緋色の路
痛みに呼応するかのように――廻る。
包帯を巻いた右手が、ズキズキと痛む度に視界が廻って終わりの時を告げていた。
大方の後始末を終えて。
平和な時間を取り戻したお嬢の首の傷もすっかり治った頃、俺は彼女を連れて三条緋路の墓参へとやって来る。
純白の景色。
咲き誇るサクラソウは、風に乗って舞い飛ぶ。
突き刺さる無銘刀を見下ろし、俺は、これから起こるであろう運否天賦に任せた時間跳躍に思いを馳せる。
――悪く言えば、感情論の思考停止だ
至極真っ当なご意見で、アルスハリヤ大先生の言う通りだ。
大正二年に鏡面上の万面鏡像を喰らった時点で、俺の詰めが甘かったと言わざるを得ない。と言うか、最初に大正二年に飛ばされた時、俺とアルスハリヤの策は失敗に終わっていたのだ。
最悪、俺はココで死ぬ。
鏡面上の万面鏡像による時間跳躍で、宇宙空間にでも放り出されればソレで終わりだ。真空の間に挟まる男として名を馳せる暇もなく、酸素を求めて喘ぎながら闇に沈む。
「ヒロ様ーっ!!」
七椿派に襲われた後、勘弁して欲しいくらい俺に懐いたお嬢は、満面の笑顔で俺に向かって手を振ってくる。
俺は、手を振り返してから目線を戻した。
「…………」
無銘刀が突き刺さる墓を見つめて、俺は微笑を浮かべた。
「最期になるかもしれないから挨拶しに来た」
物言わぬ剣塚に語りかける。
「やるべきことはやった。ココで俺が死んだとしても、きっと、俺の意思を継いだ連中がどうにかしてくれる。
俺があんたの意思を継いだようにな」
そっと、俺は、一輪の花を手向ける。
「あんたの名前……マージライン家の連中は憶えてるよ……あんたがなにをしたのか……知ってるんだ……ロザリーが刻んでくれた……あんたの名前を現在に刻んだ……もう、あんたは塀の外じゃない……」
陽だまりに沈む墓を見つめ、俺はささやく。
「陽だまりの中にいる」
「ヒロ様」
振り向いて。
陽の光を浴びたオフィーリアは微笑む。
「わたくしの恋が」
花冠をかぶったオフィーリアは、くるりと、スカートの裾を翻し笑った。
「素敵なものになりますように」
重なる。
彼女の姿と重なって――思わず、俺は顔を歪める。
「……なんだそりゃ」
「おまじないですわ、おまじない! わたくし、オフィーリア・フォン・マージライン、マージライン家に伝わるおまじないを実践してみましたの! かのロザリー様も、このおまじないで初恋を叶えたと聞き及んでおります!」
「……叶えられたのか?」
俺は、ズレた花冠の位置を直してやりながらつぶやく。
「ロザリー・フォン・マージラインは、最期まで独り身だった……好きな人とは結ばれなかったんじゃないのか……?」
「いいえ」
小さな女の子は、そっと、俺の手を握ってささやいた。
「叶いましたわ」
風が吹いて、俺と彼女の間を白い花弁が通り過ぎる。
「ロザリー様は、最期まで大切な人を想いました。ずっとずっとずーっと、好きでいました。しわくちゃのおばあちゃんになっても、大好きな人を想い続けて、素敵な恋を続けてきました」
――しわくちゃのおばあちゃんになっても、わたしの傍にいてくれますか?
「ロザリー様は、恋人から贈られた首飾りを肌身離さずに身に着けていました。少しでも、その恋と想いが長続きするように健やかな生活を送りました」
――約束してくれるなら、ちょっとでも長生き出来るように頑張っちゃいますよ
「ロザリー様は、最期まで笑っていました」
笑いながら、オフィーリアは俺の手を己の手で包み込む。
「大好きな人を想い続けて、幸せだったんです。ふたりのデートを思い出せば、うふふって笑っちゃうんです。過ごした日々に感じたことが、人生となって命を紡いだんです。誰がなんと言おうとも、ロザリー様は素敵な恋を続けてきたのですわ。
だから、きっと、大好きな人にかけたおまじないは」
――わたしのおまじない
「叶いましたわ」
――叶えてくださいね
答えるかのように。
俺に寄り添うみたいにして、白色の花弁がそっと頬に付いた。
親しく、優しく、愛しく――彼女が繋いだ命が、俺の憂いを拭った。
だから、俺は跪く。
「受け取って欲しいものがある」
俺は、七椿派から取り返した魔導書の核――『耽溺のオフィーリア』を取り出し、お嬢へと差し出した。
「必ず……必ず……この首飾りが必要になる……その時まで、君にこの首飾りを身に着けていて欲しい……未来に繋いでくれ……あの子が……あの子が、繋いだ命を……君の手で……繋いでくれ……あの子の恋を……」
顔を伏せた俺は、くぐもった声でささやく。
「無駄にしないでくれ……」
そっと。
俺を立たせた彼女は、ゆっくりと髪を上げた。
答えを受け取って、俺は、『耽溺のオフィーリア』を彼女に着けて――嬉しそうに彼女は笑った。
俺は、ゆっくりと口を開く。
「あ」
言おうとして、硬直する。
もし。
もし、ココで、俺が『地下天蓋の書庫には行くな』とは言わず、他のセリフを口にして未来の俺に伝えればどうなるのだろうか?
この時、オフィーリアに『地下天蓋の書庫には行くな』と言ったことで、俺は七椿と戦うことになり大正二年に時間跳躍し、ロザリーたちと出逢って歴史を紡ぐことになった。
それは、正しいことだったのだろうか?
原作ゲームでは、三条燈色が大正二年に跳ぶことはなく七椿戦は円満に終了する。
だとすれば、より良い未来が存在するのではないだろうか。俺がロザリーとは出逢わず、彼女が運命の人と巡り逢って幸福に辿り着く未来が。
なんと言えば。
なんと言えば、俺は、ロザリーを幸福に出来――幸せそうに。
眼の前のオフィーリアは、微笑を浮かべたまま俺を見つめていた。
――ロザリー様は、最期まで笑っていました
「あ……あ……」
――大好きな人を想い続けて、幸せだったんです
「あ……ぁ……」
――だから、きっと、大好きな人にかけたおまじないは
「あ……ぁあ……」
――叶いましたわ
唇を噛みしめる。
彼女の首元で首飾りが輝き、記憶の中でロザリー・フォン・マージラインはあどけなく笑っていた。
――わたし、ちゃんと、ヒロさんのこと好きになれました
「地下天蓋の書庫には……」
俺は、声を振り絞る。
「地下天蓋の書庫には……行くな……」
言い切って、俺は彼女に微笑みかける。
「そう……未来の俺に伝えてくれ……次に君と逢う俺に……そう伝えてくれ……」
あどけない笑顔を浮かべて、彼女は頷く。
廻る、廻る、廻る。
限界を迎えた俺は、自分が立っているのか座っているのかもわからず、ひたすらに廻転させられる。
「オフィーリア……先に……帰っててくれ……俺は……少し、用事があるから……」
「え? で、でも、お祭りに……カルイザワで、調和祭に一緒に行くって……約束しましたわ……」
今にも泣きそうな顔をした彼女に、廻り続ける俺は笑いかける。
「だいじょうぶ……やくそくは……まもるよ……だから……」
そっと、俺は、オフィーリアの背を押した。
「行け……オフィーリア・フォン・マージライン……未来で……未来で……逢おうぜ……」
「ヒロ様?」
「行けッ!!」
びくりと。
身動ぎしたオフィーリアは、涙目で駆けていき――よろけた俺は、無名の墓に倒れ込み、縋るようにして無銘刀の柄を握り込む。
「悪ぃ……前言撤回する……ココで……ココで死ぬわけにはいかねぇわ……運否天賦に……任せることなんて出来ねぇ……俺には……俺にはすべきことがある……ココで……ココで倒れるわけには……いかねぇんだ……!!」
強く。
強く、強く、強く、無銘の柄を握り込む。
「たのむ……たのむ、ロザリー……ルミナティ……さんじょう……ひろ……!! おれを……おれを……未来に……未来に運べ……!! あの子たちにだけ……背負わせるわけにはいかない……お前らの命は……未来は……意思は……俺が運ぶ……だから……だから……ッ!!」
倒れた俺は、廻りながら――吠える。
「俺を未来に運べ、三条緋路ぉおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおッ!!」
瞬間。
鏡張りの世界に放り込まれた俺は、ぐんぐんと速度を増していき、ありとあらゆる方向から老若男女の手が伸びてくる。
鏡、鏡、鏡。
鏡の国に飛び込んだ俺は、鏡面世界でもみくちゃにされながら、廻る度に変わる七色の世界に取り込まれていく。俺の意思を介在しない時空間移動が行われ、早回しで過去と現在と未来の笑い声が聞こえてくる。
凄まじい勢いで、俺は七椿の御手に運ばれ――血が沸き立った。
――魔力は様々な情報と記憶をもった粒子の集団だ
俺を掴んでいた手に罅が入る。
――血を通じて、魔力は受け継がれ引き継がれる
音を立てて、その罅は広がっていって。
――魔眼は、血統を基にした相伝に拠るものだとされています
勢いよく、砕け散る。
しんと。
静まり返って、眼の前に路が視えた。
緋色の路。
ありとあらゆる方向へと伸びているその路は、瞬く間に数を増していき、俺の視界を緋色に染める。
誰かが。
誰かが、俺の裡側で眼をこじ開けている。
気配を感じて振り向く。
黒い長髪を持った少年が、こちらを見つめていた。
その背後には、軍服を着た男や和服を着た女、ありとあらゆる時代のありとあらゆる年代の人間たちが集って俺を視ていた。
彼ら彼女らは、全員が全員、血に塗れていたが穏やかな笑みを浮かべている。
ゆっくりと、歩み寄ってきて。
黒い髪をもつ少年は、俺へと手を差し出す。
俺は、ただ黙って――その手を握る。
彼は、嬉しそうに微笑んだ。
「頼む」
瞬間。
俺の眼が――閻いた。
廻る、廻る、廻るッ!!
凄まじい勢いで廻転しながら、己の顔を掴んだ俺は、強制開眼された払暁叙事を制御しながら緋色の路を辿り続ける。
手が――伸びる。
廻転しながら路を伸ばした俺は、その手を砕き飛ばし、たったひとつの可能性へと滑り込む。
「退けッ!!」
俺は、叫ぶ。
「コレは……この路は……ッ!!」
緋色の路が未来を示す。
「俺たちの路だァアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアッ!!」
廻り続ける激流。
呑まれた俺は、真っ直ぐに緋色の路を滑り――眼前に塞がった鏡に己の拳を叩き込む。
大音響と共に鏡は砕け散り、破片と共に外へと飛び出す。
意識が、一瞬、ぐらりと失われて。
気付いた瞬間、俺の前には美しく成長したオフィーリア・フォン・マージラインが、浴衣姿で立ち尽くしていた。
「ヒロ様」
彼女は、涙を滲ませて笑みを浮かべる。
「来てくださったのですね……」
「あぁ」
その首飾りを見つめて――俺は頷く。
「約束を果たしに来た」




