マージラインの誓い
「おや」
小鳥の玩具と戯れていた少女は、窓から入ってきた俺を見つけて微笑む。
「窓から可愛らしい蝶々が入ってきたようだね。
ふふ、ボクという名の甘い蜜に誘われてきた男の子かな」
レース付きのベッドに寝そべっていたレイディ・フォン・マージラインは、機械仕掛けの小鳥をベッドに下ろした。
「はじめまして、三条家の男の子。盟約の通りに歓迎するよ。
ボクは、レイディ・フォン・マージライン。見ての通り、病弱で深窓でミステリアスな美少女さ」
俺は、彼女をじっと見つめて、ロザリーと比較しながら観察する。
「…………」
やっぱりな。
「ふふ、滾るような熱視線だ。昂ぶるね。実にミステリアスな視線じゃないか。
しかし、令嬢を視るのに適した視線ではないかな」
俺は、人差し指を立ててメモ書きを見せる。
『2時方向、奥の木立ち』。
「ご忠告どうも、蝶々の精霊さん。だがしかし、心配は御無用というものかな。何時の時代も小鳥たちは、深窓に佇むお姫様の味方なのさ」
小鳥の玩具。
いや、それは魔導書だ。
オフィリーヌと同様、息魔の魔導書の分身体……それらを玩具に見せかけているレイディは、マージライン家の周辺を飛び回らせ、ベッドから動けない自分の代わりに情報を集めさせ報告させていた。
「……何時から?」
レイディは、指を鳴らしてウィンクする。
「C'est pas grave!
言うなれば、物心がついた頃からかな。ご先祖様が書き遺した物語に感銘を受けてね。いつの間にか、このベッドの上でお姫様をしてる」
彼女は、美しく微笑んで胸に手を当てた。
「ボクは、ボクの意思でこの人生を選んだ。悔いはない」
俺は、少女の言葉を思い出す。
――ロザリー・フォン・マージラインの名に誓って
彼女の誓いは。
――我がマージライン家が、万鏡の七椿を打ち倒します
巡り巡って、強固な意思と化し、マージライン家の血脈に受け継がれていた。
「……遺書を読んだ」
小声で。
窓からは視えない死角、懐の内側にルミナティの遺書を隠していた俺は、レイディにだけ視える角度でソレを見せつける。
「ふふ、それは興味深いね」
さり気なく。
レイディは、窓を開けるフリをしてカーテンの位置を調整する。
「男の子、ソレはどこで入手したものだろうか? 悪逆無道で名を馳せている彼女が遺したモノの大半は、遺棄されたと聞いていたけれど」
「この時代に所持している人間を知ってた。だから、少しの間だけ拝借してる」
俺は、委員長の部屋を探し回って、手に入れた遺書を懐に仕舞い直した。
「遅くなって悪いが、コレを読んでようやくすべてを理解した。
俺は、彼女たちが懸けた107年後のために」
己の胸に手を当てて、俺は宣言する。
「三条緋路の代理でココに来た」
「……言っていた通りだ」
怪訝な顔をすると、レイディは微笑む。
「ロザリー様が、何度も言っていた……逢いに来るって……」
見覚えのある笑顔を浮かべ、マージラインの血を継いだ少女はささやいた。
「『何時か、必ず三条緋路が逢いに来る』と」
――絶対に、もう一度、逢いに来る
目を見開いた俺は、顔を伏せてから――微笑みと共に顔を上げた。
「……そうか」
「心配しなくても良いさ、大丈夫、ロザリー・フォン・マージラインは笑顔で逝った」
歌うようにささめいて。
陽だまりの中で、レイディはニコリと笑った。
「アレは、好きな人と巡り逢えた女性の笑顔だよ」
「悪いが」
俺は、笑う。
「手伝ってくれ。あんたの力が要る、レイディ・フォン・マージライン」
「もちろん、なんでも言ってくれ」
「俺たちの目的のため、満たすべき条件が三つある」
俺は、指を三本立てた。
「ひとつ、七年後まで俺とオフィーリアとの婚約関係を継続する。ふたつ、魔導書の核を取り戻す。みっつ、俺があんたたちのことを忘れても計画は進める」
「わぁ、なんだかワクワクしてきたね! あぁ、まるで、映画の大画面の中央でセリフを並べ立てているようだよ!
ほらほら、座って座って!」
バンバンとベッドを叩かれて、俺は寄ってきたレイディの横に座る。
「ひとつ目の条件は、容易なように思えるけれど……実は、オフィーリアは大の男嫌いでね。今代、三条家の男と結ばれるのはボクの予定だったんだけれど、なにしろ、ほら、ボクはボクですべきことがあるから」
パジャマ姿で、レイディは両手を広げて笑う。
「だから、オフィーリアには君が女性であると伝えている。三条家も織り込み済みのことさ」
だから、顔合わせの場では誰も言及しなかったのか……納得がいって俺は頷く。
「しかし、なぜ、ひとつ目の条件を満たす必要が?」
「それは、みっつ目の条件とも繋がってる。
三条燈色がカルイザワにまで足を運び、現在に至るためには必要な条件なんだ……所謂、百合ゲーお馴染みフラグ立てだな」
「ふぅん」
俺の肩に顎を乗せて、顎先でぐしぐしと掘ってきながらレイディはつぶやく。
「ふたつ目は――」
「布石だね」
レイディは、頷きながら微笑む。
「ボクも含めて、あの時から107年後のための」
「……そういうことだ」
微笑を返し、俺は三本目の指を立てる。
「みっつ目、コレが一番重要だ。
俺は、これから、ココで起きたことをすべて忘れる」
女の子座りしたまま、ぱちぱちとレイディは瞬きを繰り返す。
「なんで?」
「説明すると長くなるから省略、ともかく、俺はこれからクソ野郎に成り下がってあんたのことも忘れる」
「C'est dingue!」
ベチンと、レイディは俺の肩を殴りつける。
「いだぁ!? なに!? なんで、急に脈絡もなくバイオレンス!?」
「C'est dingue! C'est dingue! C'est dingue!」
「流暢におフランスから殴りつけてくるのやめてくれませんか!?」
涙目のレイディにボカボカ殴られ、俺は慌ててベッド端まで逃げる。
息を荒げながら枕を掲げたレイディは、諦めたように歯噛みして大人しくなる。
「ボクのことを知ってるのは、お父様を除けばキミだけなのに……友達なんていないんだぞ……喋り相手は、家族か小鳥かFranceの映像くらいだ……自分で選んだ道なのはわかってるけど……憶えててくれても良いじゃないか……!」
「ま、待て、最後まで聞け。記憶がないのは一時的なものだから。これから上手いこと七年後に跳べば、そこから先の俺にはあんたの記憶もある筈だ」
「……なら」
枕を抱き締めながら、不安そうに彼女は俺を見つめる。
「キミは、ボクの友達になってくれる……?」
「ま、まぁ、うん、友達なら」
「わーいっ!」
ぽーいっと、枕を放り捨ててレイディは万歳し――物凄い勢いで、詰め寄ってくる。
「で!? で、ボクはどうすればいい!? キミの友達のボクは、なにをすればいいんだい!? 友のためなら人も殺すよ、ボクは!!」
「ゆ、友情過激派……い、いや、今のまま過ごしてくれれば良いよ。
ただ、次に会う時には、俺の記憶はなくなってる筈だ。素知らぬ顔して、いつも通りのレイディ・フォン・マージラインを貫いててくれ」
「任せたまえ!! あの星に誓うよ!!」
きらきらと涙を流しながら、レイディは窓の外へと長い指先を向ける。
「この友情が永遠に続くことを!!」
「真っ昼間で星もなんも視えないから、夜に繰り返しといて」
俺は苦笑し、三本指のうちの一本を折りたたむ。
「なにはともあれ」
二本の指を立てた俺は、笑いながらささやく。
「ふたつ目だ」




