愉悦パート入り口
万鏡の七椿は消えた。
ついにマージライン家の宿願は果たされ、レイディは病人のフリをやめ、オフィーリアは初恋を口にし、シャルは己の力を自覚した。
彼女らの母親は死者から生者に戻り、近々、日本に帰ってくるらしい。父親の方は、消えたカツラの代わりに別のカツラをかぶっている。マージライン家の汚点たる息魔の魔導書は、楽しい思い出だけを遺しその命運に従って消えた。
107年にも及ぶ戦いは終わった。
いや、それよりも、ずっとずっとずっと前から……七椿と戦い続けていた者たちは、運命を切り開いて命運を遂げた。
「…………」
黒砂に付き添われた俺は、大圖書館へと赴き、『光輝の魔導書』を棚に戻した。
――図書館というのは、本を貸し借りするところだろう?
「……あんたの代わりに、ちゃんと返却しておいた」
そっと、俺は、魔導書から手を離す。
「じゃあな、ミス・ルミナティ」
微笑んで、俺は別れを告げる。
ひとりの図書委員は、『大圖書館 魔導書目録』に返却済みと記載して――目録を閉じた。
「ヒイロさん」
カルイザワへと戻る途中。
アスファルトが茹だっている道の途中で、鳳嬢魔法学園の制服姿で鍔広帽をかぶるエイデルガルトと出くわす。
「忍者よ」
「うん……お前、カルイザワ決戦の時にどこいたの? 無事で何よりだけども」
「もちろん、忍んでいたに決まっているでしょう? そもそも、地下天蓋の書庫から戻ってきたヒイロさんが、わたしに月檻桜たちを呼んでこいと厳命したのよ。忍び使いの荒い男子ね」
いや、俺じゃなくてアルスハリヤな……?
とか思いつつ、俺はダサTシャツの胸元を引っ張って風を送りながら繰り返す。
「で、どこにいたの?」
「途中で道に迷ったから知らないわ」
無能を発揮すれば忍べるとか、芸術点が高すぎるだろ。
「ところで、ヒイロさん、目の前に立つ美少女を好きなように出来る権利を買わない?」
「買わないね、無能みたいな面してるから」
「単刀直入に言うわ。
わたし、三条華扇に命じられて、暫くの間はヒイロさんを見張らないといけないの。ということをヒイロさんに知られずに達成する必要があるから、居候させて欲しいわ」
「単刀直入に言うね。
俺はお前が怖い」
「恋の始まりかしら……?」
「君、ロボトミー手術受けた帰り?」
最早、誤魔化しが効かないのは重々承知ではあるのだが。
七椿との戦いで重傷を負ったことになっている俺は、未だに再生が追いついていない傷を包帯で隠しており、視るからに傷が疼くといった症状を動作で示し、無理矢理エイデルガルトの脇をすり抜けて進み始める。
当然のように、付いてきたエイデルガルトは俺の腕を抱き抱える。
「「…………」」
柔らかな感触が伝わってきて、勢いよく腕を振り払う。
振り払った腕を絡め取ったエイデルガルトは、慣れきった動作でソレを捻り上げ――ボキッ――音がして、俺の手首がぷらんぷらんと揺れる。
「「…………」」
激痛が伝わり、俺は大口を開ける。
「ァアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアッ!!」
「ごめんなさい、ヒイロさん。慣れないハニートラップをしたせいか、手癖で折ってしまったようね」
微笑んだエイデルガルトは、俺の胸ポケットに万札をねじ込んで髪を掻き上げる。
「わたし、引っ越しの準備があるから」
「テメェ、流れるように慰謝料を払い終えて逃げるんじゃねぇ!! クソ忍者がァ!! 逃走速度だけは一丁前だなァ!!」
一目散にエイデルガルトは逃げ出し、手首を戻した俺は胸ポケットに入れられた万札を数えて――すべてを許した。
帰りの新幹線。
七椿派の消滅に従って、学園長と生徒会長の手で『カルイザワ⇔大圖書館』の次元扉は正式に閉鎖されていた。
模範的な倹約家である俺は交通費削減のためにこっそり使おうと思っていたのだが、黒砂にジト目で怒られたので、右手首を犠牲にして得た金で新幹線を使うことにした。
自由席に着席した俺は、トーキョー駅で買った『炭火焼き牛たん弁当』の黄色いひもを引き抜き、5分程待ってから蓋を開ける。
「ぉ、ぉお~!!」
温まった牛たんを白米と共に頬張り、俺は幸福で涙を流した。
「……手首を折ってくれてありがとう」
「おいおい」
俺の対面の席で。
窓にかじりついて景色を視ていたアルスハリヤは、見慣れたクソガキの姿で肩を竦める。
「あの七椿を倒した英雄様が、駅弁如きで涙を流すのか? 随分と安上がりな命を懸けたもんだ」
「いや、お前、コレ1450円だぞ1450円……どうしよう、俺、こんなの食べてスノウに怒られないかな……マジギレするまで、めっちゃ煽ってやろう……」
「君にべた惚れだから、甘い声で文句言いながら許してくれるだろ」
俺は。
ゆっくりと、頭を抱える。
「…………」
「現実から逃げるなよ。まだ、楽しい夏休みは残ってる。光輝の魔導書にかこつけて、傷が治りきらないうちに大圖書館に逃げ込んだのは良い手だが、僕が形成した百合破壊包囲網からは逃れられんよ」
俺は、勢いよく、割り箸の先端でアルスハリヤの脳天を突き刺す。
「…………」
綺麗に箸は直立し、再度、俺は頭を抱えた。
「人を墓前に供える白飯みたいな姿に変えておいて落ち込むなよ。
安心しろ、君には僕がいるじゃないか。策のひとつやふたつ、愛する相棒のためなら捻り出してやるのが仁義ってものだ」
牛たん弁当を膝の上に抱えて、ぱくつきながらアルスハリヤは笑みを浮かべる。
「良い手がある」
「嘘つくんじゃねぇ、オラァアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアッ!! テメェの魂胆はわかりきってんだよ、死ねクソがァアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアッ!!」
必死でアルスハリヤの顔面に膝を打ち付けていると、通路を挟んで隣り合わせていた席の人たちが逃げるようにして座席を変えた。
「おいおい、話は最後まで聞けよ。信じる信じないは後にして、僕の策が有用かどうかはその小さな脳みそで結論付ければ良い。
良いか、君に救いの手を差し伸べてやる」
アルスハリヤは、人差し指を立てる。
「魔法合宿だ」
「…………?」
「誰にもなにも言わず、魔法合宿に参加すれば良い。そうすれば、8月からの夏休み期間はスキップ可能で大義名分も出来る。上手く事態をコントロール出来れば、女性陣と出会うこともないだろう」
「アルスハリヤ先生……?」
「どうせ、僕が君の身体を操って女性陣を呼び寄せると思っているんだろう? 大丈夫だ、疑うことなかれ、もし不安であれば通信手段の一切を絶てば良い。九鬼正宗を心身から離せば、僕は画面を呼び出すことすら出来ない」
「アルスハリヤ先生は、まっこと賢い御方じゃあ……!!」
俺は、敬意を払って大先生を見つめ――内心、ニヤリと笑った。
バカが、アルスハリヤ……この程度で、この俺がテメェを信じると思ったか……どうせ、罠なんだろ……だが、魔法合宿という案は良いな……あのイベントは、百合が咲き乱れる良イベント……たまには、俺の眼にも潤いが必要だ。
アルスハリヤは、ニヤニヤと嗤って足を組む。
「ひとまず、カルイザワには帰るんだろ? オフィーリア・フォン・マージラインを百合に導く夏休み計画は、爆笑を禁じ得ない程の大失敗に終わり、あの子は涙ながらに君に好意を伝えたわけだが? 難聴系主人公を気取ってみるか?」
「あぁ、責任を取って結婚しようと思う」
「秒で腹をくくるな……また、キスされて終わりだろ……次はNEXT STEPでべろチューだぞ、いい加減に学べよ……」
「なら、腹を切る」
「くくれなかったからって切るな。
まぁ、でも、アレはロマンティックな演出で増幅された一時の恋心かもしれないからな。アレだけの男嫌いが、反転して君を大大大好きになったりするか? 僕は、そんなことは有り得ないと思うがね」
「確かに……」
「君の自意識過剰じゃないのか? あの後、特に接触してこないんだろ?」
「確かにぃ!! 完全に俺の考え過ぎだったわぁ!! 心配して損したぁ!! お嬢はお嬢だわ!! 俺のこと好きになるわけねぇわ!! オッケー、一から百まで理解した!! GOGO、カルイザワァ!!」
俺は、笑いながらマージライン家へとはせ戻り――
「…………」
「…………」
和室に通された俺は、灯明が揺れる部屋の中で、夜着を纏ったお嬢の肌が朱色に染まっていくのを見下ろしていた。
布団。
怪しげな雰囲気を漂わせた布団が畳の上に敷かれており、彼女は気恥ずかしそうに三指を突いて礼をした。
「お、おかえりなさいませ」
彼女は、もじもじとしながら上目遣いで俺を捉える。
「だ、旦那様……」
「ぁあああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああ!! ちぐじょぉおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおお!!」
俺は号泣しながら襖に全身をへばり付かせ、ずるずるとその場に崩れ落ちた。




