アールスハリーヤの教え
「白百合に祝福を」
漆黒の法衣で全身を包んだキエラは、微笑みながら逆十字を切る。
清流に潜む鱠残魚の如く、波立った水面を思わせる薙ぎ払いの動作が連続し――純白の銀槍に貫かれた人形たちは弾け飛んだ。
「あぁ、愛しき君よ。
守護天使アールスハリーヤが遺し給うた『サヒハの予言書』通り、憎き魔人を討ち果たす刻が来たのですね」
ずらりと並ぶ漆黒の法衣を纏う少女たち。
彼女らは、『属性:光』、『生成:盾』の導体を外し、光の輪を重ねた楕円形の防禦盾を解除する。斥候らしき少女は頭上に天使の輪と思わしき光輪を浮かべており、張り付いていた天井から下りてくる。
「白百合に祝福を、大司教キエラ」
「白百合に祝福を、報告を」
「9時方向より、破絶のQに依るモノと思わしき大規模魔力検知。鳳嬢魔法学園の校庭中央部に敵戦力が集中しております」
「邪教徒の規模は?」
「約260」
「……塵芥は塵芥らしく隅に集まれば良いモノを」
にこやかに笑いながら、キエラはささやく。
「すべて滅しましょう。
密集陣形を解いて、突撃の準――」
「待って待って待って待ってください」
キエラの肩を掴んでストップをかけると、彼女は申し訳無さそうに目礼する。
「失礼いたしました、我らがヒイロよ。
つい癖で陣頭指揮を取ってしまいました」
「つい癖で陣頭指揮を取っちゃうくらいの練度、どこで身に着けてきちゃったの……?」
「魔法合宿ですので」
「生徒に実戦的な密集陣形を学ばせる学校があってたまるか」
呆れ顔の俺に対して、法衣を揺らしながらキエラは笑む。
「……というか、『サヒハの予言書』ってなに?」
「略称です。
正式には、『三条燈色ハーレムの予言書』と呼ばれており、未来視の能力を持つ大天使アールスハリーヤが書き遺した由緒正しき予言書です」
「人が予定してないハーレムの由緒を正しくするのやめてくれない?」
無言で立ち尽くす黒砂に横目をやって、冷や汗を流し続けている俺は思考を巡らせる。
この悪魔崇拝者どもを無理矢理に解散させることは出来なくもないが……現在、そんなことをしたら破絶のQに対抗する力がなくなる……手数は多ければ多いほどに良い……コイツらを処理するのは魔法合宿が終わった後だ……。
感情を制御した俺は、かなりの無理をして笑顔を形作る。
「き、キエラさん?」
「そのように他人行儀な……どうか、気軽に『俺の女』とお呼びください」
「さも当然のように、俺の所有物面すんのやめて?
キエラさん、現在は緊急事態ということもあって力を貸して欲しい。俺は自殺呪詛っていう呪いをかけられてて、人形相手には直接手を出すことが出来ないんだ」
微笑んだまま、キエラは小さく頷く。
「スコア0の男の指示を受け入れるのは屈辱かもしれないが……俺の指示通りに動いて欲しい」
「つまり」
キエラは両手のひらを合わせて、可愛らしく小首を傾げた。
「ワタシたちは、英雄ヒイロの所有物ということですね」
「いや、それは悪質な曲解だと思います。人それぞれには人権というモノがあり、由緒正しき善人たる俺は人権侵害を行うつもりはありません」
「敗北いたしますよ」
にこやかに、更に首を傾げたキエラは告げる。
「英雄ヒイロよ。人形使いの操る人形は、その一挙手一投足に至るまで精密にQの思考を投影して動作するでしょう。人間とは異なる運用が可能ゆえの戦術は多彩で、兵の練度を要さないという優位性は大きく働き、数の上でも我々を遥かに上回っている。
その強大な邪教徒を御するには、人間使いたる英雄ヒイロもまた、己の考える通りに動いて助力する集団が必要となるのです」
キエラ・ノーヴェンヴァー。
何の変哲もない、この百合ゲー世界ではNORMALの魔法士の筈である彼女の背後に――悪魔の影が重なる。
「また、魔人は『愛』という情を理解出来ずその力を恐れています。
故に、英雄ヒイロよ、貴方はその偉大なる愛をもって我々を包み込み、大切に想うことでより強き光をもたらすこととなるのですよ」
言葉を失った俺は、よろけながら壁にもたれかかった。
「かの大天使アールスハリーヤは言いました、『人はひとりの伴侶を望み、獣はいくつかの繁殖を望み、燈色はすべての女を望んだ』と」
「俺だけ畜生以下の強欲クソ野郎みたいな世界観やめてくんねぇかなぁ!?」
「要するに、我々を『俺の女』呼ばわりすればするほどに勝率は上がります」
「この雑に地獄を作ってくる感じ、疑いようもなくアルスハリヤァ……!!」
見るからにワクワクしているキエラは、頬を紅潮させて両手を組んだ。
「さぁ! さぁ、さぁ、さぁ!! どうするのですか、英雄ヒイロよ!! こうして迷い子の如く思案に暮れていては日も暮れましょう!! ワタシは誰ですか!? 我々は、一体、誰のモノなのでしょうか!?」
――はっはっは、布石というものは事前に打っておくから布石と言うんだ
嬉しそうに、両手を広げるアルスハリヤの姿が浮かぶ。
――ようこそ、魔法合宿へ!!
俺は、片手で目元を覆って、その隙間から静かに涙を流した。
「…………」
破絶のQの出現と襲撃すらも計算に入れた百合破壊方程式……俺が必要としている『俺の手足と成り得る集団』を用意し、その集団を『三条燈色を英雄視する信徒』と改造することで、俺自身の手で百合を破壊するように仕向けている……地下天蓋の書庫からの撤退時、俺の身体を操作している僅かな時間で、よくもまぁココまで綺麗に百合を壊せたモンだ……。
「……ぐっ」
俺は、思い切り――拳を壁に叩きつける。
「ぐっ……おっ……おぉ……っ!!」
苦悶の声を上げながら膝をつき、崩れ落ちた俺の肩をアルスハリヤの幻が叩いた。
『人間が百合の生き死にを自由にしようなんておこがましいとは思わんかね……』
「それでも!!」
俺は、泣きながら幻を振り払う。
「それでも、俺は百合を救うんだ!! 自分が生きるために!!」
泣きじゃくりながら、俺は全身を震わせて――ささめく。
「…………だ」
「えっ!?」
うきうきで耳をそばだててきたキエラに、俺は涙混じりの嘆きをぶち撒けた。
「俺の女だッ!! 緋墨も、黒砂も、委員長も!! お前らもッ!! 全員、俺の女だァ!!」
立ち上がった俺は、血走った目を周囲に走らせる。
「ハッハッハ、コレで満足か!? 俺は誰ひとりとして死なさねぇ!! 生きてさえいれば、きっと、最後には百合の花は咲く!! エピローグまではわからねぇ!! アルスハリヤァ!! 俺は勝つぞぉ!!」
「す……」
キエラは、目を潤ませながらうっとりとした声を上げる。
「すばらしい……」
ぐしぐしと。
邪魔そうな前髪を撫で付けていた黒砂は、無感情で透明な声を発する。
「……貴方、魔人?」
「…………」
まぁ、そりゃ言及されるわな。
答えずにいると、彼女は数度の瞬きをしてから視線を逸らした。
「…………天使に協力して良かった」
「あ?」
天使? アルスハリヤのことか?
黒砂の意味深な発言に言及しようとした時――校庭の方向から爆音が鳴り響き、その衝撃でガラスが震え、足元が強烈にぐらついた。
「行くぞ」
「白百合に祝福を、御心の示すままに」
俺と信徒たちは、テント群が並ぶ校庭へと飛び出して……呆気にとられる。
「……んだこりゃ?」
それは、山だった。
否、人形の塊で出来た一本の塔だった。
うじゃうじゃと波立ちながら、分解された人形の部品で出来た肌色の巨塔。その巨塔は先端をぶらぶらと揺らしながら佇立し、夕暮れ時を迎えた抜けるように紅い空の下に聳えていた。
「コレは」
その塔が――尖端から唐竹割りになって爆散し、目にも留まらぬ速度で空を駆けた師匠は嘆息を吐く。
「ライゼリュートではないですよねぇ?」
「視れば」
崩拳。
己の拳の幾百倍もの大きさの巨塔を打ち崩している劉は、大量の人形を蹴散らしながら傷ひとつ負わずに答える。
「わかる筈だ。
アステミル・クルエ・ラ・キルリシア、そろそろ、貴女にも老眼鏡が必要になってきたということでしょう?」
「は? 私、最強なので? 視力、1億.0あるんですが?」
「なに、ふたりで人形遊びしてんの?」
校庭に現れた俺たち目掛けて、地面から湧いてきた人形群が殺到し――瞬きした瞬間に掻き消える。
師匠も劉も、その場から動いたようには視えない。
だがしかし、瞬きをした僅かな時間でコレだけの数の人形を消し去れるのはこのふたりしかいない……原作上では、最初から最後までパーティーに入れておくことが出来ないキャラクターによる異常な対応だった。
「ヒイロ、先程、死にかけてましたね。
いけませんねぇいけませんねぇ~!! いずれ、私を超えるのであれば、攻撃してはいけない相手を葬るくらいの攻撃を身に着けていないとぉ~!!」
「常人相手に、バグ挙動求めるのやめてくれる?」
「燈色、ああいう時は積極的に建造物を破壊しなければなりませんよ。
何時、『お姉ちゃん、たすけて』と言ってくれるのか待っていましたが……でも、燈色が立派になって姉としては感無量です」
「授業参観してねぇで、とっとと助けろや姉」
「ヒイロ、キリがなくなるので本体を探しましょう」
師匠はちらちらとギャラリー(助け出された生徒たち)を意識して、転瞬を繰り返しながらエフェクトに溢れた魅せ剣術を披露する。
「ウォオ!! 最強剣、ストロンゲストワールドォ!!
どうにも、私はこの手の精神掌握の使い手とはやりづらい……人質の数が多すぎる上に、この人形塔で形成された魔法陣を展開されると困りますからね。転瞬しながらサポートするので、瞬間移動式マルチタスク師匠の有能さに驚愕しなさい」
「私も、この場を抑えながら全自動式出現姉姉となってフォローしましょう」
「最早、怪奇現象だろ」
まぁ、俺が本体を叩くのは適材適所だな。
接ぎ人を連発すれば、自動回復機能付きの人形塔を破壊することは出来なくはないだろうが……いちいち、吹き飛んだ右腕の再生を繰り返せば、いずれは魔力切れに陥るし、下手すれば人形塔の破壊が再生に追いつかなくなる。
魔人の権能による原初領域からの召喚で、溜め込んだ人形を排出してるんだろうが、師匠と劉のセットでも未だに破壊しきれていないのは異常だ。
恐らくは、精神掌握による騙し絵……だが、そこに実在の人形やら人質やらを混ぜられると真贋を見定めるのは不可能に近い。
師匠が『宝弓・緋天灼華』を発動すれば一瞬で片がつくだろうが、その封じ手である人質を巧妙に盾とされている。そうなってしまえば、転瞬を繰り返しながらの即時破壊に切り替えるしかない。
やはり、俺が本体をどうにかするしかないか。
「……アレ」
物思いに耽っていると、黒砂に肩を叩かれる。
敷設型特殊魔導触媒器によって、未だに残っていた水流滑り用の水路……その水中から伸びた大量の手によって、仰向けに寝そべった委員長は高速で運ばれていた。
「ハッ」
鼻で笑って、俺は噴水式波乗器を蹴り上げ掴み取る。
「世界記録保持者に挑もうなんて良い度胸じゃねぇか」
手慣れた手付きの俺を真似て、続々と信徒たちは噴水式波乗器を手に取り、並ぶようにして水路に立った。
「追うぞッ!!」
俺たちは、一斉に噴水式波乗器へと魔力を流し込み――俺以外の全員が、空中へとぶっ飛んだ。




