢れてくるソレを眺め、こちらをじっと観察するキリウに目を向ける。
「…………」
キリウは。
キリウは、なにも知らない……カオウの時と同じ……俺にだけ視えているコレはなんだ……?
月檻に支えられた俺は『Dionysos』から外へ出て、よろけながら裏路地にまでやって来たところで――
「ぉぇええええええええええええええええええええええっ!!」
「あらら」
勢いよく、俺は嘔吐する。
しゃがみ込んだ月檻に背を撫でられながら、胃の中身を吐き出した俺は、四つん這いのままでえづく。
「だいじょぶ? どしたの、急に? お水は? はい、あーん」
「おべべべべべべべべ」
ミネラルウォーターをぶっかけられた俺は、強制うがいをさせられ、テキパキと介抱を続ける月檻に身を任せる。
「き、気持ち悪ぃ……なんだ、あの場所……百合からかけ離れた質の悪い悪夢を見せられて、臓腑の底から嘔吐感が……絶対、なんか仕組んであっただろ……月檻、お前、大丈夫なの……?」
「外出たら治ったけど?」
この腐れチートが……。
小首を傾げて、俺の背中をぽんぽんしている月檻へと視線を向ける。
「お前、夏休みなにしてたの……?」
「なに、ナンパ?」
「新学期で久々に会う友達とか親戚のオジサンオバサンも、お前のこと急にナンパし始める変人になるけど大丈夫?」
ちょいちょいと。
俺の背中を指先でなぞって遊びながら、月檻は「んー……」と唸る。
「別になんにも」
「いや、だってお前、今日の様子は――」
「ヒイロくん」
立ち上がった月檻は、綺麗に微笑む。
「粘っこい」
「俺、納豆やん……」
スタスタと。
俺を置き去りにした月檻は歩き出し、吐いてスッキリした俺はその背中を追いかける。俊敏な黒猫のように雑踏に紛れ込んだ月檻は、右へ左へと人の目を翻弄し、気が付いた時には姿を消していた。
「ちっくしょ、アイツ……反抗期の中学生かよ……」
「珍しくフラれたな」
久しぶりに姿を現したアルスハリヤは、俺の頭上でふよふよと浮きながらあくびをする。
「中々、面白いことになってるじゃないか。僕が手練手管を尽くさなくても、お姫様を救うため龍が棲み着く塔へと向かう騎士の役を仰せつかっているんだから。そろそろ、絵本の表紙でも飾ったらどうだ?
で」
わくわくとしながら、アルスハリヤはぺしぺしと俺の額を叩く。
「何時、三条家に殴り込みをかけるんだ? ん? サボってないで、とっとと、僕の愉悦ゲージを溜める作業に取りかかれよ」
両手をもって。
ビダンッと、俺はアルスハリヤの全身をコンクリに叩きつける。
「黙れ、お前、絨毯に加工してペルシャに出荷するぞ」
「しかしね」
むくりと、のっぺりとしたアルスハリヤは顎を上げる。
「囚われのお姫様たちが可哀想じゃないか。愛しの君から離れて、心細いに決まっている。毎夜、毎夜、君を想って涙で枕を濡らしているに違いない。世界名作劇場みたいな、オールタイムベストめいた悲劇じゃないか。
そんな傷心の彼女らの心に寄り添った、心優しい僕からの素敵な提案だが……現在から、突撃華族の晩御飯しようじゃないか」
「いやだよ。お前、そんな深夜の大学生みたいなノリで特攻かけてたまるか。俺なんか最近、目から血っぽい液体がめっちゃ出てんだよ」
「ただの尿だろ」
「この歳で、尿漏れの症状が目玉から出始めてたまるか」
「なら、血尿だろ」
「なんで、お前、頑なにアンモニア要素外そうとしねぇんだよ。尿漏れじゃねぇっつってんだろ。俺の清らかな心が清流となって、目の端から流れ落ちてんだよ。マイナスイオンダダ漏れだろうが」
肩を竦めたアルスハリヤは、薄汚いゴミ箱に腰掛ける。
「ま、慎重になるのは結構だがね。君のブランディングを任せられているトータルコーディネーターのアドバイスを聞き給え」
俺に取り憑く悪魔はささやく。
「僕としても、あのふたりを失うのは困るんでね。
初手の動かし方には、ささやかな老婆心をひとつまみ……騎士が跨る白馬と腰を飾る聖剣、序でに従者もつければ見栄えが良い。そろそろ、塒で姫を囲って、金塊に執着する邪な龍の鼻面に花束を贈呈しようじゃないか」
アルスハリヤの語る計画を聞いて――俺は、口端を吊り上げる。
「……こういう時の考えは、クズのお前とでも合致する」
腐臭のする路地裏で、プラスチック製の蓋で覆われたゴミ山の上で魔人は嗤って――光から影に踏み出した俺は笑い返した。
「待ちに待った三条家攻略戦だ」
「あぁ、ようやく、待ち焦がれたイベントのお待ちかねだな」
光と影。
電灯の光に紛れた人ならざる者とその影が作り上げた両腕は、綺麗に交わり、魔鳥の翼と化して路地裏に投影される。
「「派手にいこう」」
天。
宙。
地。
そして、花。
「良い天気だなぁ」
真っ黒なスーツを着崩した俺は、緩んだネクタイを揺らしながら笑う。
「えぇ、実に」
目を伏せたシルフィエルは、俺と同じスーツを着こなして首肯する。
「それって、わーのお陰かなぁ? わー、超幸運の天気女で雨とか一度も見たことないしぃ、幸運の女神に惚れられちゃってるぅ?」
スーツの胸ポケットから、手鏡を取り出したワラキアは前髪を直しながらつぶやく。
「バカに惚れる女神はいない。コレは確実」
着慣れないスーツのシワを気にしながら、ハイネは骨型の短杖を放り投げては掴み直すを繰り返す。
片喰に唐花の家紋。
四脚門に刻まれた御大層な家紋の前方で、前面が潰れた高級車がハザードランプを点滅させながら警告音を掻き鳴らす。天高く昇る煙は線香のように漂って、喪服を着た俺たち四人を浮かび上がらせる。
崩れ落ちた人、人、人……。
門に引っ掛かった魔法士が地面に落ちる。
四方八方から上がる呻き声、吹き飛んだ門柱に破壊痕を残した舗装路、漆喰に戦闘痕のアートを描いた刃と刃。
大量に動員された一山幾らの魔法士は門前で『死屍累々』のコーナーを作り上げ、その陳列棚を任された魔人の一門は四方山話に花を咲かせる。
献花。
俺が肩に担いだ純白のガーベラの花束。
秋の涼風に乗った白い花びらは、そよそよと宙を流れながら三条家の家紋をくすぐる。
ある者は、花束を捧げて。
ある者は、主人に同調し。
ある者は、車体に腰掛け。
ある者は、人山に手向け。
魔人とその眷属は、門前でその存在を露わにする。
震えながら。
着物に身を包んだ女性は、毅然とした態度でささやいた。
「この三条に……何用ですか……?」
「見りゃあわかんだろ」
俺は、献花で自身の肩を叩きながら笑った。
「弔問だよ」
風に流れたガーベラの白い指先が――門を叩いた。




