消えたら現れる
「あ? 劉が消えた?」
サメに頭から食われてるみたいなルームウェアを着ている寮長は、ふんすふんすと、鼻息荒く前のめりになる。
『あぁ、ヒイロへのお土産を探しに行くと言ってそのまま……もしかして、迷子になっちゃったのかな!?』
「寮長たちって、現在、イタリアのミラノでしたよね?」
『うんっ!
ヒイロへのお土産は、ご当地限定のハロー○ティのキーホルダーにしようと話していて、イタリアンマフィアとの交渉の真っ最中だったんだが……』
「イタリアのハロー○ティは、マフィアが取り仕切ってんですか?」
『ともかく、劉が消えたんだ! 心配過ぎる!! 胸がワクワクではち切れる!!』
「ワクワクしてんじゃねぇよ」
『え~? 寮長、誰と通話してんの~?』
寮長の脇から、わらわらと黄の寮の先輩方が湧いてくる。
日本とイタリアの時差は7時間。現在は14時だから、イタリアでは7時の筈だった。
どうやら、寮長たちはホテルの一室に居るらしく、無防備な部屋着姿の先輩方が画面に映り込む。朝っぱらから元気な諸先輩方は、わーわーと、姦しく一気に喋り始めた。
『うわ~! ヒイロくんじゃ~ん!!』
『三寮戦、お疲れ様ぁ! なにぃ? 君、どこに居るのぉ?』
『というか、なんか、ヒイロくん裸じゃない? スクショ撮ろう、スクショ!!』
『うわ、やめろ、お前たち!! 私が!! 私が喋ってるんだから!! なんか、恋人同士っぽい雰囲気まで出てたんだぞ!!』
「サン○オとマフィアの話で、ロマンティック醸し出せてたまるか」
妙に好意的な先輩たちは同時に旅行話を捲し立て、寮長と押し退け合いながら自分の顔を映そうとする。
俺は、アルスハリヤの横で画面を指差した。
「アルスハリヤ、その画面巻き戻せるか?」
「通話中に巻き戻せるわけないだろ」
脳内の記憶映像を巻き戻しながら、俺は真顔で目を細める。
左端の先輩と右端の先輩……さり気なく、互いに指先で触れ合ったな……あまりにも速い接触……俺でなきゃ見逃しちゃうね……。
『というわけで、ヒイロ!!』
ぜいぜいと息を荒げながら、最前面に陣取った寮長は叫ぶ。
『もし、劉からなにか連絡があったら言ってくれ! お母様もお姉様もリリィも、劉が連絡するとしたら弟であるお前だって!』
「自然な流れで、バケモノみたいな偽姉を押し付けるのやめてくれません?」
『ミュール、騒がしいぞ』
背後から声が聞こえてきて、タオルで頭を拭いている裸身が映り込む。
『現在は早朝だ。アイズベルト家の人間として、隣室の人間に迷惑をかけることを是とはしない。取り乱すな、平常を常としろ。
良いか、私のように訓練を積んだ人間は心を乱すことはな――』
はたりと。
シャワー上がりのクリスは、画面越しに俺と眼が合った。
『……写真か?』
『いえ、お姉様、ガッツリ通話です』
『……切れてるよな?』
『ゴリゴリのオンラインです』
『……通話してるのはヒイロではないな?』
『ムキムキのヒイロです』
ぺたんと。
クロスした両腕で胸を覆ったクリスは、全身を朱色に染めてその場に座り込む。
『切って切って切ってぇええええええええええええええええええええええええええええええええええええええええええええええええええええええ!!』
ブツリと。
通話が切れて、画面がオフラインになる。
「…………」
「さっきの画面、巻き戻せるぞ?」
「見逃しちゃったままで大丈夫だから黙れッ!!」
ブツブツと。
念仏を唱えた俺は、脳から肌色を追い出してどうにか平常心を取り戻し、劉から連絡が来ていないかを確かめてみる。
着信もメールもチャットもなし、特に連絡は入っていないようだった。
「ヒイロ」
ぽたぽたと。
髪先から海水を垂れ落としながら、影を作ったラピスが前屈みで俺を覗き込み、クイーン・ウォッチでも見せた水着姿で小首を傾げる。
「どしたの?」
「いや、別に何でもないです。家庭の事情なので」
「ふ~ん……」
髪を掻き上げながら水を絞った彼女は、寄ってきながらつぶやく。
「そう言えば、さっきアステミルから」
ラピスは画面を呼び出し、俺に履歴を見せつけてくる。
「『急用が出来たから、任務は後続の部隊に引き継ぎました(爆笑)。あと、しくよろです(*゜▽゜)ノ 私の沽券に関わっちゃうんDA☆』とか、うざったいことこの上ない連絡が来てたんだけど……なんか知ってる?」
「最近、あの420歳児のお守りしてないから知らん」
「そっか、ヒイロでも知らないのか。後続の部隊も詳しくは聞いてないみたいでさ。
うん、わかった。おっけー」
美しく、きめ細やかな肌をなぞるようにして。
落ちていく水滴の行方を、ついつい見守ってしまっていた俺は目を逸らし、その反応を視たラピスはニヤリと笑う。
「は~い、詰めて詰めて」
「いや、お前、ちょっと」
ビーチチェアに座る俺の真横に滑り込んできたラピスは、二の腕やら太ももやらが密着しているのを気にした素振りも見せず寝転がった。
「なんだか、こうやってふたりでゆっくりするのも久しぶりだよね。三条家の別邸で暮らしてた時は、たくさんお喋り出来たのに。次から次へと、女の子に囲まれる誰かさんのせいだと思うけど」
「そ、そうすね……」
端に逃げようとすると、その分、ラピスに距離を詰められる。
「ねぇ、三条さん家の燈色くん?」
「な、なんすか……」
「なんで逃げるの?」
振り向いてみると。
顔を真っ赤にしたラピスが視界に入り、彼女は慌てて両手で「み、視ないで」とか言いながら俺の眼を塞いでくる。
「慣れないことして、羞恥心で真っ赤っ赤になってるお姫様へのご配慮」
「う、うるさいな! た、たまにはくっついてもいいじゃん! わたしたち、もう、キスだってしちゃってるし!!」
「全部、事故みたいなもんだろ……」
彼女は。
真っ蒼な瞳で、頬を上気させたままで俺を見つめる。
「事故じゃなかったら……良いの……?」
「あっはっは、ラピスさん、ご冗談が上手――」
逃げられないように。
二の腕をそっと掴まれた俺は、無理矢理振り向かせられて、彼女の指先から落ちた水滴が腕を滑り下りていく。
「…………」
「……あ、あの」
この世のものとは思えない。
端正な顔立ちが、覚悟を決めたかのように俺を見つめて近づいてき――横から飛び込んできた唇が、俺の頬に触れて離れる。
「お兄様」
綺麗な姿勢で立っているレイは、ラピスを見下ろしてささやく。
「親愛のキスです。
どこかの誰かさんとは違って」
「いや、あの、わたし、ちがっ! アレだから! あのっ!! あだぁ!!」
慌てて。
ビーチチェアから下りようとしたラピスは、ものの見事に腰から落ちて、呻き声を上げながら悶える。
「よいしょ、よいしょ」
俺を押してスペースを空けたレイは、ラピス側のスペースを潰してから、俺に抱きついて目を閉じる。
「親愛のハグです」
「うぉおお……ッ!!」
砂浜に足跡を残して、必死で俺とレイを押したラピスは反対側から俺に抱き着く。
「わ、わたしも親愛のハグ! いやらしいところは一切ないから!!」
「へぇ、他人同士で親愛のハグなんてするんですね」
「あ、アメリカとかでは普通のことだし! な、ないすとぅーみーちゅー!?」
無言で。
肩で風を切ってやって来た月檻は、当然のように俺の上に重なって、全身を密着させてから顔を上げる。
「サンドイッチ」
「っしゃぁああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああ!! 良い度胸だ、そろそろ、決着を着けようぜぇえええええええええええええええええええええええええええええ!!」
全力で。
三人を弾き飛ばそうとした俺の筋肉が盛り上がり、月檻たちは同時に魔道触媒器を取り出して引き金を引いた。
完全に抑え込まれた俺は、泣きながら晴天を仰ぐ。
「ちぐじょぉ……!!」
マージライン家の三姉妹は、ビーチチェアの前に整列して、そわそわしながら次の順番を待ち望んでいる。
旗を振りながら、列整理をしているスノウが愉しそうに笛を吹いていた。
「……燈色くん」
女体の柔らかさに、溺れないように。
唇を噛み切った俺は、泣きながら必死で己の邪欲を制御し、充血した眼で声をかけてきたお嬢父に眼を向ける。
「……マージライン家に婿に来た同士、仲良くしような」
天才的な頭脳をもった俺は、ニヤリと笑って彼女にささやきかける。
「俺は男ですが?」
「うん」
「ほ、他に婚約者っぽいのもいますが?」
「うん」
「こ、こんな風に女遊びも激しいですよ!?」
「うん」
「…………」
「うん」
言葉少なに、彼女はボソリとつぶやく。
「……妻が、なにがあろうとも絶対に逃がすなと」
スッと。
お嬢父は、三枚の婚姻届を取り出す。
「……押印をお願い出来るかな?」
「三枚はおかしいだろッ!!」
俺は、泣きながら叫ぶ。
「三枚は!! おかしいだろッ!! 予備か!? あぁ!? 予備なのか!? 注意深く、予備まで用意してきたのか!?」
「…………」
「返事しろや!! 枚数が合ってねぇんだよ!! せめて、法律に則れや!! 俺が護りたかったのは、こんなイリーガルな重婚じゃねぇわ!!」
スッと。
お嬢父は、三枚の婚姻届を一枚に重ねる。
「……なら一枚で」
「押印が、下の紙に滲んじゃうんだわソレ」
結局。
俺はこの日一日、亡霊のように婚姻届への押印を迫ってくるヨルンに追われ、最終的には預かっておいてくれと荷物にねじ込まれる。
「……いずれ、押すことになる」
彼女は、確信をもって言った。
「……この国の法は、どこまで男を護ってくれるかな?」
「カツラ燃やすぞ、テメェ」
マージライン家の囲い込みは、日毎に増していき、危険を察知した俺はこの家からの脱出を考え始める。
そう、その手段はひとつしかない。
魔法合宿。
誰にもなにも言わず、高跳びするかのように鳳嬢魔法学園へと逃げ込んだ俺は、その門前で有り得ない光景を目の当たりにする。
「はぁ? 以上の論理から、私がヒイロの師であることは自明の理ですが? そもそもぉ? 私のように天才かつ美しいエルフがぁ? 師匠であることについて、あの子は虎の威を借る狐みたいに誇りに思ってること間違いなきにしもあらずぅ?」
「貴女の事情など興味がない。燈色は、私の弟ですので。その事実をもってして、あの子の真の師であり姉であるのは私だと証明されている。
いい加減に理解しなさい、アステミル・クルエ・ラ・キルリシア」
「……なにしてんの?」
荷物を持ったふたりは、同時に俺の方を振り向いて瞬きを繰り返し――
「「魔法合宿に参加しに来ました」」
スムーズに、俺は頭を抱えた。




