愉しいテント生活!
「黒砂……さん……?」
「…………」
「あのぉ……黒砂さぁん……?」
「大変失礼いたしました、三条さん」
黒砂の裏から制服姿で現れた委員長は、ニコリと微笑む。
「御礼という名のハニートラップです」
「え……普通にしてやられたが……なんの罠……?」
「…………」
ばたんと、音を立てて。
本を閉じた黒砂は、前髪で隠れていない片目で俺を捉える。
「……憑かれてる」
「はい?」
「不本意ながら、翻訳いたします。
黒砂さん曰く、三条さんの裡側には悪しき者が入り込んでいるそうです。先日の地下天蓋の書庫の奇行はそれに起因すると」
「おい、ヒーロくん、大変だ……」
アルスハリヤは、声を震わせながら俺の肩に手を置いた。
「いつの間にか、君の裡側に悪が巣食っているらしいぞ……!!」
「この状況でそのセリフ吐ける時点で、邪悪そのものだよね」
「……祓う」
「ちょっとお待ち下さい!!」
俺は、黒砂にストップをかける。
「祓えるんですか!? 我が身に巣食うこの悪魔を!?」
こくりと、黒砂は頷いて、俺は震えているアルスハリヤの横で舌なめずりする。
「うぉいおいおい……思ったよりも早く、待ち望んでたお別れの時間がきちまったなぁ……? 散々、俺の身体でオイタした裁きが下される時が来たわけだ……んぅん……どんな気持ちぃ……今、どんな気持ちぃい……?」
「ぼ、僕は……消えるのか……?」
四肢を縛られた俺は、ベロベロと高速で虚空を舐め回す。
「俺はねぇ、黒砂さんのことは信頼してるんだよぉ……この子なら奇跡を起こせる……そんな感覚があるわけだ……くっくっく、終わったなぁ、アルスハリヤァ……? あめぇ、あめぇ……この絶望の空気、甘くてクリーミィだぁ……!」
俺は、満面の笑みで黒砂に頷きを返した。
「それじゃあ、ひとつ、黒砂さんやっちゃってくださ――」
「では、先生、よろしくお願いします」
委員長の合図で、テントの入り口が開かれる。
コスプレグッズっぽいシスター服を着て、首から十字架を下げたマリーナ先生が、えへえへ笑いながら入ってきた。
「こ、こんにちは、三条くん……えへへ……先生は、ソシャゲの課金はパチンコよりマシだと思ってますよ……」
「うわぁああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああ!! とてつもない急ハンドルで、希望が潰えたぁあああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああ!!」
いやいやと首を振りながら号泣する俺の前で、流れるように委員長からiT○esカードを受け取った先生は宙で十字を切る。
「だ、大丈夫ですよ、三条くん……げほっ……こ、こう視えても、先生は学生時代にお寺でアルバイトをしてまして……そ、それに、社会人になってから15万円で霊験あらたかな壺も買ったことがありますから……!」
「大丈夫の要素が、ゴリゴリ削れてく音がめっちゃ聞こえる!!」
「赤ん坊時代にお寺の住職に抱っこしてもらった経験もあるので……先生は、実質、寺生まれ……ネット上の寺生まれは最強……!!」
「ネットの海に還れ、俗物がァッ!!」
ふらふら、ふらふらと。
あっちこっちに彷徨いながら、画面をスクロールさせている先生は、そこに書かれているお経らしきものを唱える。
真顔で。
後ろに控えている黒砂が手拍子を打ち、時折、委員長が「はい、はい」と相槌を打ち、あっという間にテント内に地獄絵図が描かれる。
「先生、子供の頃に『エクソシスト』を1.2回視てますから……!!」
「途中で飽きてんじゃねぇよ!!」
明らかにサイズの合っていないシスター服の裾を踏み、顔面から転けた先生は、半泣きであっちこっち行き来して祝詞を唱える。
自称寺生まれがシスター服姿で、ネットの海と接続して泣きながら祝詞を唱える姿は荘厳な地獄そのものだった。
純粋無垢な黒砂は先生の大丈夫を信じ切って、懸命に手を打ち鳴らしており、最初から茶番だとわかっている委員長は愉しそうに相槌を打ちながら、俺の反応を窺っていた。
「こんなゴミみたいな悪魔祓い、魔人に効くわけがな――」
「ぐぁああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああ!!」
「効いてる……」
「おぎゃぁああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああ!!」
「気持ち悪いくらい効いてる……」
胸を押さえたアルスハリヤは、絶叫しながら苦悶する。
演技とは思えないその姿にドン引きしていると、徐々に煌めきながら彼女は粒子化していき、微笑んだ魔人は眦から涙を流した。
「ヒーロくん、どうやら僕はココまでのようだ……」
「お前、魔人史上、最もくだらない消え方してるよ? アレに消されて良いの?」
アルスハリヤは、泣きながら己を抱き締める。
「さよなら、相棒……」
「消え方、きっしょ……」
眼前から魔人は消え去り、ぴくりと反応した黒砂はストップをかける。
「……消えた」
「破ァ!!
って、アレ、もう力尽きちゃいましたか?」
汗だくのマリーナ先生は、片方の鼻から鼻血を流しながら肩を竦める。
「これからが盛り上がるところだったんですが……さて、くだらない小物を仕留めたところですし、今度は大物を追いかけることにしましょうか」
颯爽とテントの入り口を払い開けた先生は、肩をそびやかしながら歩いていく。
「ガチャが爆死したので、追い課金してきます」
「寺生まれってスゴイ……」
悪魔祓いの最中に、ガチャを引いて爆死した寺生まれの背を見届けて、俺はようやく息を吐いた。
ちょいちょいと。
遠巻きから人差し指で俺の腕をつついてきた黒砂は、小首を傾げて、妙な行動を起こさないのを確認してから拘束を解いてくれる。
「……治った?」
「お陰様で完治いたしました。感動で泣きそう」
「……そう」
こくりと頷いた黒砂は、当然のように俺のテント内でリクライニングチェアに座り込む。委員長は、我が物顔でミネラルウォーターを飲み始め、リラックスした様子で黒砂と並んで本を読み始めた。
「テント、間違えてますよ?」
「…………」
「無視しないで?」
ちらりと。
黒砂は、紙面から片目を上げる。
「……経過観察」
「その心は?」
「……また、ああなったら」
彼女は、僅かに顔をしかめる。
「……困る」
「えぇ、まぁはい、仰られる通りで御座います。一から百まで、黒砂様の言われることに間違いは御座いません」
「私も同意見ですね。
少々……大分……とてつもなく……気色悪かったので、あのインチキ霊法でお加減が良くなったなら助かります」
「俺、男なんですが、一緒に寝泊まりするつもりなの?」
「…………」
「無視しないで?」
「…………」
1分くらいの間をとって。
黒砂は、ゆっくりと首を傾げる。
「……だから?」
「あ、はい……」
「…………」
「…………」
「……『時の街の伝説』」
「はい」
「……読んだ?」
「あぁ、読んだよ。返すわ。面白かった」
立ち上がった黒砂は、布教空間から取り出した『時の街の伝説』を受け取り、代わりに『夏への扉』を取り出した。
眼の前のテーブルに置かれて、俺は笑顔で首を傾げる。
「ん?」
「…………」
「どうしたのかな? 忘れ物だよ?」
「…………」
「もしもーし? 黒砂さーん? どちたのかな~? 聞こえてまちゅかぁ~?」
「…………」
黙り込んでいた黒砂は、ぺらりとページを開いてからささやく。
「……貸す」
「うん、貸さないで?」
「…………」
「うん、無視しないで?」
「黒砂さんと三条さんですか」
澄ました顔で、俺と黒砂を観察していた委員長は読書に戻る。
全く引く気配のない黒砂を眺めながら、笑顔を浮かべていた俺は、内心、バクバクと心臓を鳴らしながら呼吸を繰り返す。
おい、この本の貸し借りが継続する感じ……黒砂哀のデレ第一段階じゃなかったか……デレる前の助走だった気が……き、気のせいかな……気のせいだね……そんな、『時の街の伝説』を借りて読んだくらいで恋が始まったりしないよね……アルスハリヤ先生が、俺の姿で気色悪い行動とって好感度下げてくれたもんね……?
「三条さん、以上の経緯より、私と黒砂さんは魔法合宿中はこのテントで寝泊まりしますので……よろしくお願い致します」
「うん、ダメだね?」
「「…………」」
「だから、無視しないで?」
どこかで。
アルスハリヤの笑い声が聞こえた気がして、振り向くもののそこには誰もいない。
あのクソ魔人が、地下天蓋の書庫で俺の姿をとり、気色悪い行動をとったせいでこうなった……だとしたら、この状況はヤツが望んでいる愉悦の景色、ヤツの手のひらの上、ヤツが用意した盤面の上……?
――布石というものは事前に打っておくから布石と言うんだ
だとしても、同じテントの下で寝泊まりするくらいで、俺と委員長たちの仲が育まれるわけねーだろ(笑)。バカか、お前は(笑)。ラブコメ漫画の読みすぎだ、ドアホが(笑)。お薬の百合漫画、出しておきますね(笑)。
「とりあえず、俺は授業出るから適当に帰ってね?」
「「…………」」
「俺のテントで、黙秘権の行使は認められてないよ?」
「「…………」」
「ずっと、俺のテントに居ていいよ」
「「……はい」」
「無視して?」
ため息を吐いて、俺はテントの外に出る。
瞬間――剣柄に手を伸ばす。
「…………」
すっと。
空気中に溶けるようにして、俺を捉えていた視線は雲散霧消し――
「……ラブコメよりかは、こっちの方がずっとマシだね」
口端を曲げた俺は、九鬼正宗を叩きながら歩行を再開した。




