金に眠る黒
夜は更けた。
草木も、人も、何もかもが寝静まった時の中で、差し込んだ月光は凍りついたかのようにオフホワイトの大理石床に留まっていた。
「ひとつ、お願いがあるんですが」
マージライン家の邸宅、玄関ホールで俺は彼女に声をかける。
「…………」
お嬢の父親は、ゆっくりと振り向く。
「預かって欲しい」
目を見開いて。
彼女は、驚きを示してからソレを受け取る。
「……どこに?」
「あの女性が最も大切にしていた場所に」
ゆっくりと。
彼女は視線を上げて、立ち並ぶマージライン家の淑女たちの肖像を見つめた。その中のひとり、陽だまりの中で微笑む彼女を。
「……長かった」
目を閉じたお嬢の父親は、ぎゅっとソレを握り締める。
「妻から聞かされていた物語……三条緋路とルミナティ・レーン・リーデヴェルトのお話……外様の私には、驚きしかなかったが……ルミナティのその話は、本家で聞かされていた悪口雑言で塗れるソレとは違っていた……」
目を開けて。
美しい月の光の中で眠るロザリー・フォン・マージラインを見つめ、微笑んだ彼女は言葉を紡いだ。
「過去、男が市民権を得ていた頃から遺る言葉……婿養子とか父親とか……そういうものは、半ば蔑称のようなもので……正直、私は、この家になんて来たくはなかった……でも、妻を愛して、ココでロザリー・フォン・マージラインの肖像画を視た時……なぜか、涙が出た……」
瞳を潤ませながら、顔を伏せた彼女はささやく。
「魔力とは、魔術演算子の塊……つまり、ソレは様々な情報と記憶をもった粒子の集団だ……血脈……血を通じて、魔力は受け継がれ引き継がれる……だからこそ、私の裡に眠る想いが……呼び覚まされた……妻を愛したのは偶然だった……でも、私がココに来るのはきっと必然だった……」
俺の視線の先で、彼女はバサリとウィッグを脱ぎ去った。
金から零れ落ちた黒。
真っ黒な髪を落とした彼女は、俺を見つめたまま口を開いた。
「私の元の名は――」
そして、言った。
「ヨルン・レーン・リーデヴェルト」
絶句する俺の前で、金色のウィッグを被り直した彼女は苦笑した。
「現在は、ヨルン・フォン・マージライン」
「あんた……リーデヴェルト家の人間だったのか……」
「ヨルンという名は、リーデヴェルト家ではそう珍しくもない名前だ……正確に言えば、リーデヴェルト家の分家では……歴史とは異なる物語を妻から聞いて……その理由がようやくわかったよ……」
惑うようにして、手元で揺れるソレを見つめたヨルンは微笑を浮かべる。
「ルミナティ・レーン・リーデヴェルトは、きっと、あの探偵事務所に帰りたかったんだろうな……どのような形でも……彼女の形を遺したかった……誰も知らない少女の形を……その命の形を……」
「……あんたの奥さんは?」
「魔力欠乏症で死んだ」
「あ?」
思わず、顔をしかめた俺に対し、ヨルンは唇の前で人差し指を立てた。
俺たちを視る目はなかったが、どこに耳があるのかわからないので俺は微笑んで頷く。
「……子供たちには、海外に行っていると言い聞かせている」
「レイディにも?」
ゆっくりと、ヨルンは首を振った。
「あの子は……マージライン家の人間にしては頭が良すぎる……私の血が濃いんだろうな……すべて気づいた上で、妻から物語を聞き出し、自ら役目を買って出た……」
「まるで、マージライン家がアホの集団みたいな物言いだぁ」
「…………」
「はい」
「だが、マージライン家の意思は強い」
額縁の中で佇むロザリーに見守られながら、彼女は断言する。
「四歳の子が、『たたかう』と言っている……なにも知らない子が……誰と戦うかもわからずに……自分が抱いた力を知っているかのように『たたかう』と言っている……受け継がれた意思とその血が……言葉を発している……」
生物は、長い年月と世代を経て環境に適応する。
もし、マージライン家の血が七椿を倒すための『力』を求めたのであれば……シャル・フォン・マージラインが、魔法少女として生まれついたのも必然だったのかもしれない。
「……しかし」
無口を常としているのに喋りすぎたのか。
疲弊を顔に浮かべたヨルンは、俺から受け取ったソレで弧を描いた。
「私が持っていても良いのか……?」
「マージライン家の人間が持っているべきだと思う。それに、俺は、良い策を知ってる」
俺は、ニヤリと笑う。
「レイディから聞いた。あんた、中世からルネサンス期のFranceの品々を蒐集するのが趣味なんだって?」
「……あぁ、このウィッグもその一部だ。もっと凄いのもある」
俺は、その策をささやき――ヨルンは吹き出した。
「な、なんだ、ソレは……確かに、奴らからしてみれば思いも寄らないだろうし、マージライン家の策とも噛み合うが……あまりにも酷くはないか……?」
「いや、俺も、気づいた時に笑っちゃったけどね。ルミナティも似たようなことしてたし、リーデヴェルト家はそういう役柄なのかもしれないな。
どうする? やめとく?」
「……いや」
ヨルンは、微笑を浮かべる。
「やろう」
「良いね」
俺は、彼女と握手を交わす。
彼女へと背を向けた俺は、歩き出そうとして――
「……君がどこから来たかは知らないが」
声が聞こえて足を止める。
「ひとつ、聞きたいことがある」
「なに?」
「三条緋路は、どんな男だった?」
笑いながら、俺は振り返る。
「ロザリー・フォン・マージラインに聞いてみな」
そっと。
ヨルンは、幸せそうに笑顔を浮かべる彼女を見つめ――微笑する。
「……良い男だな」
「あぁ」
俺は、前へと進みながら答える。
「だから、俺が歩いてる」
レイディからの連絡が入って、俺は、ゆっくりと庭園へと向かって行った。




