彼女もまた家族を希った
「…………」
『へい、ゆー? どしたどした~? なに、その疑わしさを凝縮したかのような味わい深い表情は~?』
「カオウ」
『はいはい、はいな、カオーちゃんですよ』
「お前は、願ってもいないのに叶った願いをどう思う? 願望を口にすらしていないのに、願いを叶えてやろうと宣う存在をなんて言うか知ってるか?」
俺は、苦笑する。
「悪魔だ」
パッ、と。
ノートパソコンの画面上に、レイの画像が表示される。
幼少期から少女期まで。
凄まじいスピードで表示されて重ねられていく写真は、水たまりから川となって海となり、心の堰を越えて溢れ出した思い出の濁流と化し、パソコンの画面すらも乗り越えて俺の周囲に飛び散った。
写真、写真、写真。
ぐるりと、レイの笑顔に取り囲まれて。
両手にポケットを突っ込んで立ち尽くした俺は、妹の顔面が真っ黒に塗りつぶされていくのを眺めていた。
『コレは、全部、三条家に来る前のレーちゃんの写真』
一瞬で。
笑顔の写真は、能面の写真へと移り変わる。
『そして、コレは、三条家に来た後のレーちゃんの写真』
家族写真。
雛壇に並べられた日本人形のようにおめかしし、真っ赤な着物を着せられているレイは、決められた角度と姿勢をキープし、天井から繰糸で引っ張られているみたいに顔を上げていた。
作り笑顔を浮かべる女性の群れに囲まれて、綺麗に正座をした彼女はぼんやりとこちらを眺めている。
その視線は、なにも捉えていない。
ただ、己の裡に巣食う深淵を覗き込む者特有の虚無を描いていた。
『でも、最近はよく笑うようになりました、めでたしめでたし……とはいかないのは、オタクくんたちもよく知ってるよね~? ね~?』
「で、お前が、レイを三条家から解放してくれるってか?」
『イエスでありながらノ~! ソロプレイじゃ無理でぇ~す!』
手のひらを差し出して。
その上に、俺が発言した『で、お前が、レイを三条家から解放してくれるってか?』のクエスチョンを載せた彼女は笑う。
『白馬のお姫様ならぬ白馬の王子様が必要になりまぁ~す!』
カオウの口元から吹き出しが飛び出し、そこに彼女の発言が吹き込まれ、漫画のキャラクターみたいにセリフとなった。
どこからともなく。
小さな骸骨の群れが歩いてきて、そのうちの一匹を抱え上げたカオウは俺を指差す。
『王子様は、キミに決めたぁ~!!』
「勝手に決めんな、小娘」
『なんだなんだ、おまえ、さてはノリキじゃないな~?』
「ノもリもキもねーよ。結局のところ、お前、他力の本願寺さんじゃねーか。寺社仏閣に頼り切ってないで、たまには己のマッスルでどうにかしてみろや」
ミニ骸骨の手を持ち上げて、フリフリしながらカオウは頬を膨らませる。
『やだ~!! だるい~!!』
「話の流れがシッチャカメッチャカ、大惨事だよ。だるいのは俺だよ、熱が39度5分くらいの気だるさだわ。秒でレイを救うって話はどこいった」
『ひーろーくんが、三条家を継げば良いんじゃね?』
唐突に。
最短距離で正解を導き出された俺は、一瞬だけ虚を突かれて黙り込む。そんな俺の様子を眺めて、カオウはにまーっと意地の悪い笑みを浮かべた。
『ぐへへ、お兄さん、その通りだと思っちゃいましたね~?』
「…………」
その通りもなにも。
そのために、俺はずっと準備を進めてきたつもりだった。三寮戦で三条家の名前を出したのも、細かい挑発を与え続けてエイデルガルトを側に置いたのも、払暁叙事の開眼をチラつかせたのも。
正統後継者の座へと、片足をかけるための下拵だった。
「……俺は男だ」
『見りゃあわからぁ。だからこそ、後ろ盾が必要なんよね?』
「要は、お前、俺を利用して楽しく跡目争いで遊びたいんだろ? 安心安全な後ろ盾のままで、血で血を洗う親戚行事を堪能出来るならさぞ有り難いことだろうな」
『んふふ』
画面へと、顔を近づけて。
カオウは、白骨化した己の指で俺の額を突く仕草を取る。
『さては、オタクくん、カオーちゃんのことを信用してないな~?』
「信用を勝ち取りたいなら、人の話はちゃんと聞いて質問には嘘をつかずに答えな。社会の基本のキ、ノリキのキだぜ?」
ぐおん、ぐおんと。
口を開けたまま首を振ったカオーの脳天から、お星様のエフェクトが弾け飛び、床に落ちて散らばった。
「魔法合宿で、自動訓練人形に自殺呪詛をかけたのは誰だ?」
『キリウ』
「…………」
『もしくは、カオーちゃん』
「どういう意味だよ、ファッキン小娘」
『見定めれば良いんだよ、その正解も踏まえて』
右手と左手に星を隠し持ったカオウは、微笑んだままささやく。
『さぁて、どっちかな~?』
「…………」
『カオーちゃんは、キリウとは違うので要注意なのだ! エマージェンシー! キミの目で見定めてくれ! 大丈夫、三条家の隠し刀だよ!』
レイ、カオウ、キリウ。
現在、俺はどの途上にいる?
『この世界で』
じじっと。
画面越しのカオウは、幻想の肉体で笑みを形作る。
『存在ほど、あやふやなモノは存在しない』
彼女は、両手を開いた。
そこにある筈の星は忽然と消えさり、顔を上げた彼女の顔面は真っ黒に塗りつぶされて声音に雑音が混じる。
『我々は呪われている……ずっとずっと昔、藤原の時代から……三条と徳大寺と西園寺だった頃から……あの子は、櫻が咲くのを待っている……たったひとつの家族を……待ち望んでいる……』
暗黒の空洞から、ひゅーひゅーっと喘鳴が漏れる。
点滅。
ちかちかと。
堕ちた星が命を終える寸前、ぼうっと燃え上がり瞬くように、頭上の電球が生と滅を繰り返す。
『祈りは呪詛だ……神に希った貴様は、永き刻の祈りを託して死ぬ……櫻は咲かず、眼に宿り続ける……家族に戻れることはない……あの日々は終わった……皆、貴様のように憑拠を抱えては生きてはいけない……』
黒と黒。
蠢いているその深遠は、呪詛を吐き出した。
『貴様が愛した妹の祈りは殺したぞ、三条』
一瞬。
一瞬だけ、幼い女の子の姿が視えて。
俺は、驚愕で目を見開き――電球に灯りが灯る。
「…………ぐっ!」
激痛。
いつの間にか、閻いていた払暁叙事を押さえつけた俺は、ぽたぽたと床に滴り落ちる血液を見下ろす。
『おいお~い』
何事もなかったかのように。
訝しげにこちらを覗き込んでいるカオーは、ぱたぱたと袖を振った。
『急にどした? 中二病か?』
「…………」
びっしょりと。
汗をかいていた俺は、頭を振ってからつぶやいた。
「……現在のは」
俺は、カオウに問いかける。
「なんだ?」
『は?』
カオウは、小首を傾げる。
『どういう意――』
唐突に、扉が蹴り破られる。
ひゅうっと、新鮮な空気が舞い込んで、エイデルガルトの白い足が室内へと伸びた。
「ご歓談中、フィジカル失礼」
喧騒。
歓声とは異なる人々のざわめきが届いて、音の波と化して耳朶を叩き、つんざくような悲鳴が上がって破砕音が響き渡った。
「ディス・イズ・忍者レポート、お客様のご来訪のお報せ」
バニースーツの肩紐を直しながら、彼女はもぎ取ったドアノブを放り捨てる。
「カチコミよ」
剣呑な血の臭いが、濁った空調に乗って届いた。




