三条燈色の鮮やか墓穴掘り
低スコア用の第三食堂。
テーブル席を囲む円形の仕切りによって、ようやく人目から解放された俺は安堵の息を吐いた。
「どこかの誰かさんは、凄い人気で良いですね~」
どことなく。
不貞腐れた態度のラピスは、俺の前にパステルピンクの弁当袋を置いてから腰を下ろす。
俺の隣に。
「……なんで、隣?」
肩と肩が触れるか触れないかの距離感、机に突っ伏したラピスはこちらを見上げる。
「ダメ?」
「普通、こういう場合は対面じゃない? なんか、距離感が何時もと違うような気がするし、お前と歩いてたらやたらめったら見られるし」
「なにそれ、知らないフリ?」
「知らないフリって……なにが?」
己の両腕に口元を埋めたラピスは、頬を紅潮させてからじとっと俺を見つめる。
「私たち、恋人同士だって思われてるんだけど」
「へぇ…………ぇぇえええええええええええええええええええええええええええええええええええええええええええええええええん!?」
「すんごく綺麗なクレッシェンド……」
思わず俺は起立し、ラピスにくいくいと服裾を引っ張られて座る。
「な、なんで……?」
「な、なんでって……魔法合宿で……ヒイロが……」
なぜか、ふにゃふにゃになっている口元を隠しながらラピスはささやく。
「わ、私に……公開告白したって……聞いたよ……」
「してねぇ!! 俺が公開して良いのは脱糞だけだッ!!」
――ヒーくんは、ラピス・クルエ・ラ・ルーメットと付き合ってるわよ
頭の中で。
魔法合宿中、校内放送でアナウンスされた蒼い悪魔の嘘八百が呼び起こされ、俺は拳を机に叩きつける。
「あ、あの女ァ……!!」
どういう風に噂が広まって捻じ曲げられたのか。
あの校内放送は俺の公開告白へと変化しており、スポンサード・アールスハリーヤ教徒の文字が脳内で七色に発光しながら踊った。
「ははは、笑止千万、片腹痛し、食堂に相応しき噴飯物よ。まさかラピス、そんな戯言を信じてるわけなかろうな? ははは、愉快愉快」
「あ、あはは、も、もちろんでしょ? きゅ、急に、ヒイロが私に告白するなんてねぇ? 有り得ないよね?」
「あははははは、そうだよなぁ?」
「あ、あはははは」
「…………」
「…………」
「……ら、ラピスさん」
「え……な、なに……?」
「な、なんか」
俺は、ハーフツインテール姿で薄ピンクのリップを塗り、ネックレスとイヤリングで飾り付け、普段はつけていない香水の香りを漂わせ、何時もよりもスカート丈が短いお姫様に横目を向ける。
「夏休みが明けて、お変わりになられました……?」
「な、なにが……? い、いつも通りだよ……?」
「そ、そうですか」
「う、うん……」
笑顔で。
俺は、ラピスが渡してきた弁当箱を開けて――飛び出てきた伊勢海老を見た瞬間、目にも留まらぬ速さで蓋を閉じた。
「…………」
俺は、静かに頭を抱える。
姫殿下、はしゃいでる……収まりきらないウキウキが、弁当箱から飛び出ちゃってる……幾らお嬢様学園だからって、弁当箱に伊勢海老詰め込んでくるマドモアゼルはいないよ……いたとしたら、我らがお嬢くらいのもんだよ……やっぱ、お嬢はすげぇよ……。
「は」
顔を真っ赤にしたラピスは、あわあわと立ち上がる。
「はしゃいでないからーっ!! べつに!! はしゃいでないからーっ!! そ、そんな噂に惑わされるわけないじゃーん!! あははー!! ひ、ヒイロったら、名誉毀損罪で法廷バトルにご招待しちゃうからねー!?」
「う、うん、そうだよね。うん。とりあえず座ったら? うん?」
「ま、まぁでも……」
綺麗に整えてきた爪をいじりながら、耳まで赤くしたラピスはちらりと俺を窺う。
「ちょびっと……嬉しかった……かも……?」
「おい、シャワー浴びとけよ」
「シャワー?」
戦慄する俺の背後で、アルスハリヤは顎を少し上げてつぶやく。
「今日、抱くんだろ?」
ドクズが……。
「ひ、ヒイロはどう思った……? 現在、私と付き合ってるって噂聞いて……?」
俺の裏拳が顔面に入り、宙空で悶絶している背後のドクズを無視して、大量の汗を流しながら俺は頷く。
「ら、ラピス、そんなことよりも大事な話があるんだよ」
「大事な話……?」
猛烈な勢いで頭を回転させて、俺はどうにか話をズラそうとラピス関連の話題を探る。
「神殿光都に! そう、神殿光都に行きたいんだよ! どうしても、俺、神殿光都に行かないといけなくてさ! 詳細は言えないんだけど、神殿光都のお偉いさんと会える機会を作ってもらえたりしないかな!?」
「神殿光都のお偉いさんって……大体、私の親族だけど……」
「なら、そう!! ラピスの親族に会いたい!! そこまで急ぎじゃないけど、重要な用事があるんだよ!! 俺の今後に関わるんだ!! 頼む!!」
「えっ……それって……」
首筋まで。
一気に朱色が広がっていき、よろめいたラピスは思い切り椅子を後ろに倒した。
「え……そ、そんな急に困るって言うか……あ、そういう……わ、私、この気持ちがそういうのかはわかんないから……でもまぁ、先に会っておくのは良いかもだよね……う、うん……そっか……わ、わかった、オーケーオーケー……」
音を立てて仕切りにぶつかり、クロスさせた両腕で自身の顔面を隠しながら、よろけているラピスは俺から遠ざかろうとする。
「ひ、ヒイロがそう思ってるなら、私もちゃんと真剣に考えるから……う、うん、わかった……そっか……うん……嫌じゃないよ、嫌じゃないから……だ、だから、ごめん、ちょっとだけ待って……」
「待って!! ごめん、一回、タイム!! 頼む!! まだ、正常に頭が回転していない状態で!! 事態が最悪なケースに向かっている悪寒がする!!」
「も、もし、まだ話したいことあったら……」
腕の隙間から、ラピスは俺を見つめる。
「わ、私の部屋……来ても良いから……」
「…………」
「な、なーんて!! なーんてね!! あ、あはは!! じょ、冗談!! じょ、冗談でしたー!! な、なんてー!! えへっ、えへへ、な、なんてねー!! あははー!! いだっ!!」
あちこちに身体をぶつけながら。
俺に決して背中を見せようとせず、御尊顔は両腕でブロックしたまま、ジリジリとお姫様は仕切りから抜け出し――エルフとは思えないもたもたとした身のこなしで、何度も転けそうになりながら逃げていった。
呆然と。
俺は、その場で立ち尽くす。
「…………」
「さすがだな、ヒーロくん、惚れ惚れするくらいに美しい百合破壊だ。サポートもなしに、自分の手で自分の墓を掘って完成させる自殺癖……真似しようと思っても出来やしない。君は、何度、僕の横隔膜を損傷させれば気が済むんだ。笑い死ぬぞ。
というか、君、わざとやってるだろ? 本当は、美少女にモテてウハウハしたいんだろ? そういうことだろ?」
「…………」
「ヒーロくん?」
「…………」
アルスハリヤは、そっと俺の左胸に耳を当てる。
「し、死んでる……」
慌てて。
心臓が止まった俺を操作したアルスハリヤは、必死で左胸に握り拳を叩きつけ始める。
「ば、バカが!! 女に部屋に呼ばれた程度で、心臓を止めるヤツがいるか!! この程度で心臓を止めてたら、この先、頭の先から爪先まで爆散しても足らないぞ!! 戻ってこい!! 僕の愉悦のために!! 死後の愉しみがなくなるだろ!! 死ぬな、僕のためにもっと苦しめ!!」
「…………」
あの世から連れ戻された俺は、天井を見上げたまま横たわる。
数分が経過して、視界に人影が差した。
「…………」
「ヒイロくん」
仰向けの俺を跨いで、髪を垂らした月檻はひらひらと手を振る。
「なにしてるの? パンツ覗き?」
「…………月檻」
「ん?」
「…………そろそろ、恋愛したくなったりしない?」
「ん~?」
俺の腹にどすんと座って、月檻は俺の胸に人差し指を突きつける。
「キミと?」
「…………」
「はいはい、泣かない泣かない」
よしよしと頭を撫でられて、笑顔の月檻は立ち上がって指をくるくると回した。
「現在は良いかな」
彼女は、ゆっくりと口端の歪みを大きくする。
「ようやく、面白くなってきたし」
俺へとガムのパッケージを投げつけて、月檻は腰にぶら下げている魔導触媒器を揺らしながら去っていく。
「ヒーロ」
アルスハリヤは、その背を見つめながらささやく。
「あの女は……なんだ」
魔人をひとりも倒さずして。
この夏休みを過ごしただけで、第三食堂全体を覆い包む程に膨大で強靭で化け物じみた魔力を立ち昇らせている月檻桜は、その制服の下に強力無比な魔導触媒器を潜ませたまま姿を消した。
「……普通の女の子だよ」
「普通?」
ハッと、アルスハリヤは鼻で笑う。
「我々の基準で、か?」
「…………」
「アレは魔人ではない。魔人ではないが」
アルスハリヤは、月檻が消えた方角を睨めつける。
「ある種、魔人よりも性質が悪いぞ」
立ち上がった俺は、包装紙を剥がしたガムを頬張る。
「……普通の女の子だ」
俺は、ささやく。
「俺がそう決めて、俺がそう誓った。
だから、あの子はなにがあろうとも……普通の女の子だ」
「くくっ、さてはて」
アルスハリヤは、くつくつと嗤う。
「普通の女の子の言う通り……面白くなってきたじゃないか」
「…………」
「ところで」
俺に取り憑く悪魔は愉しそうに笑む。
「君の妹君とのデートのことは考えなくて良いのか? あのカワイイ妹様は、遊園地デートをご所望らしいが?」
「おいおい、俺を誰だと思ってる」
俺は、笑いながら頭の側面をトントンとつつく。
「この中には、俺が培ってきた人生そのもの、百合の叡智がみっちりと詰まってる。相手を傷つけずして百合に誘う断り文句が、幾千幾万幾億とデータベース化されて整理整頓されてるわけだ。
まぁ、見てろ。百合界のカリスマとも呼ばわれた俺の巧みな話術をご披露してやろう。腰を抜かすなよ」
満面の笑みで、俺は自身の胸を指した。
「俺が、百合界の希望だ!!」
「お兄様!」
真っ青な空の下で、遊園地に入場したレイは俺を手招きする。
「今日は、私が案内しますから! 付いてきてください!」
「…………」
「うわぁ!!」
腰を抜かしたアルスハリヤは、ガクガクと震えながら俺を指差した。
「百合界の絶望だぁ!!」
「…………」
「お兄様!! 早く早く!!」
真顔で。
遊園地のオリジナルキャラクターのカチューシャを付けた俺は、レイに腕を引っ張られながら遊具へと誘われていった。