拝啓、百合の神様
ほぼ同時に。
月檻とレイは、引き金を引いた。
術式同期、魔波干渉、演算完了。
導体、接続――蒼白い魔力線を身体に引いたふたりは、凄まじい速度で正面から衝突し――俺は、その間に飛び込む。
右合いからの刺突。
低く突いてきたソレを右足で絡みとって、床に叩きつけて止める。
左側からの斬撃。
半身をズラしながら抜刀し、上段から飛んできた斬撃に九鬼正宗を合わせる。
両者の攻撃を止めて、俺は、安堵の息を吐いた。
「お兄様!?」
「ヒイロくん!?」
間に俺が立ったのを認識していたのか。
ふたりがブレーキをかけなかったら、きっと、止めることは出来なかっただろう……それほどまでに、鋭い攻撃だった。
「ふたりとも、そこまでだ。
俺に婚約者がいるって言うのは、月檻、レイ、どちらかが吐いた嘘でもなんでもない。勘違いでクラスメイト同士が、憎しみ合って戦い合うのは違うだろ。互いに好意が生まれそうにもないし、そもそも、解釈違いだ」
俺は、自身の首筋の寸前まで迫っていた刃を見つめる。
「…………」
あれ? なんで、対魔障壁が展開されてないの?
そこで、俺は、ようやく現状を理解してゾッとする。
そう言えば、スコア0の俺には、屋内訓練場の使用許可は出ていなかったんだ。設備の使用許可が出てないのだから、決線に立っても、自動的に対魔障壁が張られるわけがない。
あぶねー……どうでも良いところで、犬死にするところだった……まぁ、ヒイロっぽいからソレはソレでありかもしれないが。
「話の流れで、最初に、俺からラピスに伝えたんだよ。
ふたりには、タイミングを合わせて話をするつもりだった。それがあべこべになったから、ふたりとも勘違いしたんだろ」
「では、お兄様に婚約者がいるというのは本当なのですか?」
「う、うん……(大嘘)」
「俄には信じられないけど」
疑いの眼差し。
最早、ココで打ち明けるしかないと判断した俺は、電話でスノウを呼び出した。
やって来た白髪のメイドは、無表情のレイと月檻を視るなりぎょっとして、俺のことを恨めしそうに睨んでくる。
「よ、よぉ、ハニー……」
「やってくれましたね、ダーリン……」
予想外の事態にも関わらず、婚約者のフリは続けてくれるらしい。
強張った笑顔で、スノウは、俺の腕を抱え込む。
「…………」
「…………」
その瞬間、月檻とレイの眼差しが更に冷たくなる。
ガタガタガタガタ。
小刻みなスノウの震えが俺に伝わってくる。落ち着かせるように、俺は、彼女の肩を抱いて引き寄せる。
「こ、婚約者のスノウだ。可愛いだろ」
「す、スノウです……ど、どうも、こんにちは……」
偽りの笑顔を浮かべたまま、俺とスノウはささやき合う。
「ふざけてんですか、このバカ主人……! レイ様へのカミングアウトは、タイミング図るって言ってたでしょぉがぁ……!」
「仕方ねぇだろぉがぁ……! わけわからんうちに、どうしようもならない事態に陥ってたんだからよぉ……!」
「レイ様、めっちゃこっちを視てるんですけどぉ……! 視たことのない冷たい眼差しなんですけどぉ……! なんか、しゃべってくださいよ……!」
「無理に決まってんだろうがァ……! 会話のレパートリーがねぇんだよォ……!
現在の俺に喋れるのは、朝に食べたラピスの弁当の感想くら――」
「もう喋るな、カスぅ……!!」
「お兄様」
笑っていない目で、レイはささやいた。
「彼女は、うちのメイドですが」
「い、いや、それは……あの……スノウが説明してくれるって……(目逸らし)」
「あはは……ヒイロ様は、恥ずかしがりやですね……貴方が説明するに決まってんでしょうがァ……!!(脇抓り)」
「なんだよ、スノウ、くすぐるなってェ……!!(頼む頼む頼む!!)」
「もう、ヒイロ様ったら、やめてくださいよォ……!!(お願いしますお願いしますお願いします!!)」
「仲、良いんだね」
笑いながら、月檻はささやく。
「でも、やっぱり、信じられないかな。
ふたりの間には、微妙に距離感みたいなものがあるし」
「えっ!?」
レイは、顔を輝かせる。
「う、嘘なんですか、お兄様……!」
「…………(大量の汗)」
いつの間にか、月檻とレイはタッグを組んでいる。
さっきまで争っていた筈なのに、ふたり仲良く並んで、俺たちを追い詰めていた。
余裕そうに微笑む月檻は、騎士の右奪手を放り投げ――
「ヒイロくんの性格上」
キャッチする。
「全てが嘘であった場合、ココで私が『証拠を見せてよ』と言っても、なにも出来ないんじゃないかな?」
「お兄様、嘘なんですか? 嘘なんですよね?(お目々キラキラ)」
「…………(頭に鳴り響く聖歌)」
「キスしてみせてよ」
笑顔の月檻は、俺にささやく。
「男と女だし、婚約者なんだから、キスくらいは済ませてるよね?」
ため息を吐いて。
覚悟を決めたかのように、スノウは俺の袖を引いた。
頬を染めた彼女は、ぎゅっと、メイド服の前掛けを握り締めてささやく。
「ヒイロ様……」
彼女は、俺を見上げて、静かに目を閉じる。
「貸し1、ですからね……」
コレ、終わったのでは?(絶望)
完全に追い詰められた俺の頭が、ぐるぐると回転する。
ココで、スノウにキスしなければ、きっとふたりは婚約者の存在なんて信じようとはしないだろう……だが、スノウの意思は……スノウは、女性を好きになったことはないと言っていたが、別に、俺を好きとは言ってないわけで……いっそ、白状するべきか……。
俺は、スノウの両肩に手を置いて。
どうするべきだと、考えあぐねたまま、ゆっくりと彼女の顔に唇を寄せ――
「だ、ダメぇええええええええええええええええええええええええええええええええええええええええええええ!!」
飛び降りてきたラピスが、俺たちの間に割り込んだ。
驚愕で、レイと月檻、俺とスノウは硬直する。
そのままの勢いで、彼女は叫んだ。
「わ、わたし、実はヒイロのことが好きだったの! 恋愛感情的な意味で!!
だ、だから、目の前でふたりにキスして欲しくない!!」
ラピス、なにを言って……そこで、俺は、ようやく彼女の意図に気づく。
「そうだったのか、ラピス……お前の気持ちに気づけずに悪かった。
そもそも、疑われているからと言って、人前でキスなんてはしたない真似をする必要なんてなかったな。
俺とハニーの愛は不滅なんだから」
「そ、そうですね。ダーリンの言う通りですね」
スノウは、ゆっくりと、俺から離れる。
顔を真っ赤にしたまま、ラピスは、わたわたと手を動かす。
「ふ、ふたりの気持ちはわかる! わ、わたしもヒイロのことが好きだったし! 婚約者なんて存在しないって思っちゃうよね! で、でも、このふたりは間違いなくラブラブの婚約者! この間、わたしの前でキスしてたもの!」
「いや、別に、ヒイロくんのことをそういう目で視てたわけじゃないけど……」
「私も、お兄様は敬愛すべきお兄様であって……」
「だ、だったら、無理に疑う必要ないんじゃない!? 黙って、ふたりのことを祝福してあげましょうよ! ヒイロだって、婚約者がいるからと言って、無理に距離を取る必要はないって言ってるし!
ね、ヒイロ!!」
「お、おう、もちろん!」
月檻とレイは顔を見合わせて、こくりと頷いた。
「釈然としないものはありますが……相手は見知ったスノウですし、お兄様の判断を疑うつもりはありません」
「まぁ、私は最初から、今まで通りにからませてもらうつもりだから」
どう視ても、ふたりは、俺に婚約者がいることを信じ切っていない。
それでも、この場は収めることにしたのか、ふたり仲良く連れ立って屋内訓練場を去っていった。
俺が飛び込んだ時点で、白けきった観衆たちはいなくなっていたらしい。
無人の屋内訓練場の中央で、俺たちは同時に肩の荷を下ろし、互いに目配せし合う。
「ラピス、本当に助かった……ありがとうな」
「別に良いよ。
元々、わたしが蒔いた種みたいなものだし……あんな追い詰めるみたいに、無理矢理、キスさせるのもおかしいと思ってたから」
「でも、本当に良いのか? あのふたり、ラピスが俺のことを好きだったなんて、勘違いしたままになるが」
「もうフラれて、きっぱり、諦めたって設定でいけば特に問題ないでしょ。別に、あのふたりにどう思われようと構わないし」
「……ヒイロ様」
袖を引っ張られた俺は、スノウに場内の隅へと連れて行かれる。
「ラピス様に真実を話した方が良いと思います」
「えっ!? なんで!?」
「恐らく、薄々、ラピス様はこの関係が嘘のものだと気づいていますし、月檻様もレイ様も疑惑を残している。
学園生活内では、従者の私はフォローは出来ませんし、アホバカマヌケの三拍子様は女心と言うものがわからないので、割り切ってラピス様に協力を仰いだ方が良いかと……もちろん、危険性はありますが」
「アホバカマヌケの三拍子様って、もしかして俺のこと……? 危険性って……?」
「ラピス様が、ヒイロ様に恋をすることです」
俺は、思わず、笑った。
「大丈夫だ、なにがあってもありえねーよ」
「…………」
「有り得ないよね?(不安)」
「ラピス様は、本当にヒイロ様を助けるために、あのキスを止めたと思いますか?」
「お前、不穏なことを言うのはやめろ!! お前ぇ!!」
俺の肩をぽんと叩いて、スノウは微笑んだ。
「もう、全員、落としちまえば良いじゃないですか。
レイ様以外なら、喜んで認めますよ」
「いや、お前、ホントに黙ってろ……今、めっちゃ考えてるから……まだ、大丈夫……ココからだ……俺の百合は、ココから始まるんだ……」
ぶつぶつと、つぶやいていると、背後からラピスが覗き込んでくる。
「ご、ごめん、聞こえちゃったんだけど……婚約者って、嘘だったの……?」
「はい、嘘ですよ。
すみません、うちの嘘吐き主人が」
「いや、ちょっ、お前、そんなあっさり、待っ――」
「そっか」
ラピスは、微笑を浮かべて、自身の両手をぎゅっと握り込んだ。
「嘘だったんだ……そっか……」
「と言うわけで、ラピス様には、御主人様のフォローを頼みたいのですが……やんごとなき事情で、こちらの三条燈色様は、女性とお付き合いすることが出来ないんですよ」
「あ、そうなんだ……この間、三条家と色々揉めてたもんね……レイたちに嘘を吐いてるのもそういうこと……?」
「そ、そんなところかな。うん」
「そういう事情なら早く言ってよ! ヒイロが困ってるなら、もちろんフォローするから! わたしに任せて!」
俺の手を握って、ラピスは目を輝かせる。
「差し当たって、ラピス様には、オリエンテーション合宿中の手助けをお願いしたいのですが」
「もちろん! ヒイロ、わたしに任せて!」
優しく、俺の手を両手で包み込み、顔を寄せてきたラピスは微笑む。
「ヒイロのために、わたし、頑張るから!」
「…………」
拝啓、百合の神様。
もしかしたら、俺、もう詰んでるかもしれません。