百合破壊男、市中引き回しの刑
対面に。
深々と帽子をかぶって、息を切らした少女が座った。
全力疾走してきたのか、ぜいぜいと呼吸を繰り返している彼女は裸足で、薄汚れた素足を隠すように縮こめる。
「お、お願い……かくまって……」
カフェのオープンテラス。
手洗いに行ったスノウの席に座った少女を見つめ、俺は紅茶を啜った。
物凄い勢いで滑り込んできた外車から、スーツを着込んだ女性たちが下りてきて周辺の店内へと駆け込んでいく。そのうちの数人がこちらに走ってきて、少女は肩を震わせながら顔を背けた。
カップから手を離し、俺は動き始める。
少女の鍔広帽をテーブルの下に投げ捨て、代わりに俺が被っていた野球帽を被せる。彼女に上着を羽織らせ、『忍法・百合変化』を完了させる。
立ち上がった俺は、向かってきた三人の女性へと詰め寄る。
「おい、ゴラァ!!」
大声を張り上げる。
唐突に子供から罵声を浴びせられ、スーツ姿の女性たちは思わず止まった。
「テメェら、ココがどこで俺が誰だかわかってんだろうなぁ!? 三条グループの系列店になんの用だ!? あぁ!? こんな真っ昼間から営業妨害でもしてぇのか!? テメェら、どこのどいつだ!?」
「な、なんだこのガキ……」
「ま、待て、コイツ」
スーツ姿の女性たちは、耳打ちしあって、俺が三条燈色だということに気づき顔を真っ青にする。
「た、大変、失礼いたしました。直ぐにお暇いたします。
お、おい」
さっと、テラスを眺め回し、スーツ姿の女性たちは会釈してから立ち去る。
外車が急発進して視界から消えたのを確認してから席に戻り、俺は上着と野球帽を回収し――綺麗な白金髪が流れ落ちた。
「ありがとう」
どことなく、見覚えのある少女は微笑んで礼を言った。
「気にすんな、通りがかりの縁だ」
俺は、アルスハリヤに電話をかけてから切る。
「お姫様との舞踏会を終えた後、ガラスの靴を落として朝帰りの最中か?」
「そんなロマンティックなものじゃないよ」
彼女は、お上品に口元へ手を当ててくすくすと笑う。
「忘れ物を置きに帰る途中なんだ」
白金髪を持つ少女は、一枚の写真を取り出し、ソレを眺めてから微笑んだ。
「大切な人と撮った写真なの。
コレしかないから……私が持っているよりは、その人に持っていてもらった方が良いと思って」
「……その大切な人っていうのは女性?」
こくりと頷き、俺は手のひらで目元を覆って天を仰いだ。
「俺は、あんたの味方だ……ジーザス……なんでも言ってくれ……リリィガードなら、喜んで引き受けるぜ……」
「大丈夫大丈夫、貴方にも大切な人がいるんでしょ? もう少し走れば、きっと、辿り着けると思うから」
飲みかけのメロンソーダを指差し、少女は綺麗に笑んだ。
そっと。
涼風が吹いて、目を細めた少女は立ち並ぶビル街を眺める。
「……なんで助けてくれたの?」
そのタイミングで、ぶらぶらと歩いてきたハイネ・スカルフェイスは、俺の注文通りにスニーカーを持ってくる。
「…………」
眠そうな眷属は、俺にスニーカーを渡すなり道路のド真ん中を渡って、クラクションを鳴らされながら去っていった。
俺は跪いて、恭しい手付きでその靴を彼女に履かせて――微笑む。
「裸足で走るシンデレラが、無事に家に帰れるよう願ってるからさ」
「なにそれ、キザなセリフ」
笑いながら、彼女はソレを受け入れる。
「俺の経験則上、こういうセリフを口にする男はもてない。引き立て役としては、丁度良いのでロマンティストを気取ってます」
「じゃあ、引き立て役のロマンティストにもう一個聞いても良いかな?」
「どうぞ、スニーカーコーデのお姫様」
真っ直ぐに。
俺を見つめて、白金髪の少女は言った。
「強者の悪と弱者の正義、どっちが勝つと思う?」
「愚問だね」
俺は、答える。
「正義は必ず勝つ」
目を見張って――笑いながら彼女は立ち上がる。
「さよならっ! ありがとう、会えて良かった! 私、ようやくわかった気がする!」
「あ、おいっ!」
既に席を立っていた彼女を止める間もなく、鍔広帽から解き放たれた白金髪は宙を踊っていた。
「ヒイロくん」
あっという間に姿が掻き消えて、戻ってきたスノウはぱちくりと瞬きをする。
「どうしたんですか? さっきまで、誰かいた?」
俺は、苦笑して首を振る。
「いや、なんでもない。俺の考え過ぎだ。
それより座れよ、まだ、そのメロンソーダ飲みかけだろ?」
空色のワンピースに身を包んで、ワイドブリムの麦わら帽子をかぶったスノウは、俺とお嬢が教えた作法通りにメロンソーダを飲む。
「…………」
「ヒイロくん」
『坊っちゃん』はやめてくれという俺の言いつけを守り、『ヒイロくん』へと呼び名を変えたスノウは微笑む。
「今日は、どこに行くんですか?」
「着いてからのお楽しみかな」
スノウが飲み終えるのを待ってから、俺は席を立って歩き始めた。
不安そうに。
白髪の少女は、俺のことを何度も見上げる。その視線に気づいていながらも、俺は敢えて無視して通りを歩いて行った。
切妻屋根の屋敷門。
三条家の家紋が入った門前で、ひとりの少女が俺たちを待っていた。
「…………」
冷たい眼。
日本人形を思わせる無機質な美しさを持った少女は、余所行き用の着物に身を包んで俺のことを見上げる。
「……なんでしょうか」
三条黎は、生気の抜けた眼差しで俺を捉える。
「この子を預かって欲しい」
勢いよく。
スノウは、俺を見上げて唇を震わせ――言葉を発する前に、俺は口を開いた。
「大切な妹なんだ」
他人事のように。
微動だにしないレイの前で、スノウと目線を合わせた俺はささやいた。
「お前に、この子を守って欲しい。たったひとりの味方でいて欲しいんだ。この子に必要な人たちが現れるまで傍にいてくれ。
ありとあらゆる災厄を彼女に近づけるな」
俺は、真顔でつぶやく。
「特に男。男を近寄らせるな。この子の傍に居て良いのは女の子だけだ。三条燈色が粉をかけてきたら、ぶん殴ってでも止めろ。口八丁手八丁で、ヤツの精神を破壊するんだ。遠慮は要らない。三条燈色に人権は存在しない」
「わ、私を捨てるんですか……?」
「違う。よく視ろ」
俺は、三条黎を指した。
「…………」
ありとあらゆる物事をぼやけて捉えながら、『三条燈色に呼ばれたから』という理由だけでそこに立ち続ける少女を。
「救えるのはお前だけだ」
ゆっくりと、スノウは目を見開いた。
「俺は、これからいなくなる……戻ってこれるのは、何年も後のことだ……その間、彼女を守れるのはお前だけなんだ……酷いことを言ってるのはわかってる……だけど、俺の知ってるお前はやり遂げるんだ……だから……」
スノウの両肩に手を置いて、俺は深々と頭を下げる。
「この子を頼む……」
「ヒイロくんは」
俺の手に自分の手を重ね、白髪の少女は微笑む。
「私のことが好きですか?」
「今、その話、関係あるか……?」
俺は、涙を流しながらささやく。
「関係ないよな……?」
「好きですか?」
「なにひとつとして関係ないな……?」
「イエスかノーで答えてください。
その返答も加味して、私の答えも決まります」
覚悟を決めた彼女は、綺麗な笑顔で問いかけてくる。
「答えてください。制限時間は3秒でカウントします。
さん」
「お前、絶対、裏に誰かいるだろ!? 『ア』から始まって『ヤ』で終わるゴミの影が視える!! 視てるんだろ!? 出てこいよ!! 子供の裏に隠れてないでかかってこい!!」
「にー」
「誰がテメェなんか!! テメェなんか怖か――」
「いち」
「好きだァアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアア!!」
俺は、絶叫し泣き崩れる。
三条家の門に縋り付いた俺は、家紋を殴りつけながら泣き叫ぶ。
「アルスハリヤァアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアア……ァアアアアア……ァア……!! やろぉ……ぶ、ぶっ殺してやるぅ……!!」
「…………」
妹は、号泣する兄を冷めた目で見つめ――少しだけ頬を曲げた。
そっと。
スノウは、泣き続ける俺を抱き締める。
「また、逢えますよね……ずっと……ずっと、まってますから……ヒイロくんとの約束は守ります……私の家族は、ヒイロくんだけだから……私に『好き』って言ってくれたのは、ヒイロくんだけだから……すべてをくれたのは、ヒイロくんだけだから……」
一筋の涙を流しながら。
スノウは、俺に口づけて――泣きながら微笑んだ。
「今度は、私がヒイロくんにすべてをあげるね」
「…………」
見事に育成失敗した俺は、濁った目で快晴を見上げた。
半ば事切れている俺を見下ろしたレイは、眉ひとつ動かさずに小さく口を開ける。
「……引き取ります」
「……お願いします」
名残惜しそうに俺から離れたスノウは、レイに連れられて三条家の本邸へと入っていき姿を消した。
「おい、大丈夫か、ヒーロくん!? どうした!? なにがあったんだ!? た、たいへんだー!! な、なにがあったというんだー!!」
「…………」
満面の笑みで。
どこからともなく駆け寄ってきたアルスハリヤは、ゲラゲラと笑いながら俺を指差し、死んだ目の俺と自分にインカメラを向ける。
「はい、愉悦」
ぱしゃりとシャッター音が鳴って、写真を確認した魔人はまた爆笑する。
「さて、ヒーロくん。
僕の華麗なる手助けもあって、君が救いたかった少女の安全は保証された。あの妹君も人間らしい感情を取り戻すだろう。廻り続ける君の時間制限は、直ぐそこにまで迫っている」
倒れた俺の手を掴んで引きずり、アルスハリヤはマージライン家へと向かい始める。
「さぁ、幕間を終えて舞台上へ戻ろうじゃないか。
この時代での戦いも終盤戦だ。レイディ・フォン・マージラインの協力の下、君の大切な者たちを護りに行こう」
「…………」
俺を引きずり回しながら、爽やかに笑ったアルスハリヤは空を指した。
「さぁ、ゆくぞ、ヒーロくん! 空も祝福している! 英雄よろしく、すべてを救いに行こうじゃないか!」
「…………」
俺は、引きずられたまま新幹線に乗り、引きずられたままマージライン家へとトンボ返りし――引きずられたまま、最終局面へと辿り着いた。




