タールの吸い方、カフェインの啜り方
「裏口も非常口も塞がれていますね。まるで、ご主人様なみの手の早さです」
エイデルガルトの誘導に従い、部屋に出たところでスノウと鉢合わせになる。
黒バニーガール姿のメイドは、とことこと俺の隣にまでやって来て、こそこそと耳打ちしてくる。
「……中で何を?」
「……カオウに会った」
「……はぁ?」
スノウは眉をひそめて、エイデルガルトが回収したノートパソコンを見下ろす。
「……画面越しだよ、アバターを使ってた。Vtuberみたいな感じ。知ってる、Vtuber? 百合営業だとわかりつつも、スパチャを投げる己にひもじさを感じるヤツ」
「……そんな特殊な楽しみ方をするコンテンツは知りませんが」
「…………」
「……どうしました? 借金してまでスパチャを投げるようになった友人でもいましたか?」
「眼が」
「は?」
俺は、自身の両眼の周囲を撫で付ける。
「……カオウが、別人みたいに視えた」
「……どういう風に?」
「…………」
黒。
その奥側にあった顔は、涙を流していた。
――貴様が愛した妹の祈りは殺したぞ、三条
「……櫻の」
俺は、ささやく。
「櫻の……香りがした……」
「ダメね」
床に耳を当てていたエイデルガルトは、ゆっくりと立ち上がる。
「隅から隅まで、隠し部屋まで網羅されてる。まるで、私のように理詰めでインテリジェンスに溢れた計画性の高さだわ。敵ながら天晴、忍者の私に気づかれずに情報を入手するとは相当手強いと見たわ」
『エイデルガルト~』
エイデルガルトが床に置いたノートパソコン、そこに映っているカオウはビットで構築されたメロンソーダを啜る。
俺は、カオウを眺めてから首を振り現状へと立ち返る。
『カチコミに来たのってあの女性?』
「そうよ。大した相手じゃないわ」
「手強いのか大したことないのか、ハッキリせーよ」
くいくいと、スノウは俺の袖を引く。
「で、どうしますか? 後方からの足音が露骨に大きくなってきているので、前にお進みくださいの合図だと思いますが」
廊下に響く足音……一、二、三、四、五。
恐らく、五人分。
「六人ね」
「耳良いね、エイデルガルトさん」
「は? なんて?」
「耳良いのか悪いのか、ハッキリせーよ。お前、なんなのさっきから」
「漫才してないで行きますよ。漫談するなら、可愛いメイドとふたりの愛の巣で出来るでしょ」
スノウは、足音とは反対方向へと進み――俺とエイデルガルトは、ボキボキと拳を鳴らしながら足音の方へと歩き始める。
「百合界隈における『順路』は『悪路』と心得る。足元にお気をつけて、順路に沿って前にお進みくださいなんて、俺にとっては唾棄すべきご案内だね。
カップリングは無限大だ、そこに正答は存在しない。百合に正解がないように、俺もまた正道を歩むことはない……六人くらいなら、正面から堂々と押し通る」
「私にも忍者としての矜持があるの。このまま、誘導に従って姿を晒すくらいなら、敵対者の骸を曝す方を選ぶわ」
「アホですか、アホにアホ重ねてアホのべき乗、脳みそにアホが詰まってんですか。どうせ、外で仲間が出待ちしてるんですから無駄ですよ」
「安心しろ、スノウ」
俺は、首を横に倒して音を鳴らす。
「お前は、俺の後ろに隠れてりゃあ良い。一瞬で終わらせてやるよ」
「忍者46億年の歴史において、右に同じ。忍びたるもの、姿は晒さず骸を曝すものよ」
額に血管を浮き上がらせて。
俺とエイデルガルトは、廊下の奥へと歩いていき――巨大な龍頭を模した砲塔を抱えた六人組の姿を確認し、スムーズに後ろへとムーンウォークする。
「今回のところはコレくらいで勘弁してやる」
「自身の豪運に感謝しなさい」
ぎゅんぎゅんと。
音を立てて砲塔に魔力が溜め込まれていき、血相を変えた俺とエイデルガルトは、額に手を当てたまま必死でムーンウォーク退却を図る。
「コレが、正道を歩むことも辞さない勇気だぁああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああ!!」
「忍者46億年の歴史の中で、『逃走』という選択肢を初めて選んだ私の胆力!!」
ぼっ。
突風に混じった炎の渦が吐き出されて、とっくの昔に退避していたスノウとカオウは廊下の奥へと曲がって回避し、その炎塊は俺とエイデルガルトへと突っ込んでくる。
「忍法!!」
エイデルガルトは、くるりと俺の後ろに身を隠した。
「致命傷!!」
「人様の傷の程度を忍法扱いしてんじゃねぇぞ、クソ忍者ァ!!」
エイデルガルトの盾になった俺の全身に火がつき、悲鳴を上げながら床の上を転げ回る。涼しい顔をしているエセ忍者に消火器をぶっかけられ、ビル内の火災報知器が鳴り響き、上方のスプリンクラーが作動する。
「燈色さん、避けた方が良いわよ」
『ココまで切り取って、切り抜き動画で楽に儲けたい衝動が凄いんだけど』
エイデルガルトの両肩を掴んで壁に叩きつけ、笑顔で刃先を首筋に当てていると、ノートパソコンを持ったスノウが親指で順路を指す。
「とっとと行きますよ、美少女が引率してあげますから。
ムーンウォークしたら殴るから気をつけろ」
試しにムーンウォークしてみたら、普通にグーでぶん殴られた。
美少女の引率に従ってカジノルームへと移動し、俺は紫煙がくゆる喧騒の只中へと視線を向けた。
「重役出勤、ご苦労さまで」
青ざめて、押し黙っている客たちの中心。
鼻血を垂れ流しながら四つん這いになったセキュリティに腰掛け、足を組んだキリウは煙草を吹かしながら微笑む。
大量の黒スーツの群れ。
堂々と物騒な魔導触媒器を腰にぶら下げたならず者に囲まれ、その頂に座る彼女はカリカリと自身の頬を掻く。
ざらざらと音を立てながら、ポケットの中の菓子を掻き混ぜてリズムをとって。
口端を曲げて、口角を上げきった。
「酷いなぁ、坊っちゃん。親戚の集いに、なかよしのぼくを呼んでくれないなんてぇ。同じ三条同士、仲間外れはよしましょうよぉ」
やかましい電子音とどぎついネオンを浴びながら。
浮遊する煙の行き先を色とりどりの光線で示しているキリウは、一欠片も笑っていない両眼で俺たちを眺め回した。
「手のひらはお日様に」
両手のひらを、天井に向けて。
無手であることを提示した彼女は、瞬きひとつせずにノートパソコンを見つめる。
「カオウ、あんたはお天道様に綺麗なお手々を晒して、手堅く生きるのが筋ってもんだ……お生憎ながら、坊っちゃんはぼくのモノでねぇ……三条は、坊っちゃんが取るぅ……そして、ぼかぁ……目的を果たすぅ……そういうルールぅ……でしょぉ……?」
『は? 知らんが、そんなん? なに言ってるか、イミフのフフフでお笑い草~! てへっ☆ 交渉の基本を学び直してこい、へけっ☆』
押し黙ったまま。
キリウは、セキュリティの頭で火を消した。
「……殺すぞ」
『殺せるわけないでしょ、思ってもねーことをお口に出すのは厳禁だぞ』
カオウは、両手の指で己の頬を突いて笑う。
『カオーちゃんのこと、愛しちゃってる癖に~!』
「……お前じゃない」
キリウは。
黒々とした底の視えぬ闇の粘塊で、カオウの顔面を捉える。
「お前じゃない」
『なら、縋り付くのやめろ~! 禁止~!』
カオウは腰に片手を当てて、ズビシと指先をキリウに突きつける。
『もう、キリウちゃんは失敗しちゃった後なんだぞ!』
「……坊っちゃん」
カラーコンタクト。
緋色に染まった両眼で、彼女は俺を見つけ出した。
「コーヒー一杯、付き合ってもらいましょうかぁ」
「俺は、家で飲む派だ」
「人間は環境に慣れますからねぇ……幾ら税金が上がろうとも、ぼかぁ、肺をタールで汚すことをやめやしませんよ」
すらりとした長身が伸び上がり、起立したキリウはラッキーストライクの底を叩いた。
「カフェインの啜り方なんて、大した障害じゃあない」
音もなく、黒スーツの魔法士たちは俺を取り囲み――瞬時に、俺は、引き金を引いた。




