水上の祭典
日を跨いで。
神すらも休む日曜日、宙空には蒼色の線が描かれていた。
「随分と大規模なこって」
あたかも、校庭の只中を一本の筆が走っていたかのような――上から下まで、自由自在に空中を流れている水。
カフェテリア『ラ・フェニーチェ』のスタッフが、午前中の時間を費やして完成させた流れるプール。だがそこに水を受ける底はなく、天から地までを流れ続ける底なしの河川のようだった。
それは一本の経路と化しており、鳳嬢魔法学園の敷地内をぐるりと一回りする形で輪となっている。
ぐねぐねと曲がりくねって、上がったり下がったり、敷設型特殊魔導触媒器によって表現されるウォータージェットコースターだった。
魔法合宿の最中、指定された休日にのみ行われるオリエンテーション。
瀟洒な帽子を被ったお嬢様たちは、従者が差した日傘の下で薄着に身を包み、本日の目玉であるこのイベントに胸を高鳴らせていた。
「で?」
シャツとショートパンツ姿の緋墨は、イベントエントリーのための列に並んでいる俺の後ろで、飛び散る水飛沫に顔をしかめる。
「なんで、フーリィさんは素直にリストを渡さないのよ?」
「至高の魔法士、絶零だからだよ。
この一件、魔神教が絡んでる。俺もすっかり頭から消えてたが、未だに解決してなかった魔法士狩りだ。以前から、フーリィはその調査を引き受けていて、前にもその尻尾を掴もうとしてた」
「魔法士狩り……魔神教の各派閥が束でかかって、憂いと成り得る高位の魔法士を事前に潰しておくってヤツ?」
「有難いことに」
俺は、ニヤリと笑う。
「今回、標的に選ばれたのは俺だ」
露骨に、緋墨はため息を吐いた。
「だから、自殺呪詛の対象として名指しされてるってことね……魔法士としての格すら持たないスコア0の男でも、三体の魔人を葬り去ってるんだから御指名受けて当然か」
列が進んで、後ろから緋墨に押された俺は前に進む。
「そいつはどうかな」
「なによ、含み持たせるじゃない。口の中でもごもごしてないで、あんたとあたしの仲なんだから全部言っちゃえば」
「表向きには、俺は魔人を倒したことにはなってねーんだよ」
眼の前に並んでいるふたりの女子が、いちゃいちゃと背中をなぞって「なに書いたか、あてて~?」、「え~、『好き』とか~?」、「やだ~」といったやり取りをしているのをガン見する。
「唯一、例外的に扱えるとすれば、フーリィが魔法協会に『討伐者、三条燈色』として連絡したフェアレディくらいだ。正式に受理されてるらしいが、大々的に周知されたわけでもなく、まるでなかったこととして扱われてる。
生憎、俺に表舞台で踊る趣味はないし、ひっそりと陰から百合を愛でることを旨にしてるしな」
「でも、魔神教の生き残りは真実を知ってるんじゃない? そこから情報が広まって、あんたを危険視したとか」
「敗残者の噂をまともに信じて、師匠やフーリィみたいな高名でスコアも伴う魔法士を差し置いて俺を狙ったりするか?」
「……まぁ、確かに」
「裏でこの事態をコントロールして、俺を狙っているヤツがいる。熱心なファンが、刃物片手にファンサービスをねだってるわけだ」
ようやく、受付に辿り着く。
人間なのか人形なのか、区別のつかない生徒は俺の手の甲にスタンプを押し、画面を開いて俺の名前をリストに記載した。
周囲の生徒たちも含めて、襲いかかってくる様子はなく、受付を終えた緋墨も引き連れて俺は受付を離れた。
「参加者の方は、どうぞ~!」
男である俺にも、愛想を振りまいてくる『ラ・フェニーチェ』のスタッフは、肩出しへそ出しの水着に近い制服姿でサーフボードを指した。
様々な色合いのサーフボードが並ぶサーフボードトラック、その中から白色のボードを取った俺は油性マジックペンで『百合最高』と書き込む。
「それ、買い取りとなりますね~」
「えっ!? なんで!?」
「いや、当たり前でしょ……ちょっと目を離した隙に、なに我が物顔で器物損壊に手を染めてるのよ……よりによって油性で……」
緋墨は、青色のサーフボードを取って脇に抱える。
俺は、そのサーフボードに油性マジックペンで『百合最高』と書き込み、緋墨に頭をぶん殴られる。
「それ、買い取りとなりますね~」
「その程度の罰則で、俺の歩みを止められるとでも思ったか?」
「あんた、なにがしたいのよ……せめて、水性にしなさい水性に……」
「必要経費だ、諦めろ。
コレとコレ、もう書いちゃったから買い取りで使わせてもらいますね」
「はい、どうぞ~」
サーフボードを管理しているリストに、俺と緋墨が借用したボードを書き込んでから、スタッフの女性は小導体を渡してくる。
受け取ってからスタート地点に移動した俺たちは、周囲を取り囲む鳳嬢生の歓声を浴びながら魔導触媒器に小導体を嵌め、同期を終えてから並び立った。
「勝算は?」
リーシュコードで片足とボードを繋げて、憂鬱そうに緋墨はボードに足をかける。
「勝たないとリストが貰えないなら勝つだけだ」
「答えになってないっての」
俺は、背後から、無表情でこちらを睨む人形たちを確認してから微笑む。
「そもそも、なんで、フーリィさんはこのレクリエーションでの優勝をリストを受け渡す条件にしたの?」
「それは、これから嫌でもわかる。
準備は?」
『……無問題』
『右に同じく』
防水性のイヤホンから流れてきた黒砂と委員長の声を聞き、俺は魔力を流し込んで――裏面に付いた砲口から水が吹き出し、勢いよくボードが唸り声を上げ、見る見る間に地面を濡らしながら震え始める。
「行くぜ」
俺は、ゴーグルをかけて笑う。
「お祭りだ」
参加者の背後に並んだスタッフたちが一斉に引き金を引き――スタートの合図が流れ――生成された津波に押し流され、色鮮やかなサーフボードたちは一気に水上を走り始めた。