野に下れない男
校舎裏。
監視がないことを確認してから、俺は緋墨へと向かい直る。
「……なんで来ちゃった?」
「だって、フォローが必要でしょ?」
悪びれる様子もなく、鏡にした画面を見つめながら、前髪を直している緋墨はささやく。
「明確に、あんたが『魔人』であることを知ってるのは神聖百合帝国のメンバーだけだし……魔人関連の面倒事なら、あたしたちに協力を仰ぐのが適正じゃない? 違う?」
「だからって、お前が出張ってくる必要はない。違うか?」
「な、なによ、歓迎しないにしろ、迎え入れるくらいはしてくれても良いじゃない」
「ひとつ、お前はもう死んだことになってる」
指を指しながら。
迫る俺に圧されて、緋墨はじりじりと下がる。
「ふたつ、お前は豪華客船で鳳嬢の制服を着て、オリエンテーション合宿に参加してるところを視られてる」
とんっと、緋墨は壁に背をついた。
「みっつ」
俺は、頬を染めた彼女にささやきかけた。
「豪華客船に、鳳嬢の学生として紛れ込んでた眷属はBクラスの生徒を装っていて……アルスハリヤ派の連中を豪華客船に紛れ込ませたのは、Bクラスの担任である『アシュリィ・ヴィ・シュガースタイル』だ」
背けた緋墨の顔の横に、俺は手のひらを叩きつける。
「違うか?」
顔を真っ赤にして。
両手で顔を隠した緋墨は、ぶんぶんと首を振った。
「…………」
「…………」
「…………」
「……いや、別にコレ、壁ドンとかじゃないからね?」
「わ、わかったから離れて……」
俺が離れると、緋墨は安堵の息を吐いて居住まいを正す。
「た、確かに、あんたの推察は正しい。アシュリィは私やルーちゃん、りっちゃんが、アルスハリヤ派の眷属として活動していた頃の記録をすべて持ってる。個人情報という個人情報が筒抜けだし、その気になれば、私たちが『NO』を言えなくなるような脅しを仕掛けることも出来る」
彼女は、ちらりと俺を見上げる。
「そういう情報を渡しちゃったのは私たちだし……ミスを取り返すなら、自分の手でって考えるのは当然じゃない……?」
「仲間だろッ!!(ドンッ!!)」
「いや、そういう王道少年漫画的なノリでもないの。真剣に話してんだから茶化すな。そーゆーの、やめろバカ」
ぽかりと、緋墨に頭を殴られる。
「でも、なんていうか、そういうのは飽くまでもおまけで……まぁ、その、たまにはあんたの役に立ちたいっていうか……べ、別に、あんたのご機嫌を伺うわけじゃないけど……いちおー、私、あんたの配下なわけだし……? フォローくらいしたいじゃん……?」
「配下じゃなくて!!」
俺は、息を吸い込み――叫ぶ。
「仲間だろッ!!(ドンッ!!)」
「だ、だから! う、うっさい、だまれ!」
お優しい緋墨さんに、撫で付けられるように肩を叩かれる。
叩くというより撫でている緋墨を無視して、考え込んでいた俺は、ボディアタックしてくる緋墨に肩をぶち当てる。
「いだぁ!! ちょっと、あんた、手加減しなさ――」
「結論から言おう」
俺は、どんどん、ぶつかってくる緋墨の頭を押さえつける。
「杞憂だ」
「……は?」
「アシュリィは、俺たちに脅迫をかけられる立場にいない。それ故、杞憂と言った。つっても、お前が心配なら対処しても良い。
でも、まぁ」
俺に寄り添いながら、見上げてきた緋墨にささやく。
「正直、お前にフォローしてもらえるのは助かるな……お姉ちゃんや師匠に相談するわけにもいかないし……」
「あんた、姉いたの!?」
「最近、出来た」
「あんたの両親がどう頑張っても、妹しか生産出来なくない!?」
「いや、お姉ちゃんはお姉ちゃんであって、別に血が繋がってる必要はないだろ? お姉ちゃんがお姉ちゃんだって言ってるんだからお姉ちゃんだ。
つまり、お姉ちゃんなんだ? わかるだろ?」
「なに言ってんの、あんた」
「とりあえず」
俺は、指で校庭の方を指差す。
「俺のテント、行こうぜ」
「……お、おっけー」
歩き始めると、急に大人しくなった緋墨は俯きながら付いてくる。
一応、変装を施している緋墨は、物珍しそうに校庭に張られたグランピングテントと遊び回っているお嬢様たちを見つめる。どことなく浮足立っている緋墨の様子を視て、苦笑した俺は、彼女がこの合宿に参加することを受け入れた。
「有難いことに、この魔法合宿は自由参加だからな。いちいち、出欠をとったりはしないし、誰が参加してるかなんてことも気にしない。堂々と制服姿で歩き回っている分には、バレたりしねぇだろ」
「う、うん……それで、『俺のテント』って言ってたけどさ……」
ちらちらと、緋墨は俺を瞥見する。
「私……そこで寝泊まりすることになるんだよね……?」
「そりゃそうだろ。野宿させるわけにもいかないし、運営側に新しい寝泊まり用のテントを用意させたりしたら怪しまれるしな」
「だ、だよね……」
しずしずと、緋墨は俺の数歩後ろを付いてくる。
「…………」
「…………」
「ね、ねぇ」
「うん?」
「わ、私、アレだったら料理とか作るから」
「あぁ、まぁ、良いんじゃねぇの」
「…………」
「…………」
「せ、洗濯……洗濯ってどうする……? 鳳嬢だったら頼んだらやってくれるんだろうけど……アレだったらコインランドリーとかで一緒に……で、でも、さ、さすがに一緒に洗うわけにもいかないか……、あはは……」
「いや、別に一緒に洗っても良いんじゃねぇの?」
「えっ!? い、いや、でも、さすがにそれは、勇気がいるっていうか! ま、マズいんじゃないの!? し、下着とかあるし!!」
「まぁ、それはそうだわな。
男でも、さすがに下着を一緒に洗濯するのは抵抗あるし」
「だ、だよね!! あはははは!!」
「…………」
「…………」
「あ、あのさ! もし良かったら、この後、買い物にでも――」
「あぁ、そういうのは」
俺は、テントの入り口を開ける。
ハンモックの中で揺れていた委員長が顔を上げ、ベッドの中に埋もれていた黒砂がひょっこりと顔を出した。
「三人で行ってくれ」
「…………は?」
俺は、テントの中から備品の寝袋を引っ張り出す。
「まぁ、仲良くやってくれ。このふたりなら大丈夫だから。
委員長、黒砂、同居人の緋墨だ。詳しい事情は後で説明するから、黙ってなにも言わずに受け入れてくれ」
「「「…………」」」
黙り込んだ三人の前で、俺はきらりと白い歯をきらめかせた。
「俺は山に還る」
「「「…………」」」
「邪魔者はもういねぇ!! 俺は俺の好きなように生きる!! 勝手で悪いけどさ、コレが俺の物語だ!!」
笑いながら、俺は、反転して駆け出す。
「ひゃっほう、新鮮な百合だァ!!」
どこまでもどこまでも、駆け抜けていこうとし――
「ヒイロ、合宿を抜け出そうとするなんてダメじゃないですか。そこまでして、敬愛する師である私の気を惹こうとするのはいけませんよ」
「姉弟は同じテントで過ごすべきだと、日本国憲法にも明記されている」
「…………」
師と姉による山狩りにあって、秒で捕らえられた獲物は、ずるずると鳳嬢の校庭にまで引きずられていった。




