盤外のギャンブル
歓声。
扉を開けた瞬間、爆発的にぶつかってきた音の塊。
ルーレットの盤を転がるボール、カジノスロットは電子音を奏で、ポーカーテーブルでは歓声が上がる。
七色の光を投影しているシャンデリアが、薄暗闇の空間を照らしていた。
装飾が施された敷設型特殊魔導触媒器によって、宙空にはデジタルジャックポットが浮き上がり、プレイヤーの前で巨大な図柄を揃えた瞬間、仮想の通貨が雪崩のように吐き出される。
赤、青、緑。
円形の空間を彩るパーティードレス、入り口で魔法触媒器を取り上げられた魔法士たちは、赤と金を基調としたカジノルームを悠然と闊歩し、開いた胸元から煙草を取り出し吸っている。
ディーラーはリフルシャッフルしたカードを配って盤面を支配し、黒スーツのセキュリティは唇をあまり動かさずに連絡を取り合い、銀盆にシャンパンを載せた従業員は柔らかな笑顔を周囲に振りまいている。
エイデルガルトに連れられてやって来たラブホテルの一室……を模した違法カジノに連れ込まれた俺は、ギチギチに締められたネクタイを緩めた。
「とりあえず、テキサスホールデムでもやるか?」
「ルール、わかりませんので」
「そりゃ残念」
肝が据わっている白髪メイドは、微動だにせずに自身の腰元へと手をやる。パツンパツンと音が鳴り、タイツを伸ばした彼女は姿勢を正した。
「…………」
「なんですか、いやらしい視線をプリティなお尻に感じるんですが」
「……なんで、バニーガール?」
うさ耳型のヘアバンド。
エナメル質のバニースーツ、胸元を飾り付ける蝶ネクタイ、純白のカフスは両腕を彩り、網タイツは足先から足の付け根までを締め上げて、まんまるの尻尾が小さなお尻の上で揺れている。
「相変わらず、知識なしなしエロさ多めのご主人様ですね。郷に入っては郷に従えという言葉を知らないんですか。このカジノの服装規定とヒイロ様の情欲を満たすためには、フロントで貸し出されていたこの服装がベストだと判断しただけです。
実に、合理的な判断ですね」
「GOGO喧しいよ。お前、単純に一回着てみたかっただけだろ? ハロウィンパーティーに参加して、SNSで『私、KAWAII~』とかやりたいお年頃なんだろ?」
「は? 私、バリバリに可愛いが?」
その場で、スノウは一回転する。
バニーガール姿を俺に見せつけた彼女は、自身の両頬を人差し指で突きながら無表情でささやく。
「喰らえ、正妻スマイル」
「せめて、笑えよ」
「可愛いって言え~、言え~」
「可愛い可愛い、わかったわかった、プリティプリティGOGO」
視線。
客たちの視線がスノウへと集中しており、その多くに欲情の渦がまとわりついているのを感じ取る。
無言で上着を脱いで、スノウの肩にかけた俺は彼女を引き寄せる。視線の持ち主たちに微笑みかけると、彼女らは露骨に顔を背けて退散した。
「フッ、また正妻である私が勝ってしまいましたね」
「誰に勝ち誇ってんだよ、ロンリーメイド」
正妻面しているメイドの肩を抱いたまま、俺は未だにこちらを窺っている女客たちを牽制する。
悪いが、俺は純愛派でね。みすみす、うちのメイドを一時の肉欲を満たすためだけの生贄に捧げるつもりはねーよ。
ようやく諦めた狼たちが輪を解いて、見覚えのある顔が現れる。
「あら」
スノウとは色違いのバニースーツ。
白色のバニーガール姿で現れたエイデルガルトは、カジノルームの視線を一身に浴びながら髪を掻き上げる。
「かぶったわね、おへそが出てる衣装の方にしとけばよかったかしら?」
「コスプレパーティーへのお誘いは結構だ。そろそろ、ご来客のお坊ちゃまとプリティメイドに説明会でも開いてくれよ」
苦笑して、エイデルガルトはつぶやく。
「華扇が、貴方と話したがってるの」
当然のように。
ポーカーテーブルに座ったエイデルガルトは、テーブル上のトランプを手に取り『Q』を振りながら微笑む。
「ココは、華扇が運営してる幾つかの施設のうちのひとつ。外には、たくさんの目があって目隠しして回るのは大変でしょう? このカジノであれば、気を遣わずに睦言を交わせるわ」
俺は、笑いながら天井を指す。
「目があるのは、ココも同じだろ?」
「カジノに来て、隠しカメラを気にするなんて野暮ね。リラックスして、遊んでいったらどうかしら?」
エイデルガルトはトランプをシャッフルし、盛大に失敗して床へと大量のカードを撒き散らした。
「私、こう見えても一流のディーラーなの」
「なんで、嘘つくの?」
「なにを言ってるの、ディーラーがカジノで嘘吐くわけないでしょ? 私、イカサマなんて一度もしたことないわよ?」
「お前、存在がイカサマみてーなもんだろ」
フッと、微笑み。
彼女は親指の上に載せたカジノチップを弾き飛ばし、自身のおでこにカジノチップを叩きつけた。
「そのチップは、サービスよ」
「おでこにチップを貼り付けたまま、スタスタ歩いて行くなカジノキョンシー」
おでこに100$チップを貼り付けたまま、腰の後ろに当てた手で手招きしているエイデルガルトへと俺たちは付いていく。
「で? どこ行くつもりなんだよ?」
「VIPルームよ」
『STAFF ONLY』と書かれた扉を潜り抜けて、三人分の影が薄暗い廊下を伸びていく。
最後尾を歩いていた影の手が、俺の服裾を掴んでくいくいと引っ張った。
「どした? トイレ?」
「……裏口があります」
殆ど唇を動かさず、目線もこちらには向けずにスノウはささやいた。
「……九鬼正宗も回収しておきました」
そう言って、ゆっくりと彼女は俺の腰に魔導触媒器を差し込む。
「……この廊下は、突き当りの端にカメラが一台あるだけです」
「…………」
「……突き当りに差し掛かるタイミングで、靴紐を結び直すフリをしてください。合図したら走って、非常口まで誘導します」
「……いや、いい」
スノウは、目を見張る。
静かに、俺の腰の肉をもって抓り上げる。
「……理由」
「……良い機会だ、ハッキリさせる」
「……なにを?」
俺は、口端を曲げる。
「敵と味方」
「…………」
「……エイデルガルトは、黒に限りなく近いグレーだ。決定的な証拠はないが、魔法合宿で霧雨やQ以外の第三者が動いていたのは間違いない。いずれ、接触してくることはわかってたよ」
「……危ないからやめろって、正妻面で言ったらやめてくれます?」
優しく。
俺は、彼女の手を己から引き剥がす。
「……正妻面して、黙って見守っててくれ」
「…………」
「……そろそろ、レイを色んなしがらみから解放してやらないとな」
学園長と話して。
なんとなく、俺は、この世界における自分の立ち位置を理解出来たような気がした。
「ないしょの相談は済んだかしら?」
急に振り向いたエイデルガルトは、シンプルなデザインのノブがついたドアの前で綺麗な笑みを浮かべる。
「あぁ、今日の夕飯はハンバーグに決まったよ」
「いえ、キムチ鍋ですが」
「……ハンバーグに決まったよ」
「キムチ鍋ですね」
「どっちも作れば良いんじゃないかしら?」
「「そんな暇も金もねーよ」」
肩を竦めて。
エイデルガルトは、見目麗しい尊顔をドアへと向けた。
「どうぞ、ノックはなしでも良いわよ」
「……中にいるのか?」
答えずに、エイデルガルトは俺を見つめた。
ドアノブを回して入室し――暗闇――勢いよく扉が閉まり、空間と空間が遮断され、ひとり取り残された俺はガチャガチャとノブを回した。
ロックされている。
無駄な抵抗はやめて、俺は闇に目を凝らした。
徐々に暗順応が起き始めて……ぼんやりと、部屋の奥に灯りが灯った。
ゆっくりと。
俺は、真っ暗闇の中へと進んでいった。