真夏のアプローチ
「なにか」
司書室から出た途端。
出待ちしていたらしい委員長が、目を伏せたままささやいた。
「お手伝いいたしましょうか?」
「いえ、大丈――」
「三条さんにお尋ねしています」
ぐっと。
言葉に詰まった緋墨は、ちらりと俺を窺う。
「いや~、委員長のお気遣いは有り難いけど、特に手伝いは必要な――」
音もなく。
踏み込んできた委員長は、人差し指を俺の唇に当てる。
「貴方に恩を返せていません」
「…………」
「人間を救ったなら、その責任は果たさなければいけないとは思いませんか?」
「…………」
「緋墨瑠璃さん」
「は、はい?」
急に水を向けられた緋墨は、びくりと身動ぎする。
「元は魔神教の一員だったが、三条さんに救われて既に脱退している……現在は、都内のビジネスホテルに滞在しており、私と同じように三条さんに恩を返すためにあくせくと働いている最中。
合っていますか?」
「あ、合っています……」
「では」
何時もの澄まし顔で。
ぷにぷにと、委員長は俺の唇を何度も突く。
「なぜ、同様の立ち位置に居る私だけを例外的に扱うのでしょうか? 理由は? 簡潔に二文字以内でお答えください」
「いや、だ――」
「三文字」
「……ない」
「では、お手伝いをさせて頂きます。以上」
なんてことはなさそうな顔で、胸ポケットから出したリップクリームで、委員長は俺の唇を保湿する。
「な、なんで、現在、俺の唇にリップ塗ったの……?」
「唇の乾燥は、口唇炎や口角炎、ひび割れやただれへの悪化に繋がりますので」
「……それ、委員長のリップじゃないの?」
「それがなにか?」
俺の目の前で、委員長はそのリップを自分の唇に塗って。
なぜか、顔を真っ赤にした緋墨は、あたふたとポケットを弄っていたが、目当てのモノは見つけられなかったらしく肩を落としていた。
「鳳嬢の生徒としてはしたないことではありますが、立ち聞きさせて頂きましたので現況は把握しています」
自然な動作で。
俺のネクタイのズレを直した委員長を視て、緋墨は顔を真っ青にする。
「僭越ながら、失せ物探しには一日の長があります。長い年月を賭して、つい先日まで迷宮を彷徨っておりましたので」
几帳面に折りたたんだハンカチで、委員長は俺の首筋の汗を拭き取り、わなわなと震えた緋墨は顔を赤くする。
「多少の御役には立てるかと」
「エロいッ!!」
「……はい?」
頬を染めた緋墨は、ビシッと委員長を指し、指された側は小首を傾げる。
「い、いちいち、クロエさんはエロいッ!! ふ、ふつー、自分のリップクリーム、他人の唇に塗りたくったりする!?」
「互いに不承不承の縁ながら、三条さんと私を『他人』とカテゴライズするのは少々無理があるかと」
「そ、それに、む、胸!! 胸、当ててるよねソレ!? ネクタイのズレ直したり、汗を拭いてあげたり!? その距離感、完全に恋人のソレだし、わざわざ密着して胸を当ててるんじゃないの!?」
「えぇ、当ててます」
「ゔぇッ!?」
ガクガクと震えながら、俺は委員長を見下ろす。
「わ、わざとだったの……? あ、あんまり、指摘してはいけないタイプの純真無垢なお節介だと思ってたんだけど……?」
「三条さんは、御自身の手でネクタイを直したり汗を拭いたりすることが出来ないんですか?」
「い、いいえ……」
「はい、なので純真無垢な故意です」
さらりと、委員長は応える。
「頭に『純真無垢』なんてつけていいモノじゃないよね、ソレ!? さ、三条燈色は男の子なんだよ!? あ、あたしも色々調べてるけど、この年代の男の子は、そ、そういうのは毒なの!!
な、なんていうかその……」
「性的興奮を催す」
真顔で答えをつぶやいた委員長に対し、緋墨はかーっと赤くなってもじもじとし始める。
「緋墨瑠璃さん」
真剣な口調で、委員長は言う。
「三条さんはドスケベですよ」
「お前、真顔でなんてこと言い出してんの……?」
「失礼……………………ドスケベです」
「当本人の前で長考しながら、堂々と言い換えに失敗するな……委員長、セクシャルハラスメントで訴訟するよ……?」
「棄却します」
なんで、裁判長がお前なんだよ。
「私なりの恩返しです。
偽三条さんからのアドバイスになります」
「緋墨、真に受けるな。コイツ、悪魔の甘言に呑まれた邪教徒だぞ」
「三条さんは、緋墨さんのこともエロい目で視てますよ」
「…………そ、そうなのかな」
「緋墨? 真に受けるなって言ったよね?」
「で、でも、あんた、何時も私が着替え中とかお風呂に入ってる時とかに電話かけてきたりするじゃん……?」
「どう返せば、俺のこと嫌いになってくれる? どうせ、ココで『あぁ、そうなんだ。俺、ドスケベなんだ』って言っても逆効果なんでしょ?」
「冗談はともかく」
「人の心に致命傷与えといて、冗談で済ませようとするその心意気に感動した」
俺から身を離した委員長は、両手を前に組んで緋墨を見つめる。
「無計画に動かず、まずは念入りに計画を立てて動くのが吉かと思いますが」
「も、もうちょっと、思い切ってくっついてみるとか……?」
「俺への恩返しの話じゃねぇよ」
「さり気なさが肝要かと」
「俺への恩返しの話じゃねぇよ!! いい加減、真面目にやろうぜ、なァ!? 俺、右目、潰されてんだけど!?」
ギャーギャーワーワーと。
圖書館で騒いでいた俺たちは、無表情の黒砂に外へと押し出されて、三人で炎天下に放り出される。
真夏の空の下。
高級ブランドの日傘を差した人影が、こちらを見つめており、壁に隠れているようで隠れていないその人物に指で招かれる。
「アシュリィ教諭ですね」
一瞬でバレた先生の下へと、俺はひとりで寄っていく。
だらだらと汗を掻いていた彼女は、念入りにボディシートで額を拭いながら、舌打ちをして俺に書類を渡してくる。
「チッ……調べてきたわよ……チッ……」
「舌打ち、二回、ね……」
「ちゅっ♡ 調べてきましたぁ♡ ちゅっ♡」
即オチするなら、あんなあからさまに舌打ちしなきゃ良いのに……そういうところ、良いと思います。
「じゃあ、私、戻らせてもらうから。用があっても呼ぶんじゃないわよ。アナタみたいな貧相な貧民とは違ってヴェリィ・ビジィなの」
「そいつは残念だが」
リストを眺めて――
「これから、ますます忙しくなる」
俺は、ニヤリと笑った。




