袋のヒイロ
魔法合宿は、大まかに『座学』、『実習』、『休日』に分けられる。
夏休み期間中の月曜から金曜までは『座学』か『実習』をこなし、土曜と日曜は『休日』として扱われ、自由参加のレクリエーションが行われたり、出張施術のリラクゼーションサロンが開かれたりする。
原作でもそうだったが、各曜日で生徒たちは『座学』か『実習』のどれに参加しても問題はない。
ずっと、『座学』だけを受け続けても良いし『実習』のみに心血を注いでも構わないし、サボったところで誰にも文句は言われない。
この『座学』と『実習』は、複数の教室に分かれており、各授業を担当している教員と講師は異なっている。そのため、憧れの魔法士であったり好きな教員の授業のみを受け続けることも可能だ。
魔法合宿中はクラスやスコアによる影響を受けることはないので、男の俺でもすべての授業に参加することが出来る。
そんなわけで、俺は、配られた小導体を九鬼正宗に嵌めて各教室の一覧を視る。
『天才アステミルの天才教室~左スティックが壊れたPS○コントローラー売ります~』
『あつまれ弟の森』
『本場の寿司職人によるマグロ解体ショー! 生鮮食品コーナーにて!!』
『酒と金で世界は回ってる~アルコールで学ぶ、ドル買っとけば勝てる~』
『25時辺りに引くと、SSR排出率が10%はある気がする』
真面目な授業一覧に紛れた地獄みたいな講座を確認し、俺は、青筋を立てながら突っ込んでいくフーリィに続く。
あっという間に不正授業を行っている不良教師と悪徳講師は駆逐され、もげた左スティックを持った師匠は悲しそうな顔で教室を追い出される。
偽弟である俺の言うことはよく聞く劉も、あっさりと俺の写真を回収して真面目に授業を開始した。
「鳳皇羣苑は、あんな教師を雇ってなにを考えてるのよ……」
俺を連れ回したフーリィは、各教室を覗き込みながら頭を押さえてため息を吐く。
「ヒーくん、もういいわよ。
また、なにかあったら呼ぶから。自分の教室に行って」
「……午前中だけで良いんですよね?」
「いえす」
げっそりとした俺の問いかけに、フーリィはウィンクを飛ばしてくる。
「頑張ってよね、ヒーくん。私の手のひらの上で、可愛らしく踊ってくれてる間は、ラッピーたちには連絡しないであげるから」
「そりゃ有り難いことで」
半ば脅される形で、俺は、フーリィの提案を受け入れた。
教師のひとりとして、授業を行って欲しい――フーリィ・フロマ・フリギエンスの要求は、荒唐無稽にも思えたが、生徒が教師を務めるというのもそう珍しくもない。
この魔法合宿は、生徒同士の交流もひとつの目的として捉えられており、一定の実績か有力者の推薦があれば自分の教室を持つことも出来る。
今回の俺は後者にあたり、かの『至高』の魔法士であるフーリィのお墨付きというわけだ。
それこそ、各寮の寮長であるとか、格の高い魔法士であるとか、学生とは思えないカリスマ性の持ち主であるとか……そういうものがなければ、教室を開いても生徒が集まらず、解散と相成ることが大半らしい。
男でスコア0の俺のところには生徒なんぞ集まらんだろうということで、卑怯な氷の魔女に致命傷を与えられる前に引き受けることにした。
急病で講師役の魔法士が休んだとかなんとかで、本当はフーリィが引き受けようとしていた教師役をそのままパスされたわけだが……どうせ、人は集まらないだろうし、来たとしても物好きが1人か2人だろう。
そんな楽観的な考えをもった俺は、教室の扉を開いて――溢れかえらんばかりの生徒たちと眼が合い、無言で扉を閉めた。
再度、教室のプレート名を確認する。
間違えていない……俺は教室の扉を開いて、大量の女子生徒たちに見つめられ、画面を開いてフーリィを呼び出した。
『はぁい? なに?』
「すみません、生きる世界を間違えました。
正しい世界を教えてもらってもよろしいでしょうか?」
『残念、ヒーくんが眼にしてるそこは紛うことなき現実でした。
で? もしかして、少人数を相手にすれば済む楽な仕事だとでも思ってた?』
扉を少しだけ開いて、隙間から内部を窺いながら俺は頷く。
『まぁ、男を毛嫌いしている子もたくさん居るのは事実だけど……ヒーくん、アレだけ、三寮戦で活躍しちゃったしね。生徒会の子経由で、カルイザワ決戦にヒーくんが参加してたこともバレてるだろうし。
直ぐに夏休みに入ったから自覚がなかったかもしれないけど、現在のヒーくんのステータスはソレってこと』
「……お前、ソレを俺に自覚させるために仕組んだのか?」
『お前ぇ?』
「……フーリィ先輩」
『そろそろ、自分の立ち位置ってものを理解しても良い頃じゃない? もう、そこらの男でスコア0っていう擬態は剥がれかけてるのよ』
ブツリと。
通話は切れて、ニコニコ笑顔のアルスハリヤと目が合う。
「……お前、こうなるってわかってたな?」
「素敵な顔だよ、ヒーロくん。
僕は、君のそんな歪んだ面が好きなんだ」
「俺は、お前の凹んだ面が好き」
「やぁ、相思相愛じゃないか! ラヴラヴだぁ!」
廻し蹴りを当てると、吹っ飛んでいたアルスハリヤは廊下を滑っていき、綺麗なカーブを描いて階段を下りていった。
眉間を押さえた俺は、覚悟を決めて教室に入る。
最前列に座っていた師と姉を見つけ、教室から蹴り出してから教壇に立った。
「……三条燈色です」
重苦しい声で挨拶し、小導体を用いて教室を操作した俺は、電子黒板を下ろして氏名を書き込む。
「……本日は、このクソ暑苦しい中、お集まり頂きまして大変迷惑です。どうぞ、後ろの扉からおかえりください」
可愛らしい笑い声が響いて、俺は怒りで青筋を立てる。
冗談じゃねぇんだよ、こちとらァ……!! とっとと失せろ……この教室以外の場所で、教科書の見せあいっこしながらたまに指先が触れたりしろ……『今夜、私、○○と同じテントで眠るんだよね……』みたいなモノローグを描け……ッ!!
「はいはーい、はいはいはーい!!」
追い出した筈のウザい420歳児が、ぴょんぴょんしながら手を挙げる。
「…………」
「はいはーい、はいはいはーい!!」
「…………」
「ふはーいはーい、はいはいはーい!!」
俺の眼前で飛び跳ねる銀髪エルフは、転瞬を繰り返しながら俺の視界から消えたり現れたりしながら声を張り上げる。
「え? あれぇ? 視えませんかぁ? 早くて視えませんかぁ? ヒイロ、視えませんかぁ? 修行が足りませんかぁ? だいじょうぶですかぁ? どやぁ? どやどやぁ?」
う、うぜぇ……。
ぴくぴくと眉を動かしながら、俺は、仕方なくアステミルを指す。
「では、そこのウザい最年長」
「せんせいってぇ~?」
わざわざ、一度、くるりと後ろを振り向いた師匠は、周囲の期待を高めてからぴょんっと跳んで俺に向き直る。
「彼女とかいるんですかぁ~?」
キャァアアアアとか言う謎の歓声が上がり、あまりのウザさと怒りに気を失いそうになった俺は、必死で教壇を握り締めて呼吸を荒げながら耐える。
「い、いるわけないでしょぉ……?」
神がかったタイミングで。
「現在だッ!!」
着信音が鳴り響き、滑り込んできたアルスハリヤが画面をスライドする。
同期していた電子黒板いっぱいにラピスの顔が広がり、どことなく角度を作った彼女は自身の金髪を撫で付けながら頬を膨らませる。
「もー、ヒイロ、どこにいるの?
出かけるなら出かけるで、ちゃんと行き先くらい教え――」
「ァアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアア!! 接ぎ人ァアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアア!!」
神速の居合抜刀で、俺は電子黒板を叩き切り、ズレ落ちた黒板が地響きを上げると同時に――爆発的に黄色い歓声が上がった。
「違う違う違うッ!! そうじゃないそうじゃないそうじゃない!! ふ、フレンドリィ!! フレンドリィ、オーケー!? ライバルだから!! 俺たちライバルだから!! それ以上でもそれ以外でもない!!」
「ライバルに対して、あんな甘い声で電話かけてくるか?」
冷静沈着な俺は、震えまくっている手で通話を切り、未だに興奮でざわついている教室に向き直る。
着信。
アルスハリヤを牽制しながら、着信先を確認し『フーリィ・フロマ・フリギエンス』という名前を確認してから胸を撫で下ろす。
「はい、なんでしょうか? 現在、授業中です」
『ヒーくんは、ラピス・クルエ・ラ・ルーメットと付き合ってるわよ(音量MAX)』
「ァアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアッ!!」
窓が内側から弾け飛ばんばかりの歓声に包まれ、隣の教室から何事だと言わんばかりに生徒と教員が覗き込んでくる。
脳を壊された俺は、膝を突いたまま頭を抱えて断末魔を上げる。
『ヒーくんは、ラピス・クルエ・ラ・ルーメットと付き合ってるわよ(ダメ押し)』
絶叫しながら、充血した両眼でブロックボタンを連打した俺は、藻掻き苦しみながら床を転がり回る。
『ヒーくんは、ラピス・クルエ・ラ・ルーメットと付き合ってるわよ(校内放送)』
「校内放送は、さすがにレギュレーション違反だろ」
「燈色」
ハイエナお姉ちゃんが寄ってきて、優しく俺を抱き締めた。
「冇問題、この私が……お姉ちゃんがいますからね……」
「お姉ちゃん、この世界壊してよ!! 要らない!! こんな世界、要らないよ!! 全部、全部、全部!! 俺のために壊してよ!!」
「よしよし」
「おねえぢゃんッ!! ぎいでよぉッ!!」
脳を壊された俺は、まともな授業をこなせるわけもなく。
優しい師と姉が合同授業を買って出て、ふたりが喧嘩する間に挟まれたまま、椅子に座っているだけで一日目を終えた。
夜。
疲れ切った俺は、夕食も食べずにテントへと向かい――
「お疲れ様です、三条さん」
不法侵入罪に問われるであろう、正座姿の委員長を捉える。
「……いや、なにしてんの?」
迷うことなく、彼女は、制服の第一ボタンを外して――
「地下天蓋の書庫での約束を果たしに」
第二ボタンも外した。
 




