容疑者の絞り直し
「緋墨」
俺は、緋墨の腕を掴んで引き寄せる。
「テントの奥に行け。後ろにいろ」
「……う、うん」
そっと。
テントの入り口をめくって、こちらを不思議そうに眺めている度会椎名を確認する。
「…………」
どう動く。
恐らく、この一手を誤れば敗ける……全員、確かめたわけじゃないが、ビュッフェ会場に居た生徒の大半は『OUT』だった……気づくのが遅すぎた、既に俺たちは罠にハマっている……。
「……先生」
「え、な、なに!? わ、私、まだなにもしてないわよ!! まだ!! 未来は保証出来ないけどね!!」
俺は、床に転がっていた菓子袋を開いて――チョコレートをアシュリィに放り投げる。
「食え」
「……は?」
「緋墨」
「う、うん……」
俺の背中にくっついていた緋墨は、顔を上げる。
「魔道触媒器はもってるよな?」
「う、うん。持ってる。画面開くのに必要だし。ルーちゃんが護身のために持ってろって」
そう言って、緋墨はミニ・アルスハリヤのキーホールダーがぶら下がっている短刀型の魔道触媒器を取り出す。
「先生がチョコレートを食わなかったら」
俺は、ささやく。
「刺せ」
「えっ!?
どういう意――」
黙り込んで。
ゆっくりと、賢い彼女は目を見開いていく。
「う、嘘でしょ……いや、そんな筈は……そ、そういうこと……?」
「私がやりましょうか?」
委員長は、ベッドの下から大剣型の魔道触媒器を取り出す。
「ちょ、ちょちょちょ!? ディスアグリーディスアグリーよ、それぇ!? な、なんなのよぉ!? 私がなにしたって言うのよぉ!? なんで、こんな溶けかけのチョコレート食べないくらいで刺されないといけないのぉ!?」
「出来るか?」
「うん」
緋墨は、目を見開いたまま切っ先を先生に向ける。
「あんたにだけ任せたりしない」
「いやいやいや!! お待ちになってぇ!! わ、私のようにエレガントなインフルエンサーをキルするつもり!? 土下座しますから!! 土下座しますから、殺さないでぇ!!」
土下座して泣き喚く先生を見下ろし、俺は、その頭にチョコレートをぶつける。
「生きたくば喰らえ!!」
「鳳嬢教師、アシュリィ・ヴィ・シュガースタイル!! 食べまぁす!!」
セロファンの包装紙を剥いて、先生はもぐもぐとチョコレートを食べる。
「ぁあ~!! 庶民の味ぃ~!!」
「……チッ」
「現在、アナタ、舌打ちしなかった!? えぇ!? ブチ殺がすわよ!? ヘイ、デスロール!?」
どうやら、先生はセーフだったらしい。
テントの中心に座り込んだ俺は、黒砂が埋まっているベッドやらを動かし、四方からの攻撃に備えて簡易的な防壁を作り出す。
「ね、ねぇ、三条燈色」
俺のことを手伝いながら、緋墨は恐る恐る問いかけてくる。
「一回、自分の考えが合ってるか整理したいんだけど……考えと答えを突き合わせて、整合する時間に入らない?」
「そうですね、お互いの考えに食い違いがあったら困るので」
こういう事態に慣れてきている面子は、さすがとも言える状況判断能力を発揮し、興味がない本の虫は布団の中から出てくることはなく、取り残された教師は驚異的な危機察知能力で土下座の準備をしていた。
「オーケー、まずは訂正させてくれ。
キエラ・ノーヴェンヴァーは襲撃者じゃない。でも、無関係でもない」
「写真ですね」
目を伏せた委員長は答えて、俺は頷いた。
「あぁ、彼女の写真と実物を見比べてみた時に『そっくりそのまま』だった」
「はぁ?」
チョコレートをぱくぱくと食べている先生は、小馬鹿にしたかのように肩を竦める。
「な~にを当たり前のことをシンキングぅ? アナタ、ソレ、お里が知れるわよぉ? 張本人の写真を撮ってるんだからぁ、イエス!! ソレ、即ち、そのままでビンゴぉ!!」
パチンパチンと。
軽快に指を鳴らした先生は、勝手にハンモックに座ってコーヒーを飲み始める。
「撮影日」
「……は?」
「この写真の撮影日、八年前なんだよ。つまり、キエラが魔法協会に所属した当初に撮影したモノだ。八年も経てば、容貌はそれなりに変わる。どうやっても、そっくりそのままなんて有り得ない。
それに、コレ、視線が微かに左下に向かってる」
緋墨が映した写真を指し、俺は続ける。
「腕時計だ。
キエラ・ノーヴェンヴァーは、左腕につけてた腕時計を気にする素振りを見せてた。でも、あの腕時計は、まるで魔法協会に所属した時にお祝いでもらった記念品みたいに新品そのもので汚れも傷もなかった。
あんな風に、過剰に腕時計を確認してたら腕かベルトには擦れの痕が多少は残る。でも、その痕跡すらないのはおかしいだろ」
「…………」
「それに、この八年前に撮られたバストアップ写真を視れば、彼女が魔法協会指定の黒ローブを着ていることがわかる。
魔法協会の登録証のための撮影ならいざ知らず、この真夏にこんなクソ暑そうな黒ローブを着て歩き回るか? 幾ら真面目だからって、炎天下であんなもん着込んで汗一つ掻かないなんて異常だ」
「…………」
先生は、震えながらコーヒーを口に運ぶ。
「だから、俺はひとつの仮説を立てて検証した」
唖然とするアシュリィ先生の前で、俺は人差し指を立てる。
「コイツは、自殺呪詛に使われる藁人形の一種なんじゃないかって。
で、検証結果は――」
俺は、赤くなった自身の手の甲を見せる。
「コレ」
「手を掴んだ時に、抓ったんですね」
「ご明察。
アレは、自殺呪詛用の藁人形で確定。襲撃者自身も、藁人形として紛れ込んでるんだと思って、襲撃者はキエラ・ノーヴェンヴァーだと思った」
「いや、ちょっと待ってよ。
あんたの話を聞いた限りでは、『人体の部位が描かれた人形を破壊した時』に傷がフィードバックしたんでしょ? 矛盾してない?」
「罠だ」
「え?」
「あの襲撃自体が、現在の事態を作り上げるための罠だ。
なにもかもが上手く行き過ぎてる……本当に偶然なのか疑った時、一転して、現在までのすべてがニヤけ面のライターが書いた筋書きに視えてきた」
「…………」
緋墨は、そっと顔を上げる。
「あの襲撃は、三条燈色に『人形を壊したら自身にダメージが入る』……そう思い込ませるための罠ってこと?」
「お前、頭の回転早いね」
「冗談抜きで、あんたにだけは言われたくないんだけど……煽りにしか聞こえないし、あんなアホみたいなことしてるヤツより後手に回ってる事実が……」
苦虫を噛み潰したかのように、緋墨は思い切り顔をしかめる。
「おかしいとは思ってたんだよ。なんか、トントン拍子に進むルール説明みたいだなって。わざわざ、あんなコレ見よがしに襲ってきてさ。
それで、黒砂さんから『丑の刻参り』の話を聞いて、基になってる呪詛は藁人形を壊す必要のないモノだってわかった時に……違和感が渦巻くようになってた」
「誤認のための襲撃ですか」
膝の上に大剣を置いて。
礼儀正しくソファーに腰掛けている委員長は、髪を掻き上げる。
「植え付けられた誤認はふたつ。
ひとつ、『三条さんが人形を破壊した時、三条さんの肉体に傷が返ってくる』。
ふたつ――」
委員長は、人差し指の次に中指を立てる。
「『人形は、人形の形をしている』」
「そう、それが最大の誤認で……最大の危機を招きつつある」
俺は、真相をつぶやく。
「この魔法合宿の参加者は、ほぼ全員、自殺呪詛がかけられた人形だ」
優雅にコーヒーを飲んでいた先生は――ブーッと、勢いよく吹き出した。
「げほっ、がはっ!! えはっ!! ぐほぉ!!」
「先生……先生、咳き込みながら土下座されても困ります……俺は黒幕じゃないから、媚売っても無駄なのでやめてください……」
「あ、アナタ、な、なにを意味のわからないことを!? Ahan!? に、人形!? 人形なわけないでしょぉ!? ドール・イズ・ニンギョウ!? だ、だって、どう視ても人間そのものじゃないのほらぁ!!」
外で立ち尽くしている度会を指し、先生は必死で叫ぶ。
無言で、俺は、度会の指先につけた傷と同じ箇所についた傷を見せ、涼しい顔で立っている人形に目線を向ける。
「……食ってないんだよ」
「え?」
「食ってないんだ」
俺は、先生にささやく。
「このリストに載ってる魔法合宿の参加者、誰も食べ物を食べてないんだよ」
ぱくぱくと、アシュリィ先生は口を開閉し、思い当たるところがあったのかへなへなと崩れ落ちる。
「三条さんの言う通り、私の記憶にある限りは、参加者の方々は飲み食いをしていませんでしたね。ビュッフェ会場の時も、『ラ・フェニーチェ』の時も、食物を口にしている姿を視たことはなかった」
「食べれないんでしょうね、単純に……そういう機構になってる……本物そっくりだけど、飲み食いは出来るようにはなっていない……」
「最初から、俺たちは間違えてた」
苦笑して、俺は答えを差し出す。
「容疑者は三人じゃない――全員だ」
テント内は静まり返って、先生は音もなく土下座した。




