自殺呪詛
長期休暇中も解放されている大圖書館。
休暇中でも勉学に励んでいる少数の生徒が個室を用いているくらいで、図書委員と司書教諭以外の人影はなく、何時になく大圖書館は閑散としていた。
そんな静まり返った圖書館内で、黒砂は銀白の天球に手を当てる。
検索が終了し、勢いよく数冊の本が降ってくる。
『転法輪菩薩催魔怨敵法』、『堅牢地天儀軌』、『北野天神縁起』、『日本書紀』、『丑の刻参り』、『太平記』、『大祓詞』、『殺生石調伏』……黒砂から本を受け取った俺は、司書室までそれらを運ぶ。
テーブルの上にまで運んで。
黒砂は『転法輪菩薩催魔怨敵法』を手に取った。
「……日本の呪法の中で、最も本格的なものは密教修法。
この修法は、空海請来の不空訳『転法輪菩薩催魔怨敵法』を本拠としてい――」
「黒砂さん、ごめん、ストップ。
もしかして、呪法の歴史から解説を始めてくれる気してない? そこまでいくと、かき氷が溶けちゃうからさ」
「…………」
どことなく不満気に、黒砂は『転法輪菩薩催魔怨敵法』を閉じる。その綺麗な指先が『堅牢地天儀軌』の上を彷徨い、最終的には『北野天神縁起』を開いた。
「……古来より、人を呪い殺す蟲物には、人形に呪いの言葉と符号を記した魘魅がよく使われていた」
蒼白い燐光を纏ったインクに浸った羽ペンを取り出し、その魔道具を払った黒砂の視線の先に『文字』が投影される。
「……平安の世、藤原時平が陰陽師に人形を作らせて藤原道真に呪詛をかけた。『日本書紀』にも『像を作ってマジナウ』という記述があり、考古学的な遺物として胸に鉄釘が打ち込まれた木製人形代が存在する。
このように、大昔から人形を用いた呪法は用いられてきている」
『北野天神縁起』から抜き出された一説が、空間内に映し出されて彼女はささやいた。
「……日本の呪詛の中で、最もよく知られるのは丑の刻参り」
黒砂が『丑の刻参り』と『太平記』を手に取った瞬間、資料写真らしき貴船神社の社頭がクローズアップされて映し出される。
「……丑満つ時に神社に参じ、呪う相手に見立てた人形を神木や鳥居などに打ち付けて呪う。藁人形と五寸釘と鉄槌を用意し、白衣と神鏡を身に着け、一枚歯の高下駄を履き、女ならば櫛を口に咥え、五徳を逆さに立てたものに三本の蝋燭を灯して頭にかぶる。
また、道中、決して人に視られてはならないという作法がある」
表示された藁人形を手に、黒砂はささやく。
「……相手を呪い殺すならば、急所である心臓部に釘を打ち込む。殺さずに苦しみを与えるだけであれば人体に相応する箇所を打つ」
「なんか、漫画とかアニメでよく視るヤツよね」
「……古代中国では、芻霊と呼んだ」
一息吐いた黒砂は、また、もりもりとかき氷を食べ始める。
「魔神教に属してた時、七椿派が嫌悪してライゼリュート派が好んで用いたのが、その手の『呪法』だって聞いたことがあったんだけど……そもそも、呪法っていうのはなに?」
「……呪法は魔法」
「え? どういう意味?」
スプーンを動かしながら彼女はつぶやく。
「……単なる呼称の問題。
時代や地域や言葉が変われば呼称も変わる。当たり前。それは魔法に関わらず、何事に対しても言える。日本では大正時代まで『魔物』は『怪異』と呼ばれていたし、陰陽道では『裂け目』は『鬼門』と呼称されていた。中華圏では『魔法』は『仙術』とも言われ『魔法士』は『仙人』とも言い換えられる。
呪法は呪術とも言えるし呪いとも言える。辞書を引けば呪術は魔術と記載されているし、魔術とは魔法であると明記されている」
「…………」
「……現代、体系化されて魔道触媒器で発動出来る魔法は、すべて過去に『未知の奇跡』として扱われてきたもの。
古来、地域や言語や集団の数だけ分かたれていた『神秘』を統一し、汎用化したモノが魔法だと言えばわかる?」
「…………」
「いや、そんな目で視られても俺は理解出来てるから。予習済みだし」
設定資料集の内容をぺらぺらと暗誦してみせる黒砂に驚いている間に、彼女は『殺生石調伏』を開いた。
「……七椿派が呪法を嫌悪しているのは、元栄三年に陰陽師の安倍泰親が持ち出した照魔鏡により、玉藻の前の正体が露わになり、その後の退治劇により石と化したことに起因する。
その石が殺生石であり、玉藻の前の正体は万鏡の七椿であったとも言われている」
ちらりと、黒砂は俺を見上げる。
「……安倍泰親が用いた陰陽道は陰陽五行説を基にした呪法、平安末期の怪異を相手取った退魔士としても知られている。
また、三条家も陰陽道に精通し、退魔の一族として平安初期から名を知らしめていた」
「なら、今回の襲撃犯は三条家の人間ってこと?」
「……可能性はある」
今にも崩れそうな本の山を指先で調節し、黒砂は食べ終えたかき氷の器を揺らす。
「……襲撃者は、呪法に精通している。相手に呪詛をかける時、最も警戒しなければならないのは呪詛返し」
「人を呪わば穴二つ、ってヤツか? 相手に呪詛をかけたことを感知されれば、そっくりそのまま仕返しされる?」
こくりと、彼女は頷く。
「……所謂、魔力の痕跡を辿った反撃魔法。その呪詛返しの対策として、本件の襲撃者は実に論理的な対策を仕掛けている」
羽ペンの先をインク壺の中に浸けて、ニコリともせずに黒砂はささやいた。
「……呪詛と呪詛返しを、呪詛をかけた対象に押し付けている」
「どういう意味?」
「……つまり」
投影された藁人形の手に鉄槌と鉄釘を持たせて――己の心臓へと、藁人形は鉄釘を自ら打ち込んだ。
瞬間、藁人形は自らかけた呪詛の呪詛返しを喰らって左胸から盛大に破裂する。
「自殺呪詛」
思わず、俺は笑う。
「つまり、呪いをかける相手に自律している藁人形をけしかけて、その相手自らの手で鉄釘を藁人形に打ってもらいましょうってことか。
呪詛の行使を相手に押し付けて、呪詛返しを完璧に封じる賢い手だな」
それに、俺の意思でこの呪詛が完成しているとすれば……この呪詛を解かない限りは、自らの意思で目を修復することも出来ない。
当然だ。自分の意思で、自分の目を潰していることになっているんだから。
「……呪詛には、相手との結びつきが必要とされる。相手自身の手で呪いが行われるのならば、その結びつきもまた解決される」
「随分と賢しい丑の刻参りだな。この学園丸ごと神社扱いで、俺ひとりで呪法を完成させようなんて芸術性すら感じるね」
ブツブツと。
顎に手を当てて考え込んでいる緋墨はささやく。
「そこまで考えて行動に起こしてるなら、あまりにも慎重過ぎる……尻尾を出す気がしない……解決策はあるの?」
「……呪詛をかけている魔法士を無力化する」
「大量の外部講師やら部外者やら使用人やらが立ち入ってる魔法合宿で、そこまで慎重な襲撃者とかくれんぼしろって……?」
緋墨は、冷や汗を流す。
「冗談でしょ……?」
九鬼正宗の柄をぽんぽんと叩きながら、俺はゆっくりと口を開いた。
「人形を捕まえて消すっていう選択肢は? 昨夜、俺が追いかけ回して捕縛した人形は自動的に消えたし、俺の肉体にはなんの影響もなかった」
「……私が襲撃者なら」
「もう、鬼ごっこはしない、か」
ニヤリと、俺は笑う。
「良いねぇ」
俺は、思わず、笑みを隠せずに――
「共同作業で鉄釘打って、クソッタレなラブコメを呪ってやろうぜ……襲撃者さんよぉ」
右手で、ニヤついた口元を覆ってささやいた。




