夏だ!海だ!絶望だ!
新幹線を使えば、カルイザワからオキナワまでは約二時間……が、次元扉を使えば五分で済む。
パラソルやらビーチチェアやらを担いだ従者を連れて、マージライン家の面々は警備員から愛想の良いご挨拶を受け、労いの言葉を返しながら次元扉を通り抜ける。
ラピスとレイに両脇から引っ張られ、月檻に背中を押された俺は、泣き喚きながら必死で助けを求めるが警備員に無視される。
夏休みは、まだ終わらない。
本日は、マージライン家が個人保有している次元扉で移動し、オキナワのプライベートビーチで海水浴を堪能する予定になっていた。
カルイザワには、大量の次元扉が存在している。
二時間どころかそれ以上の時間がかかる移動が、数分で済むような次元扉が多々在るわけだが、それらは金持ちが個人保有してお遊びに使う以上の価値を持っているように思える。
次元扉は運送業界を始めとした諸業界で用いられている部分もあるが、権利関係の煩雑さやかかる費用、転移先の座標が固定されているという問題点もあって、その他の移動手段と成り代わっているわけでもない。
なにせ、次元扉を用いて現界のA地点から現界のB地点へ移動したいと考えたとしても、必ず異界を経由する必要性が生じる。
経由先である異界を管理している半人半魔とは話を付けておく必要があるし、魔物が生息する場所であれば安全確保のために魔法士を雇ったり、別途、管理費と維持費がかかったりもするだろう。
ともなれば、電卓を叩いた運送会社は次元扉よりも屈強なドライバーと大型トラックに信を置くだろうし、旅行代理店は旅情を前面に出して移動時間も含めた『楽しい旅行』を宣伝する。
結果として、大半の次元扉は手つかずとなっていた。
安全が完璧に保証されており友好的な半人半魔が管理する異界へと繋がるものが異界旅行に利用されていたり、外務省や研究チーム、魔法結社が外交や研究に用いる……といった使用方法に限られていた。
そうは言っても、金と力があればその問題はクリア出来るわけで。
特に半人半魔と友好を育んできたマージライン家は、異界を経由するという問題を強力なコネクションで軽々と解決出来るため、大した費用と労務を必要ともせずに個人保有を成し遂げることが出来ていた。
そんなことを考えているうちに、異界から現界へと繋がる次元扉が視えてくる。
マージライン家に仕える半人半魔の魔法士たちが、笑顔で見守ってくれる間を通り抜けて、俺たちは現界へと下り立った。
青い空、青い海。
「…………」
オキナワ、ミヤコ・アイランド。
アカガイ、リュウキュウマツ、タブノキ、ヘゴ……原生林に囲まれた真っ青な海を目の当たりした俺は、『美顔ローラーをかける手足の生えたマウスパッド』のTシャツの襟元を引っ張り垂れ落ちる汗を拭った。
水平線まで続いている蒼のグラデーション。
眩しいくらいに白い砂浜、底まで透けて視える透明感、遠目に視える自然洞窟は穏やかな波に打たれて沈黙している。
「……なぜ」
海を眺めながら、自若として俺はつぶやく。
「なぜ、俺は……百合のために、全身全霊で立てた夏休みの計画を……男の身で受け止めなければならないのだろうか……」
「バカだからだろ」
両手を顔の横にもってきて、軽く膝を曲げたアルスハリヤは叫ぶ。
「バーカ!」
逆さまになって。
頭から砂浜に突き刺さったアルスハリヤの腹に蹴りを浴びせていると、ノースリーブと短パンのスイムウェアを身に着けたシャルが寄ってくる。
「お、お兄ちゃん、なにやってるの……?」
「この世を滅してる」
「せ、世界そのものとミドルキックで戦ってる……」
髪の毛を縛ったシャルは、とてとてと駆け寄ってきて、俺の腹辺りに抱き着きながら揺さぶってくる。
「ねぇ~、お兄ちゃんも着替えてきなよ~。シャルと一緒にあそぼ~。ねぇ、ねぇ、ねぇ~。シャルねシャルねシャルね、お兄ちゃんに泳ぎ方教えて欲しいの~」
俺の手をもって、左右に揺らしながらシャルは甘い声を響かせる。
「ねぇ~、いいでしょ~、シャルが言ってるんだから良いでしょ~? ダメなの~? ねぇ、ダメなの~?」
「ダメに決まってんだろ。
おととい来やがれ、お嬢ちゃん。今度は、可愛い彼女も連れてきな」
無言で。
俺の手を打ち払ったシャルは、脱衣所へと消えていき、魔法少女姿になって戻ってくる。
「…………」
「すげぇ、びっくり!! 急に教えたくなってきた!! 人魚姫もびっくりの特注スイマーに変えてやりたくなってきたァ!! 杖の先端を退けてくれたら、気合いが更に入っちゃうなァ!!」
「わぁ~い、お兄ちゃん、ありがとぉ~!!」
こ、このガキ……!!
全体重をかけて抱っこをせがんでくるシャルを引きずりながら、俺はライトブルーの海へと向かっていき――
「やはり泳ぎ方の訓練か……いつから始める?
ボクも同行する」
「マージラ院」
網状のハイネック水着を身に着けたレイディは、ニコニコとしながら俺にぶつかってきてさり気なく手を握ってくる。
「なにせ、ボクは海なんて来たことがないからね。当然、泳ぎ方なんてひとつも知らないんだ。キミのように親しい友と共に大海原へと向かい、その泳法を教えてもらえるなんて光栄の至り。実にRavieだね」
「いや、なんで、手を繋ぐ必要あるの……? なくない……?」
「はっはっは、はぐれたら困るじゃないか!」
「この見晴らしの良い砂浜で、どうやってはぐれるんだと言いたいところだが、マージライン家ならその奇跡すらも引き起こせるだろうね」
笑いながら、俺は、シャルとレイディの手を繋ぎ合わせようとする。
バシィと音を立てて、その援助行為は叩き落され、彼女らは俺と手を繋いだ。
「…………」
真顔になった俺の後ろで叫び声が上がり、オフショルダーのフリルビキニを纏ったお嬢が駆け走ってくる。
「わたくしのヒイロ様ですわよぉー!!」
そして、転けた。
立ち上がったお嬢は、えぐえぐと泣き声を漏らしながら立ち上がり、俺のところまでやって来てシャツの端を引っ張ってくる。
「わ、わたくしも同行しますわぁ……!!」
「マージラ院」
「お兄ちゃん、それ、全員分、やるつもり……?」
遠景に奇妙なモノが映り込む。
渦巻状のカツラをかぶったお嬢父が、ビーチチェアに横たわり、陽に当たりながら読書をしていた。カツラが大きすぎて、日光浴しているというよりはカツラの日干しをしているようにしか見えないが堪能はしているんだろう。
「で」
俺は上を脱いで、半裸に短パン姿になる。
「お前ら、全員、泳げないの? マージライン家に水攻めしたら、一瞬にして崩壊させられるじゃん」
「「「…………」」」
三姉妹は顔を赤くしたり目を逸したりもじもじしたり、謎の清楚アピールをしていたが、ガン無視して俺は準備運動を行わせる。
「では真面目に泳ぎ方をお教えしますが、まずは水面に顔をつけてみましょう。その後、水のかけあいっこ。終わったら水のかけあいっこ。なにがあろうとも水のかけあいっこ。
撮影器具と三脚を用意してくるからちょっと待ってて」
デジタルビデオレコーダーを用意した俺は、着替えてきたラピスにレフ板を持たせて、レイにマイクを預け、月檻にサブのカメラを任せる。
「ゥアクショォンッ!!」
「絶対に、コレ、泳ぎ方のレクチャーじゃありませんわ!!」
とか言いつつも、マージライン家の三姉妹は水の中へと入っていき――
「「「がぼぼぼぼぼ……!!」」」
「撮れちゃった!! 三人全員同時に浅瀬で転けて溺れるとかいう恐怖映像が撮れちゃった!! ヤラセだろ!! どう考えてもヤラセだろコレ!! なにがあったって、俺は信じねぇぞ!!」
「お兄様、本気で溺れてるので助けないと死にます」
「国際自然保護連合は、マージライン家を絶滅危惧種に指定しろッ!! ウォオ!! 世界に代わって、俺がお嬢たちを護るッ!!」
俺は勢いよく浅瀬に飛び込み頭を打って、ぷかぷかと浮かんで流されているうちに月檻たちが彼女らの救出を終える。
「魔人じゃなかったら即死だった……」
「君、時折、脳みそが空っぽになるのはなんなんだ……視てて怖いんだが……」
ビーチチェアに座った俺は、隣のチェアに寝そべりながら、トロピカルジュースを啜っているアルスハリヤを見つめる。
「たぶん、バレてるよな?」
「まぁ、アレだけ堂々と権能を使ったからな。以前から不審な点は幾つもあっただろうし、バレてない方がおかしいんじゃないか? 少なくとも、シャル・フォン・マージラインには気づかれているしな」
その割には、月檻もラピスもレイも言及してこない。
現場を目にしていないスノウでさえ、俺が人間ではなくなっていることにうっすらと気付いているフシがある。
それでも彼女らがそのことを口にしないのは、俺が魔人でも構わないと思っているのか、魔人であることを認めたくないのか。
実際、俺が魔人として人類から敵対視された時、あの子たちはどっちの側に付くのか……全員、人類側についてくれ頼む。
「俺が人類の敵になるのは大歓迎なんだが、その俺と友好を結んでいることがバレて、後々にあの子たちの災禍となったりしないかは心配なんだよな」
「そういう心配事を抱えた挙げ句、誰にも別れを告げず、君が姿を消すことを憂慮して口に出さないんだろ。
相変わらず、女心というものがわからん男だな」
「は? 俺に女の子の心の揺れ動きを語らせたら長いが? 強いが? 熱量だけは誰にも敗けないが?」
三対三で。
ビーチボール対決をしている三姉妹と月檻たちを眺め、メイド服姿で審判をしているスノウが笛を吹いて旗を上げた。
「そんなことよりも、今後の自分の心配をした方が身の為だと思うがね」
「誰が三条燈色の心配なんかするかよ」
寝転がって、俺は真っ青な空を見上げてつぶやく。
「まぁ、なるようになるだろ……俺の完璧無比な知謀策略によって、最終的には世界に百合が満ちる……」
「さっき、溺れた君を救助した彼女らは、救助行為だと嘯いて人工呼吸しまくってたが……なるようになるのか?」
「ウワァアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアッ!!」
両手で頭を抱えた俺は、絶叫しながら腹筋を繰り返し――着信音が鳴った。
「もしもし?」
『ヒイロッ!!』
画面に映った寮長は、ドアップで叫ぶ。
『大変だ!!』
「……あ?」
俺は、思わず首を傾げた。




