ヴェリホッティなクラス
夏休みは終わった。
猛暑を越えたトーキョーには秋の陰りが視え始め、子供たちは日焼け痕を『夏を楽しんだ』勲章とする。電車に乗り込む学生服の姿が一挙に増えて、どことなく憂鬱そうな表情を浮かべた少女たちは次の季節へと向かう。
2学期が始まる――
「…………」
ことを忘れていた哀れな男がここにひとり。
2学期には、生徒会が主催する9月の『五色絢爛祭』に11月の『修学旅行』……ビッグイベントがふたつ並んでおり、中でも文化祭に相当する『五色絢爛祭』は『三寮戦』と同様にメディアも入る大規模な行事となる。
原作内では、五色絢爛祭は育成的にも重要視されるイベントで、祭典の中でどう振る舞うかによって能力値の伸びや魔導触媒器の入手やルート進行に大きな影響を与える。
朱の寮か生徒会に入寮、入会している場合は、五色絢爛祭の裏側にも携わることになるので攻略上のコントロールがしやすい。ヒロインの好感度を上げやすい催しを設置出来るので、比較的楽に攻略を進めやすくなる。
2学期におけるこれらのイベントは、確かに重要だ。
重要だが……それ以上に重要視されることが、この2学期初めのタイミングで存在している。
半年に一度、中間テストと期末テストのタイミングで行われる――スコアチェックによるクラス替えである。
「…………」
E。
原作ゲームでは、狙いもしなければ配属されない最低のクラス。
何度、クラス表を確認しても『三条燈色』の横に記載されていた『E』のアルファベット。幾ら、己の目を疑おうとも、隣に立っていた月檻が「いーいー」連呼してくるので現実を受け止める他なかった。
「…………」
諦観の気持ちを抱いた俺は、Eクラスの教室に踏み入れる。
見慣れない女生徒たちは、俺の姿を見るなりひそひそ話を始めて、顔をカバンで隠した俺は窓際の自席に座った。
ゆっくりと、俺は頭を抱える。
やらかした……久々にやらかした……クラス替えのことなんて、完全に頭から消えてたわ……というか、俺、中間テストは筆記しか受けてねぇんだけど……幾ら、家柄が良くても、スコア0には実技を受ける権利すら与えてくれないんですか……。
俺は、ちらりと空席になっている右隣の席を確認する。
……有り得ないよな?
俺は、そんな奇跡が起こらないことを願って足を放り出す。
幾らあれこれ考えても、コレはもう諦めるしかない。なにをどうしたって、どうせ、俺のスコアが上がることはない。月檻たちとクラスが離れたことはマイナスでしかないが、主人公を信じてフォローに徹する他ないだろう。
もし、期末テストでAクラス……月檻たちのいるクラスに戻る方法があるとすれば、それはたったひとつの例外。
――三条燈色くん、わたしが思うに貴方は断らないと思うよ
「……糸括りの電気人形、ね」
ぼそりとささやいて、俺は大きくため息を吐く。
それにしても。
なぜ、よりによってEなんだ。
いや、わかる。スコア0がEなのは理解出来る。むしろ、CやらDやらに配属されたら疑問しか覚えない。
だが、Eはダメだ。Eだけは困る。
俺は、再度、右隣の席に目線を向ける。
ホームルームが始まる直前、この右隣の隣人以外は出揃っている現状、未だに姿を見せない透明人間……透明人間の輪郭を見つけ出そうとしていた俺は、反対方向へと首を捻じ曲げる。
気のせいだな、気のせい、気のせい。
俺は、両手をポケットに突っ込んで足を組み、Eクラスの担任教師を待ち望んで……いつの間にか、自分へと集中している視線に気がつく。
視線が集まることは珍しいことじゃない。
俺は男で、ここは女学校で、しかも名門の鳳嬢魔法学園だ。
そんなところに三条燈色とかいう歩く公然ボケカス死ねがうろついていたら、唾のひとつも吐きかけたくなるし、邪眼によって呪い殺そうとするのはお嬢様のたしなみとして受け止めることもできよう。
だが。
だが、なんだ、この感じは。
現在までとは異なる、この嫌な感じはなんだ。絶望の足音が、脳裏に響き渡っているのはどうしてだ。
「くっくっくっ……」
魔王の笑声が聞こえる。
「くっくっくっ……」
「……なにがおかしい?」
「くふっ……ふふっ……ふふふっ……」
「なにがおかしい!? なにがおかしいと聞いてるんだ!? お前!? なにを笑ってる!? 誰を笑ってる!?」
「ヒーロくん、ヒーロくん、聞こえないのか。女生徒が何か言うよ」
「……格好いい」
ぼそりと。
誰かのささやき声が耳に入り、どくんと大きく心臓が跳ねる。
「……思ってたより顔が綺麗」
「……女の子みたいだよね」
「……魔人からカルイザワを護ったって」
「……三寮戦で、黄の寮の指揮をとったらしいよ」
「……この間、駅前でよくわかんないアンケートとってたって」
「……話しかけたら?」
「……えぇ~、恥ずかしいよぉ」
はっ、はっ、はっ、と。
呼吸を荒らげた俺は、両眼を大きく見開いて、ぐにゃりと歪んだ視界の中を彷徨う。
「ひーろくぅん」
肩越しにささやいてくる魔王の猫撫で声に反応し、大量の汗を流した俺は目だけを横に動かした。
「さぁ、おいでよ。準備はとうに出来てる。女生徒と踊って遊ぼうよ。子守唄を歌っておねんねもしてあげる。いいところだぞ、さぁおいで」
「せんせぇー!! せんせぇー!! それそこに!! この世のクズが!!」
必死で救いを求めるが、担任教師はまだ現れない。
急に叫び出した俺を見ても、Eクラスの女子たちのトークは留まることを知らず、むしろ熱を帯びていく。
「……守護天使と話してるんでしょ?」
「……そう、恋の守り神だってさ」
「……入信したら、写真とか売ってもらえるらしいよ」
ぐったりと。
椅子に全身を預けた俺は、へらへらと笑いながら静かに涙を流す。
「お、おもしれー……マジでおもしれー……この夢、ホント、おもしれー……覚めてほしくないわー……あはは……有り得ないことってマジで笑える……」
「ヒーロくんの尊厳破壊は、実に健康に良いなぁ!!」
粉々にされた俺の脳から栄養分を摂取していた魔人は、見物料だと言わんばかりに俺と委員長のキスシーンの写真を机に放り投げて消える。
針のむしろ。
好奇と好意に晒された俺は、狡猾な蒼狸の言葉を思い出す。
――そろそろ、自分の立ち位置ってものを理解しても良い頃じゃない?
たすけて。
――もう、そこらの男でスコア0っていう擬態は剥がれかけてるのよ
たすけて、フリえもん。
ダブルピースしながら絶望していると、がらりと引き戸が開いて――
「「えっ?」」
目と目が合ったアシュリィ・ヴィ・シュガースタイルと俺は、ほぼ同時に同じ口の形で同音を発した。
「あ、貴方……クソガキ……! ほ、ホワイ!? な、なずぇ、このClassに!? わ、私に一目惚れの初恋かましてFall in LoveからのStalking!?」
学校教師とは思えないオフショルダートップスを着こなし、あいも変わらずのブランド趣味を披露している先生はブンブンと指を上下する。
大慌ての先生を余所目に、頬杖をついた俺は口端を曲げた。
「いや、先生こそ、なんでEクラスにいんだよ。あんた、Bクラスの担任教師だろ。新学期に教室を間違える教師とか、マリーナ先生だけで間に合ってるよ」
「な、なずぇって!? 貴方の!!」
好奇に満ちた視線。
生徒たちの注目を浴びていることに気づいた先生は、ごほんとわかりやすい咳払いをしてから髪を掻き上げる。
「ハーイ、エヴリバディ! Eクラスのティーチャー、魔法協会のインフルエンサー、人生のイニシアティブをとりまくりーのアシュリィ・ヴィ・シュガースタイルよ! 底辺Eクラスのみなさぁん、私のように美しく気高くジーニアスな教師のクラスに配属されてヴェリラッキーね~!」
「「「「「…………」」」」」
「……A, Ahan?」
自信があったらしい自己紹介をものの見事に外して、呆気にとられていた先生は、コレみよがしにBULGARIの腕時計にチラチラと目をやり――
「み、ミスタ・三条!!」
俺の名を呼ぶ。
「イエス、ミス・ジーニアス」
「クゥァモン!!」
発音が上手すぎるのか下手すぎるのか。
なにを言っているのかギリギリ理解出来る英語で呼ばれ、ざわついている教室を尻目にふたりで廊下に出る。
「あ、貴方のせいで!!」
廊下に出るなり。
先生は、俺の胸の中心に指を突きつけて大声を張り上げる。
「私の人生はHELL!! 人生エンドロール!! オーマイガッ!! どう責任を取ってくれるのかしら!?」
「あ? どういう意味?」
「どぅゆー意味もなにも!! 学園に貴方の情報をリークして、学園長とWin-Winなハンドシェイクを握ろうとしたら、あれよあれよという間にEクラスを受け持つことになって……あっという間の転落人生!!」
「あらら、それはそれは」
俺は、苦笑する。
「ご愁傷さま。先生にしては珍しく失敗したな」
「笑ってる場合じゃないわよ、BOY!!
貴方が魔人であることの明確な証拠は、私しか握ってないと思ったのに……Q派とも連絡がとれなくなったし……魔法合宿でティーチャー・シックとティーチャー・ジョディが活躍したせいで、私の影がますます薄く……」
爪を噛んだ先生は、イライラと自身の腕を抓る。
どうやら、魔法合宿での俺の戦闘場面を撮影して学園長にリークして、学園内での政治に役立てようとしたらしいが……残念無念、それ以前から俺は派手に正体を晒しており、その情報を掴んでいた学園長は俺を活用する道を選んでましたとさ。
むしろ、学園長から危険視された先生は、学園内の地位を奪われて焦燥感を煽られ、学園長のコントロール下に置かれている。俺と先生を同じクラスにして、互いに互いを見張らせることで凹凸を埋めるつもりらしい。
「そういや、先生、魔法合宿ではありがとね。良い土下座だったよ。よくキリウに殺されなかったよね」
「土下座している私を殺せる人間は存在しないわ」
……格好良いのか情けないのか、どっちだ?
顔を背けた先生は、わかりやすく舌打ちをする。
「貴方に礼を言われる筋合いはナッシング。そもそも、貴方を売ろうとした人間に御礼申し上げるなんて、日本人特有の和の精神? 理解出来ないわね」
トントンと、先生は落ち着かなさそうに足先で床を叩き――ぴたりと止まる。
次の瞬間には。
先生の顔には、ものの見事な愛想笑いが浮かんでいた。
「ミスタ・三条、貴方、とってもヴェリグなBOYよね~!!
あ~、それにしても」
くいっと。
胸元を指で開いた先生は、自信満々な笑みを浮かべて俺の反応を窺う。
「トゥデイ・イズ・ヴェリホッティ~!!」
「…………」
「…………」
「…………」
「…………」
「…………」
「…………」
「……反応しなさいよッ!!」
「いや、もう、エイデルガルトあたりで散々見慣れてるし。ポンコツエロは、もう十分というか飽きた」
「ポンコツエロ!? なんなのかしら、その無礼なカテゴライズ!?」
すすすと、すり寄ってきた先生は俺の懐に金札を入れてくる。
「ミスタ・三条~、私たちフレンズになれると思わない~? どぅゆ~、しんく~?」
「…………」
俺のワイシャツを鷲掴みにしガバリと開いた先生は、人様のボタンを弾き飛ばしながら、俺の胸元に金札を突っ込んでくる。
「どぅゆ~、しんく~?」
俺はよれたワイシャツの襟元を勢いよく直し、エロいホストみたいになった状態で髪の毛を掻き上げる。
「I think so……」
「Wow……」
俺と先生は、がっちりと握手をする。
「私は、期末テスト後のクラス替えでAクラスを狙う」
「どうやら、目的は同じようですね」
「手段は選ばず」
「目的のために協力し合い」
「「成り上がる」」
高速で。
手のひらと手の甲を合わせた後にハイタッチ、肘と肘をカチ合わせてから再度手を握り合い、お互いに引き寄せ合ってから離れ、自身の唇にまで持っていった人差し指を天高く上げてから俺たちはハンドシェイクを終える。
微笑みながら俺は教室に入って、『どうせ、裏切るんだろうなコイツ』と思いながら着席し、悪どい笑顔を浮かべた先生を眺める。
三条家の問題が片付いたら、このEクラスで『五色絢爛祭』に向けてどう動くのかを考えないとな。
そんなことを考えていたら、いつの間にやら時は流れて昼休みになり――
「さ、三条くん」
教室を出ようとした俺は、三人組の女子生徒に声をかけられる。
「よかったら、一緒にご飯食べませんか……?」
きゃー、という黄色い歓声が聞こえる。
恥ずかしそうな三人のカワイイ女の子たちを眺めて、三角関係を妄想していた俺は、今頃になって自身が昼食に誘われていたことに気づき――卒倒しかける。
「だ、誰と……?」
「三条くんと」
「誰が……?」
「私たち」
「なんで……?」
ちらっちらっと。
困っているのか嬉しがっているのか、目配せし合った彼女らは「やだー」とか言いながら肩を叩き合う。
その光景を見ながら、俺は息を荒げて心臓を押さえつける。あまりの苦しさに視界が真っ白になり、現実逃避を始めた脳が全身の機能を停止しようとしている。
百合を護る――そのためには手段を選ばないと誓った俺は、震えながら涙を流して口を開く。
「やめてくれ……」
俺は、嗚咽を上げながら微笑む。
「俺は、君たちの前で脱糞したくない……」
「脱粉?」
「脱脂粉乳のことでしょ? シチューとかに使うヤツ」
「え~? 三条くん、料理とか出来るの~?」
もう、これで、終わってもいい。
清々しい気持ちで目を閉じて、目の端から涙を流したまま俺は天井を見上げる。
だから、ありったけを……。
「ヒイロ!」
振り絞ろうとした俺は、聞き慣れた声に振り返る。
可愛らしい弁当袋を振りながら。
腰を屈めたラピスは、綺麗な笑顔で俺を呼んだ。
「ご飯! 一緒に食べよ!」
一瞬の沈黙の後――爆発的に、教室中から黄色い声が上がった。