人形使い対人間使い
にゅうっと。
腹から胸にかけての画から、緩慢にも思える動きでひょろ長い腕が伸びてくる。
緋墨から這い出てきた四本の腕は、ゆるゆると天井まで伸び上がり――
「えっ!? ちょっ!?」
長い爪が突き刺さり、彼女の全身を浮かせた。
「ちょちょちょっ!? なにこれどういうこと!? 人体浮遊マジック!?」
緋墨には、ライゼリュートが視えていない。
最終的には八本まで増えた長腕は、壁と天井に鉤爪を深々と刺して安定させ、スカートを両手で押さえた緋墨を浮かび上がらせる。
「いやぁあああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああ!!」
シャカシャカシャカシャカ。
節足動物を思わせる軽快な動きで八本足は走り出し、甲高い悲鳴を上げた緋墨は廊下の奥へと消えていった。
残煙を残して。
霧雨は忽然と消えており、舌打ちをした俺は黒砂を抱き上げて――思い切り踏み込む。
床材が剥がれて宙を飛び、十二本の魔力線を両脚に伸ばした俺は駆け始める。
転がる、転がる、転がる!!
数え切れないほどの人形たちは、ひとつの塊となって回転しながら迫りくる。
『脳』、『目』、『鼻』、『口』、『腕』、『指』、『心』、『肺』、『肝』、『脾』、『胃』、『腎』、『膵』、『足』、『腸』、『膀』、『足』。
人間の形をしていた人形たちは、一心不乱に転がり続けるにつれ、徐々に形を崩し始めて分解されていく。
人体を構成する部品がごちゃ混ぜになって、怒涛の如く廊下を流れ出し、壁面を崩壊させながら迫る。大量の目玉が音を立てながら転がって、床や壁や天井に接触する度、ハート、ダイヤ、スペード、クローバーのマークを示した。
人体の赤波。
血液を思わせる赤黒い血液を噴き出しながら、目や舌や唇をぽろぽろとこぼし、人間性を失いながら人形たちは追い縋る。
回転を続ける度、明らかにその速度は増していき、踵の先を人形の指先が掠めた。
「キリゥウウウウウウウウウウウウウウウウウウウウウウウウウウウウウウウウウウウウウウウウ!! 俺を助けるんじゃねぇのかぁあああああああああああああああああああああああああああああああああ!!」
たまらず、俺は絶叫し――
「そうは言われても」
悠々と。
天井を駆けるライゼリュートの七本目の腕に抱えられ、寝転がっている霧雨は煙草を吹かした。
「ぼかぁ、昔から争い事は苦手でしてねぇ」
「だったら、俺たちもソレに乗せろや!! へい、魔人!! 俺たちを安全なところまで!!」
ゆったりとした動きで、ライゼリュートの腕が俺へと伸びてきて――
「ライゼリュートさん!!」
ゆっくりと、俺の眼前で中指を立てた。
「死ね、クソがぁあああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああ!!」
俺の居合をひょいっと避けて、煽るように手を振ったライゼリュートは、八本腕で上下に屈伸動作をしながら去っていく。
「くっくっ……散々、悪者扱いして殺す殺す言うからですよぉ。
ま、この程度で死ぬようなら期待外れってことでぇ」
にこやかに微笑んだ霧雨もまた離れていき、俺は目の前にまで飛んできた人形の右手を避ける。
「黒砂さん!! 黒砂さん、俺たち大ピンチ!! どうすれば良い!? コレ、どうすれば助かる!?」
「……また、お尻触ってる」
「ディス・イズ・緊急事態!! アーユーオーケー!?」
「…………」
俺の胸の中で大人しくしていた黒砂は、不満気に顔をしかめる。
ごそごそと懐を探り始めて、俺は後ろから伸びてくる手や足や顔を躱しながら、ひたすらに廊下を走り続ける。
「…………」
「なんかあった!?」
「…………」
「黒砂さん!?」
「…………」
「ねぇ、黒砂さん!? なんかあるよね!? ね!? あるでしょ!?」
「…………」
廊下の最奥が視えてきて。
俺は左へと曲がろうとし――狭まる。
視界が……いや、廊下自体が先細りし始めて、現在まで意識していなかった潰された右目が激痛を発し始める。
「ちくしょう、やべぇ!! 視界を奪われる!!」
精神掌握。
自殺呪詛によって潰した右目を媒介にして、Qが仕掛けてきた精神干渉が俺の視界を操作する。
「……目、閉じて」
「はぁ!? いや、そんなことし――」
「良いから」
ぐいっと。
ネクタイを掴まれた俺は、黒砂の綺麗な瞳を見つめる。
「目、閉じる」
「…………」
大量の冷や汗を流しながら。
素直に俺は目を閉じて――首に両手が回って、唇が耳に触れた。
「左」
合図と共にその場で左方へと力の方向が捻じ曲げられ、瞼の裏で蒼白の魔力光が弾け飛ぶ。
「前」
全身が前方向へと吹き飛び、思いがけない加速に息が詰まった。
「……字には意味が宿る」
風切り音が耳元を切り裂き、両目を閉じたまま俺は駆け抜ける。
「……考は力を鈍らせる」
背後から聞こえてきていた崩壊音は徐々に遠ざかり、頭の中には血と風と字が流れる音だけが響き渡る。
「……字句に従って、なにも考えずに走るのも大事」
「つまり、どういうこと!?」
「……お尻に触っても良いから」
黒砂は、ささやく。
「……死ぬ気で走って」
「わかりやすくて良いねぇ!!」
更に加速して、しっかりと黒砂は俺を抱き締める。
崩壊、崩壊、崩壊!!
蒼の寮の一階廊下は崩れ落ちていき、生徒たちの悲鳴が迸り、約100m先からか細い声が聞こえてくる。
「お、おいていかないで……た、たすけてぇ……!」
下方から、涙の混じった声。
恐らく、逃げようとした時に転んでしまったのだろう。このまま走り続ければ、彼女を見捨てることになる。
俺は速度を緩めてから目を開けようとし――黒砂は、勢いよく俺の両目を塞いだ。
「……目を開けたら追いつかれる」
「だろうね」
「……アレは人形」
「なんで言い切れる?」
「……Qが仕掛けるとしたらココ」
「人間だったら?」
「…………」
「悪い、黒砂さん」
俺は、彼女の手を退かしてから微笑む。
「もう、目、閉じられないわ」
「…………」
彼女の返事を待たずに――俺は両目を開いてブレーキをかけると同時、黒砂を下ろしてから背を押した。
「走れッ!!」
蒼白い魔力の痕跡を床面に残しながら。
床に滑り込んだ俺は抜刀し、逃げ遅れた彼女の盾になる。と同時に、胸の中心から刃が生え出てきて、俺は勢いよく喀血した。
「…………」
物言わず。
女生徒は首を180度回転させて、逆さまになってから笑った。
「愚か者」
「その愚かさに」
俺は、笑いながら彼女の顔面を掴む。
「テメェらは敗けるんだよ……ご丁寧な宣戦布告をどうも……お返しに、俺からも華々しい誓いの言葉を手向けてやるよ……」
力を籠める。
自殺呪詛によって、俺自身にも同様の痛みが走り始め、その痛みを誓約としてささやく。
「俺は、誰ひとりとして取りこぼさない……この世界には、ルートも二周目はねぇんだよ……誰かが死んで誰かが幸せになるなんて俺は許さねぇ……画面の前で泣き言を言うのは終わりだ……俺は、俺自身の愚かさをもって……」
顔面に罅が入って――
「全員の百合を救う」
砕け散った。
分厚い魔導書で人形を砕いた黒砂は、俺の傷の具合を確認して応急処置を始める。
「……走れって言ったろ」
「……死ぬ気で走れって言った」
迫りくる人形の赤波を意図も介さず、黒砂は小首を傾げる。
「……死ねとは言ってない」
思わず、俺は苦笑する。
「……俺と心中するつもり?」
「……貴方のことは好きじゃない」
「……有り難いお言葉で」
「……でも」
黒砂は、無表情でささやく。
「貴方の字は好き」
「…………」
「……貴方は、私も助けるの?」
「……あぁ、そうだな」
光剣を床に突き刺し、右目を通した精神干渉により魔人の治癒力を封じられた俺は体勢を立て直す。
ふらつきながら。
立ち上がった俺は、口端を曲げながら左手で傷口を押さえる。
「結婚式に呼んでくれるなら」
せっかく、開いた距離差がどんどん縮まっていく。
目を閉じて、深呼吸する。
もし、俺がQであれば、一時的であっても師匠と劉を抑えておく処置を施しておく……だとすれば、助けを呼んでも無駄である可能性が高い……霧雨は『俺を助けに来た』と言っていたが、実際には三条燈色の利用価値を測っている段階に過ぎない……霧雨の手助けは、限定されていると考えるべきだ……。
迫りくる轟音を無視して、俺は考えを巡らせる。
あの人形たちには自殺呪詛がかかっている。俺が斬れば、その瞬間に死ぬことになる。そうなれば、黒砂もまた巻き込まれてあの世行きだ。かと言って、この深手を追った状態で逃げても追いつかれる。
選択肢はひとつ。
迎え撃つしかない、俺以外の人間の手で。
「…………」
立ち昇る。
俺の指先が空気中に溶け落ち、霧と化していた。
――基本的に、魔人が支配領域を広げようとするのは、自身の力を高めるためだからな
アルスハリヤの言葉が木霊する。
――領域が広がれば広がる程に、魔人の名が広まれば広まる程に、魔に対する恐怖が高まれば高まる程に魔人の存在と権力は強大になる
あぁ、なるほど。
――我々は『権能』と呼んでいるが、支配下にある魔物を呼び出したり、支配領域から事物や事象を引っ張り出したり出来る
あのクソ魔人が、この魔法合宿で企んでいた全貌を。
――脳内で取り出したいモノを想像し、渇望し、手を伸ばせば良い
現在、理解した。
『求めよ』
クソ憎たらしい声が、俺の脳内で言った。
『さらば、与えられん』
バラけた人体の塊、黒塊となった人形が眼前に迫り――黒砂は目を閉じて――霧に包まれた俺は、手を伸ばした。
「この」
炸裂した大音響。
耳をつんざくような衝撃音が中空にぶち撒けられる。
音が消えて静まり返り、ゆっくりと黒砂は目を開いた。
盾。
槍。
そして――人。
霧に包まれた廊下に溢れ出したキエラ・ノーヴェンヴァーと信徒たちは、生成によって大量の盾と槍を生み出し――静止した人形の塊は幾重もの槍衾に貫かれて、でろでろと溶け落ちながら失せていった。
「クソ魔人が」
「さぁ、皆さん!! 時は来ました!! 守護天使アールスハリーヤが予言書で示した時が!! たった現在、英雄、三条燈色の顕現によってもたらされたのです!! さぁ、現在こそ!! 我らの信心を示すべき時!!」
沸き立った信者たちは槍先で人形たちを突き刺し、押し返し、駆逐しながらアールスハリーヤの名前を呼ぶ。
「さぁ、行くぜ」
俺は、口端の血を拭って――
「人形使い対人間使いだ」
戦いの火蓋を切った。




