前哨戦のマジック
口から、カードを吐き出す魔法。
手にカードを隠し持つ『ギャンブラーズパーム』と呼ばれる手法を用いたもので、ネタを知ってみればチープなマジックだ。
そもそもマジックとは、種と仕掛けがバレた瞬間、魔法としての実態を失って現実味に晒されるモノである。その舞台裏を知ってから『なんだ、大したことはない』と言うことは、ある種の無配慮でありデリカシーの欠如とも言える。
だが、人間はその舞台裏を知りたがる。
かつて、火を発明するまでの間、闇に閉ざされた時代、無明に怯えて暮らし続けていた人間は原始的な恐怖を抱いている。
無知。
つまるところ、識らないということを恐怖する。
だからこそ、人間は舞台裏を覗き込もうとして、その恐怖心を克服しようとし、暗闇からの打破を心がける。
そして、現在。
「…………」
種も仕掛けもなしに、カードを吐き出し続けるクロエ・レーン・リーデヴェルトを眺めて、俺たちは言葉を失っていた。
大量に。
それこそ、両手では隠しきれない量のカードを排出しながら、委員長の全身は小刻みに震え続けていた。
ドボドボと。
音を立てながらトランプのカードは床に落ちていき、ハート、ダイヤ、スペード、クローバー……Q、Q、Q、Q……俺たちの識らない謎を垂れ流し、無音のうちに恐怖心を感染させる。
溺れる、溺れる、溺れる。
どこまでも広がり続けるカードの海は、俺の足元にまで伸びてきて、カードに記載されたハート形の口が『AHAHA』と笑声を上げた。
「……破絶の」
俺は、ささやく。
「Q」
そのささやき声を聞き取ったかのように。
ぴたりと、委員長はカードを吐き出すことをやめた。
かしょ、かしょ、かしょ。
シャッター音が鳴り響いて、委員長の両眼がスロットみたいに縦回転し、ハート、ダイヤ、スペード、クローバーのマークを揃え始める。
言葉を失った緋墨の震えが伝わってきて、黒砂は無言で瞬きし、霧雨は愉しそうに煙草を吸った。
「皆さん」
満面の笑みを浮かべながら。
猛烈に両眼を回転させている委員長は言った。
「どうなさったのですか?」
破絶のQ。
六柱いる魔人の中の一柱――烙禮のフェアレディと同じく、他人の心中を掌握して操る精神掌握魔法の遣い手。
「……委員長を解放しろ」
委員長の頬に、すぅっとハートマークが浮かび上がる。
ハートマークに切れ目が入って、その真っ赤な唇からゲタゲタと笑い声が上がり、彼女の太腿から這い出てきたスペードがパチパチと拍手をした。
「三条さん」
そっと、Qは委員長の格好で両手を組む。
「私、貴方のことが好きです……ご先祖様の問題を解決してくれたのに、なんの見返りも求めない英雄……貴方になら、この身を捧げても構いません……恋い焦がれています……」
「テメェ……ッ!!」
「三条さん、やめて、そんなに怒らないでください。私のこの身体は、クロエ・レーン・リーデヴェルトのモノですよ。
ほんのすこし」
委員長は、笑いながら人差し指と中指で空白を形作る。
「心を割いて頂いてはいますが」
「…………」
トランプのカードの山。
その山の中から這い出てきた椅子に座り、委員長の心中を操作して操っているQは足を組んだ。
「三条さん」
委員長の声音。
だが、ソレは粘ついていてねっとりと、俺の心に纏わりついてくる。
「私、貴方のことはずうっと危険視していたんですよ。アルスハリヤを調伏し、フェアレディを破滅させ、七椿すらも斬り伏せた貴方の手管……何度も何度も、貴方を死滅させようと試みたものの、一度目は日月神隠しに邪魔立てされ、二度目はアステミル・クルエ・ラ・キルリシアに妨害された。
そして、この度はアルスハリヤに嗅ぎつけられ、劉悠然とアステミルによる防壁を築かれた」
足を組んだまま、彼女はやれやれと首を振る。
「さすがは、退魔の一族、三条家の人間と言うべきでしょうか。いえ、三条燈色という人間自体が脅威だと言える。その高潔なる精神と信念、私の知っている三条家の小倅とはあまりにも異なっている。
あまりにも」
Qは、目を細める。
「邪魔だ」
「…………」
「だがしかし、貴方を囲っている防壁は数が多い上に分厚すぎる。地下天蓋の書庫の撤退戦で貴方を守り抜いたアルスハリヤといい、勘の良すぎるフーリィ・フロマ・フリギエンスといい、対眷属戦においては厄介過ぎる劉悠然に最強を冠するアステミルまで揃えられては手が出せない」
顔面を歪めたQは、歯ぎしりし、凄まじい形相で笑みを浮かべる。
「だから、私は基の手法に立ち返ることにしました」
けろりと。
怒気を発散させた彼女は、両手を広げて――その手の中からカードを降らせた。
「まずは、壁を削る」
真正面から、俺は、そのカードの雨を受けた。
目を閉じることなく。
真っ直ぐに、眼前の魔人を睨めつける。
「この魔法合宿は、その前哨戦とも宣戦布告ともご挨拶状とも言えるでしょう。けれども、三条さん、残念ながら私と貴方が対峙するのはもう少し先の話となります。
私が必要な状況を揃えたその時、貴方が大切にしている壁を削ろうとしたその時、私自身が勝利の方程式を導き出したその時……きっと、貴方は、必ず、私の行く手に立ち塞がる」
「…………」
「ねぇ、三条さん、お願いですから勘違いなさらないでくださいね。飽くまでも、この意識はクロエ・レーン・リーデヴェルトのものですから。本当の私は、こんな口調でもこんな性格でもこんな姿形でもない。
貴方にだけは、正しい形でこの私を捉えて欲しいんですよ」
うっとりとした表情で、Qは俺を見下ろし――俺は、笑った。
「ひとりでダラダラしゃべって、悦に浸ってんじゃねぇよ。単に『三条燈色さんには敵わないので嫌がらせします』って言えばいいだろ。お山の大将やってねぇで、とっとと、俺の段階まで下りてこい」
俺は、人差し指と中指でちょいちょいと手招きする。
「頭の下げ方、教えてやるよ」
ニヤリと、Qは笑う。
「心配せずとも、クロエ・レーン・リーデヴェルトはお返ししますよ。私の魔法では、彼女に自殺を施すことは出来ない。
でも」
くるくると。
両眼のマークを変えながら、彼女は愉しそうにささめく。
「こういうことは出来る」
音。
どこからともなく、軋み音が鳴り始めて、廊下に飾られている花瓶が揺れている。その軋み音は地響きへと変わり、壁に掛けられていた絵画が床に落ちて割れ落ち、カードの山は崩れ落ちて無人の椅子が転がった。
「坊っちゃん」
煙草を吹かしながら、霧雨は口端を曲げる。
「運動の時間ですよ」
「……マラソンは、師匠との修行で飽き飽きしてんだよ」
揺れる。
揺れる、揺れる、揺れる!!
轟音と共に、廊下いっぱいに詰め込まれた人形たちは、右腕と左腕を反対方向に捻じ曲げながら四足歩行で疾走し、押し合いへし合いしながら黒い塊となって、天地を揺らしながら凄まじい勢いで迫ってくる。
「立て、緋墨!! 走るぞ!!」
「は!? えっ!?」
下肢に全神経を集中させ――俺は、引き金を引いた。