股間成仏
俺の前方――手を繋いで、寄り添いながら歩く二人組。
「…………」
光学迷彩で、完全に姿を消した俺は、手を繋いでいる緋墨と委員長の後ろを付いて歩いた。
恋人繋ぎ。
それは見せかけの百合であることは明白だったが、昨今の百合供給不足問題もあって、尋常ではない集中力を要する光学迷彩の継続を手助けしてくれていた。
それとない様子で、ふたりは校庭のド真ん中を通過する。
「…………」
そのふたりへと、学生たちは視線を集中させていた。
無言で。
瞬きひとつせず、凝視している彼女らからは人間性が欠如しており、現在まで感じ取れなかった違和感を覚えさせる。
俺たちは、テントの陰に隠れて――
「ぶはっ!!」
集中力を切らした俺は、勢いよく息を吐き出して姿を現した。
「き、きっつ……こんな長時間、光学迷彩発動したことなかったから……い、想像し続けるのがキツい……末端にまで意識が回らねぇわ……」
「でも、三条燈色の予想通りだったね。人形ら、あたしたちのことは敵だともなんとも思ってない。
ただ、注視してるだけで攻撃してこないし」
「しかし」
フーリィ・フロマ・フリギエンスが鎮座するベルテント……その周囲を取り囲んでいる蒼の寮生たちは、この炎天下の中で涼し気に直立し、水分補給もせずに視線を固定していた。
「あの厳重な警備、運営が敵サイドであるということを露骨に表しているのか、それとも三条さんと蒼の寮長嬢を接触させないためなのか」
「やっぱり、真正面から入り込むのは無理そうね。秘密裏に連絡が取れれば良かったんだけど」
「改めて確認するけど、誰か、フーリィの連絡先とかもってたりしないの……?」
「「「…………」」」
俺は、とても悲しくなった。
「まぁ、いいや。
どうやって接触するかは後回しにして、お待ちかねの本命に行こうぜ」
再度、俺は、光学迷彩を発動し――
「…………」
股間だけを残して消える。
「…………」
「あ、あああああああんた、なにやってんのよぉ!?」
顔を真っ赤にした緋墨は、あわあわと両手をぶん回し、大慌てで俺(股間)を隠そうとする。委員長は、何時もの澄まし顔で微動だにしなかった。
「えっ、なに……現在、俺、どうなってんの……?」
「股間だけになってる!! あんた、現在、股間が独立宣言してるみたいになってるからぁ!! どうにかしなさいよっ!!」
「うわぁ!! なにこれぇ!?」
「三条さん、股間姿でバウンドしないでください。股間がスーパーボールみたいになっています」
慌てて、俺は、渾身の力を籠めて『消えろ』と念じる。
「うっ……ぐっ……ふぅん……!!」
股間の中心へと向かって。
じわじわと透明化していき、いやいやと首を振った緋墨は自分の顔を両手で覆った。
「三条さん、物凄い勢いで罪状が増加してますよ」
「いや、俺だって、こんな人間奇想天外みたいなことしたくねぇわ!! 股間だけ上手に残して消えるとか!! そんな器用なことが出来る股間じゃねぇことは、持ち主である俺が一番良くわかってんだよ!!」
その後、必死で俺は股間を消そうとするものの無駄だった。
この世界の片隅に取り残された我が股間に悲しみを感じつつ、途方に暮れた俺は、股間姿のままでため息を吐いた。
「ダメだ、俺の股間がワガママ過ぎる……どう足掻いたところで、この世界に股間を残そうとしている強大な意思に逆らえない……大いなる陰謀を感じる……」
「三条さんの股間に、陰謀が潜む余地があるんですか?」
「もう、そういうのいいから、どうするのか真剣に考ようよ……」
ぐったりとしている緋墨の前で、考え込んでいた俺(股間)は声を発する。
「当たり判定的には小さくなったと言えるから、猛ダッシュで駆け抜けていったら意外と監視の網を潜れたりしないかな?」
「股間が潜れるのは、リンボーダンスの棒くらいのものでは?」
「委員長、そういう冗談はいいから。俺たち、真剣に話し合ってんだからさ、ふざけたりするのやめようよ」
「ふざけてんのは、股間のあんたでしょ!? いいから、あんた、股間から発言してないで腹から声出しなさいよ!! 透明化、解きなさいって!!」
怒られた俺(股間)は、しょげ返りながら答える。
「いや、光学迷彩、発動時に一番集中力を喰うんだよ……正直、現在、解いたらもう再発動出来る気がしない。
最悪、今度は服だけ透明化して、俺の股間が世界に爪痕を残しかねない」
唸り声を上げて。
露骨に視線を逸している緋墨は、口元をもごもごとさせる。
「では、三条さんの股間を私たちが前後で挟んで隠蔽するのはどうでしょうか?」
「股間隠蔽工作だな。
委員長、良い策だとは思うが問題がひとつある。俺は、緋墨と委員長が手を繋いでいる姿を見ていないと透明化を維持出来ない。百合の波長成分を検出出来なければ全身が丸出しになる」
「では、三条さんの股間の上で手を繋げばよろしいのでは?」
「なんで、コイツの股間の上で手ぇ繋がないといけないの!?」
「それよりかはキスが好ましい」
「なんで、コイツの股間の前でキスしないといけないの!?」
ぜいぜいと緋墨は、肩で息をして――足音――ふたりの女生徒が、こちらへと迫ってくるのが股間に入ってくる。
「や、やべぇ、来たぞ!? 緋墨、委員長、急いで俺の股間を隠してくれ!!」
「自分の股間くらい自分で隠しなさいよ!! あんたの股間でしょ!?」
「股間のコントロールが効かねぇんだよ!!」
俺の股間を挟んで。
右往左往している緋墨を見つめていた委員長は、取り乱す様子もなく、彼女の肩を掴んで引き寄せる。
「えっ、あっ、ちょっ!?」
視えない俺の身体を挟み込み。
緋墨の両手に自分の両手を絡ませた委員長は、間近に迫ってくる気配を他所にそっと顔を近づける。
「…………」
結果として。
二人組の女生徒は、物陰でキスをしているように視える緋墨と委員長を視認することとなり、この世界では日常茶飯事の光景を一瞥してから通り過ぎていった。
「……行きましたね」
俺の右肩の上で。
委員長は、ぼそりとつぶやき、キスのフリをやめて身を離した。
「…………」
図らずも。
真正面から、俺に抱き着くことになった緋墨は、俺の左肩に手を置いたまま何度も前髪を手で梳いた。
俺の股間は、その濃厚な百合の気配を感じ――あたかも、天へと昇っていくかのように、すーっとこの世から消えていった。
「ありがとう、ふたりのお陰で俺の股間が成仏したよ」
「ひとりでに股間が成仏する生命体を拝見したのは初めてですね」
「いいから、行くわよ……はぁ……」
「あぁ」
ため息を吐いた緋墨の前で、俺は目標地点を見つめる。
「そろそろ、本命のところに行こうぜ」
 




