恋のおまじない
「……嘘ですわ」
微笑を浮かべて、お嬢はささやく。
「嘘じゃない」
「嘘ですわ」
「嘘じゃない」
「嘘ですわ嘘ですわ嘘ですわーっ!!」
地面に下駄を叩きつけて、涙目のお嬢は叫ぶ。
「わ、わたくしのヒロ様が男ぉ!? はぁ!? そんなわけありませんわっ!! ひ、ヒロ様は!! 三条家のれっきとしたお嬢様ですのよ!! わたくしの初恋相手で、凛々しくて綺麗で!! 誰よりも!! 誰よりもお優しい御方ですことよ!! あ、貴方みたいな、へちゃむくれでおたんこなすでへっぽこぴーとは!! ずぅえんずぅぇん、格が異なりますことよっ!!」
子供みたいに泣きながら、彼女は何度も俺を指す。
「わ、わたくしは、男なんて好きになりませんわ!! ロザリー様を不幸にした男なんて!! だいだいだいだいっきらいですわー!!」
下駄を投げつけられて、俺はそれを受け止める。
「そもそも、貴方、わたくしと一緒にお風呂に入りましたよねっ!!」
「過去を振り返るのはやめにしないか……?」
「決め顔でふざけたことお抜かしになってるんじゃありませんわよーっ!!」
お嬢の蹴りが俺の脛に入り、真顔で突っ立っている俺の前で、自分の足先を押さえたお嬢は「いだいでずわぁ……!!」と叫びながら転げ回る。
顔も髪もぐしゃぐしゃにして。
立ち上がったお嬢は、ぐすぐすと鼻を啜りながら笑う。
「お、おーほっほっほ……し、知ってましたわぁ、貴方が偽物だってことくらい……わたくし、オフィーリア・フォン・マージライン、悪どい貴方の本性には気付いておりました……ヒロ様のフリをして、わたくしを手籠めにしようという魂胆ですわね……ほ、ほんもののヒロ様をお返しなさい……」
「…………」
「ヒロ様を返しなさいッ!! あの御方はどこにいるの!?」
俺の胸ぐらを掴み、お嬢は声を張り上げる。
思い切り襟首を掴み上げ、瞳を濡らした彼女は何度も俺を揺さぶった。
「あ、貴方には借りがありますわ……でも、ヒロ様になにかしたら許しませんことよ……ぜ、絶対に許しませんわ……わたくしの大切な人に傷をつけたら……絶対に許しません……許しませんから……!!」
「……なんで」
揺さぶられながら、俺はささやく。
「なんで、再会した時に俺を『ヒロ様』だと思った?」
除々に、緩やかに。
俺を揺さぶっていたお嬢は、動作を止めてこちらを見上げた。
「……え?」
「姿も印象も言葉遣いも、当時のものとは様変わりしていた筈だ。なのに、なんで、お嬢は俺のことを『ヒロ様』だとわかったんだ?」
「そ、それは……」
「俺が、『ヒロ様』だ」
優しく、その手を引き剥がして真実を突きつける。
「俺は、百合が好きだ……女の子は女の子と結ばれるべきだと思ってる……だから、君が愛した『ヒロ様』が女の子であって欲しかった……君が理想とする『ヒロ様』を演じて、最高の夏休みにしてあげたかった……この思い出を糧にして、次の恋に進んで欲しかった……でも、君は……オフィーリア・フォン・マージラインは……」
――わたくしの恋が、素敵なものになりますように
「ずっと、素敵な恋をしてきた」
俺は、顔を上げて微笑む。
「俺は……俺は、百合の守護者だ……この世界で生まれる恋心を護ってあげたかった……心のどこかで、俺は君が『男のヒロ様』に恋をして欲しくないと思ってた……でも、俺は視てきた……あの子が紡いできた恋心を……延々と願い続けた想いを……107年を懸けた意思を……それを俺の自我で蔑ろに出来るかよ……あの子は……あの子は、ずっと想い続けてきたんだ……だったら……俺は、己を曲げてでも、君が嘘偽りのない恋心を抱けるように願う……おまじないをかけるよ……」
――わたしの恋が、素敵なものになりますように
脳裏で。
陽の光を浴びた少女が、毛布をかぶって笑っていた。
――わたしのおまじない
あどけない笑顔を浮かべた彼女は、左手を差し出して俺へとささやく。
――叶えてくださいね
「君の恋が……」
俺は、微笑んで願い事をかける。
「素敵なものになりますように……」
両手で。
震える口元を押さえたオフィーリアは、涙を流しながら首を振る。
「俺が……俺が『ヒロ様』だ……君が恋をした男の子だ……一緒にいろんなところへ行った……君の笑顔を何度も視た……君がなにを好きなのかも知ってる……君のかけた約束を果たしに来たんだ……嘘偽りひとつない恋心を……オフィーリア・フォン・マージラインに教えに来た……俺は……」
泣きながら、後退る彼女へと俺は想いを紡ぐ。
「三条燈色だ」
「嘘ですわぁああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああ!!」
絶叫して、涙を飛ばしながらお嬢は駆け去っていく。
俺に投げつけた下駄を忘れて、左足を土で汚しながら駆けていく彼女は、群衆に紛れて視えなくなる。何事かと振り返った祭客たちは、あっという間にそのハプニングを忘れて、空を飛ぶ慰霊灯へと意識を戻す。
「…………」
「やれやれ」
金魚柄の浴衣を着たミニ・アルスハリヤは、りんご飴をぺろぺろしながら現れて肩を竦める。
「ついに、僕抜きで百合を破壊し始めたか。さすがは、僕が見込んだ百合殺しだな。口出しせずに、背後に佇む慈母の如く見守っていた甲斐があるというものだよ。大きくなったものだなぁ、その広い背中に『百合殺し』とデカデカと書いてあるぞ」
「……お前、なんでいるの?」
アルスハリヤは、苦笑する。
「なにを言ってる、君と僕は一心同体、魂の友、同じ釜の飯を食った仲なんだから当たり前だろ」
「身体を共有してるんだから、同じ釜の飯を食うのは強制だろボケが。
お前、どこまで記憶があるの? どういう状況? 上手くいけば、時間跳躍の無限ループに入ってお前は消滅してる筈なんだが?」
「豪華客船→地下天蓋の書庫→(七椿の時間跳躍で)大正時代のカルイザワ→七年前のカルイザワ→豪華客船……ふむ、確かに君の視点で言えば、僕は無限ループに陥っていそうなものだがそうはならなかった。
僕は、七年前のカルイザワで眠りに落ちたわけだが、次に目覚めた時には現在から数時間前のカルイザワで君の身体の裡にいた。どうやら、眠りに落ちたことで、僕の意識……というより、魔力は君の元に戻り『同一体』として運ばれたらしい」
「あ? だったら、なんで俺より早くこっちに着いてんだよ?」
「おいおい、僕は魔人だぞ? 七椿の鏡面上の万面鏡像にも慣れたから多少のコントロールくらいは効くさ」
りんご飴で、俺の頬を突きながら魔人はニヤリと嗤う。
「そんなことよりも、君は、僕に感謝すべきだと思うがね。地下天蓋の書庫から、そのちんけな身体をココまで持ってきてやったのは僕だぞ? 浴衣とウィッグで飾り付け、祭囃子がよく似合う大和撫子に化粧してやったんだ。礼くらい言っても損はないかと思うがね」
「分割、拳払いで良いか?」
「分割するな、せめて一括でかかってこい」
ぼこぼこぼこぼこ、お互いに殴り合ってから俺はため息を吐く。
「で? 他の地下天蓋の書庫に行ってたメンバーは?」
「安心したまえ。君のハレムに属する嫁たちは、丁重にエスコートして、地上にまで誘ってあげたよ」
「…………」
「おいおい!! なんだ、その眼は!? 相棒である僕を疑うのか!? この僕を!? 現在まで、僕が君を害することをしたか!? してないだろう!? 失礼だな!? 楽しみにしておけよ!!」
膝を顔面にブチ込み、倒れたところを足蹴にして唾を吐き捨てる。
顔が凹んだアルスハリヤは、むくりと起き上がって何事もなかったかのようにすり寄ってくる。
「ヒーロくん、こんなところで僕を殴って汗を流してる場合か? 追いかけないのかい? 彼女は、君を待っていると思うがね」
「現在のあの子に、これ以上なにか言っても伝わらねぇだろ……まぁ、最期の挨拶にしては出来が良いんじゃねぇの?」
俺は、アルスハリヤを伴って歩き始める。
宙に流された慰霊灯は、宵闇へと消えていき祭囃子が戻ってくる。立ち並ぶ屋台は客寄せを始めて、子供たちが駆けていき、賑やかなお祭りが再開される。
「……アルスハリヤ、なにか食うか?」
「なんだ、急に気色の悪い優しさを発揮したりして」
「なんだかんだ、お前には世話になったからな。それに、まぁ、ココで最期になるかもしれないし多少は優しくしてやろうという粋な計らいだ。
七椿は、あとどれくらいで地上に出てくる?」
「数分といったところかな……別に感覚を共有しているわけでもないが、綿あめでも食べるか? 君から視える僕は、とってもキュートな幼子だからね。たまには、可愛い子ぶってやってもいい」
「綿あめねぇ……お前、花火とか視たことあんの?」
「おいおい、僕が何年存在し続けてると思ってるんだ? どこぞの自称百合の守護者と一緒に爆散したこともあるんだぞ?」
俺は苦笑して、群衆の中へと紛れていく。
誰も彼もが満面の笑みを浮かべ、かつて魔人と戦った英霊を悼み、この地で紡がれた命を笑顔で満たす。
「ところで、花火と言えば、かつて百合カップルを粉々に破壊した時に――」
「お前、マジで殺すよ? 話題の選び方、どないなってんの? 百合学科初等教育からやり直せ、ゴミクソがよ」
言い合いを続けながら、肩を並べた俺たちは――107年を懸けて築いた路を歩いて行った。




