百合を破壊していく9歳児
「……よくよく考えてみれば」
勝手にキッチンと食材を使って、焼きそばを作り上げた俺は、魔人と幼子に振る舞ってから頭を抱える。
「俺は、百合IQ180だ」
「なにを言ってるんだ、君は」
「そもそも、今回の件は、卑怯な魔人によるマインドコントロールの結果であって、俺自身の選択に拠るものではない。拠って、俺の百合IQ180であることは疑いようがなく、百合の守護者の名を捨てる必要はない。
良かった。俺は、百合IQ180だったのか」
「せ、セルフマインドコントロール……」
覚束ない手付きで。
スノウは、はぐはぐと焼きそばを食べていた。まともに教育が為されていないのか、たまに黄金の左で麺を掴むので注意しておく。
「ご、ごめんなさい……」
「謝るな。お前には、ジュラ紀に生まれ持ったフィジカルがある。注意されたら、逆に殴り返すくらいの暴力性を備えろ」
「君、あのメイドに対する偏見が酷すぎるだろ」
しかし、コレでようやくわかった。
なぜ、原作に『スノウ』というキャラクターがいなかったのか……俺という異分子が入り込むことで、脚本を捻じ曲げたからか。俺が抱いた直感の通り、スノウは、あそこで死ぬ運命だったのだろう。
――現在までに、死ぬ筈の善良な人間が128人死なず、不幸になる筈の善良な人間が279人救われてるって言ってたけど
なるほどな、こんなことばっかりしていれば、魔人が『興味』をもって目覚めてもおかしくはない。
きっと、他にも、俺の介入で曲がった脚本がある筈だ。
例えば、お嬢と燈色が婚約することになっている件とか……俺には心当たりがないが……ロザリーかルミナティに拠るものなのだろう。
原作からの相違点を挙げてみれば、オフィリーヌが息魔の魔導書となっていたり、師匠の持つ無銘墓碑の名前の由来が変わっていたりもする。
俺はこの世界がゲームのシナリオ通りに進むものだと捉えていたが、その考えは間違えていたと言わざるを得ない。
開発者の頭の中にある世界を丸ごと出力させて、好きなように遊ばせたら、大半のプレイヤーは開発者の意図しない方向に進み始め、最終的には原型がないくらいに破壊し尽くすだろう。
――なるほど、おぬし、過去も未来も鏡像が視えんと思うたら
ようやく、七椿の言っていた意味がわかった。
――理の外におるな?
確かに、俺は、この世界で唯一、理の外側にいる人間だ。
過去も未来も縛られていないのだから、七椿の鏡面上の万面鏡像で見通せるわけもない。
「…………」
だとすれば。
だとすれば、この時間軸で俺が上手くやれば、スノウの好感度を0にした上でお嬢との婚約も上手いこと破棄に持っていける筈だ。
俺は、ニヤリと笑った。
やはり、俺は、生まれついての百合の守護者……理の破壊者の力をふんだんに使って、未来を百合に変えてやるよ……七椿をぶちのめす準備を整えつつ、百合畑に種を植えましょう……。
「何時もの気色悪いニヤニヤ笑いしてる場合か。
君には、時間がないんだぞ。くだらないサブタスクに時をかける余裕があると思うなよ」
「お前、ホントに人を煽るの得意ね? 俺のメインタスク、『アルスハリヤを○す』なのは未来永劫変わらないから覚悟しとけよ?」
視ていてあまりにも危なっかしいので、俺はスノウと手を繋ぎ、ランボルギーニまで戻る。
「おかえりなさいませ」
俺とスノウは、微笑を浮かべるシルフィエルに出迎えられた。
ポケットからお菓子を取り出した彼女は、アルスハリヤに隠れて俺とスノウに分け与え、黒い尾を振りながら人差し指を唇の前で立てる。
「では、アルスハリヤ様。失礼いたします」
「僕の分の菓子はないのか?」
立ち所に消えた部下を眼にして、アルスハリヤは「相変わらず、悪魔の癖に子供には甘いな」と苦笑する。
俺は、ぴょんぴょんと左右に跳ねながらピースして、アルスハリヤの前でペロペロキャンディを舐めしゃぶる。
普通に顔を殴られて、倒れた俺は地面を転がっていった。
「子供には優しいって言ったよなぁ!?」
「クソガキには優しくない」
夢中でお菓子を食べるスノウを膝の上に乗せて、軽快に走るランボルギーニに送迎された俺は、ホテル前にまで戻ってくる。
丁度、お嬢と鉢合わせて――スノウを視た彼女は、驚愕の表情を浮かべる。
「妾!?」
ふるふると震えながら、お嬢は両手で口を覆う。
「わ、わたくしというものがありながら……婚約から数時間で婚約関係にヒビが入ってますわ……こ、このっ!!」
お嬢は、涙を滲ませて叫ぶ。
「泥棒猫ッ!!」
「……おぼっちゃん」
ニコリと笑って、スノウは駄菓子を渡してくる。
「あげる……ますね……」
「ぁあ!! か、菓子でわたくしの女をたぶらかすなんて!! 婚約者を駄菓子に取られましたわぁ!! 30円そこらの駄菓子に敗けましたわぁ!! きーっ!! くやしー、ですことよぉ!!」
「そろそろ、俺のターンになっても良くない? 喋って良い?」
俺は、高貴なお嬢様を騙くらかす有効な手立てとして、盛りに盛った人情噺を彼女に提供した。
途中から号泣し始めたお嬢は、白いハンカチーフを噛み締めスノウの手を取る。
「御安心なさって!! わたくし、貴女を妾として認めますわ!! たまに、ヒロさんをお貸ししてもよろしくってよ!!」
「一生懸命説明したのに、肝心なところが欠片も伝わらねぇのつれぇわ……」
妾の意味がわかってないのか、俺の肘の辺りを掴んだままスノウはぼーっとしていた。
誘拐騒ぎになっていたらしく、三条家の人間は『下手人を捕縛する!!』と息巻いていたが、どう足掻いてもアルスハリヤを捕らえることは不可能だろう。
恐ろしかったのは、俺が連れ帰ってきたスノウの身元を確認もせずに受け入れたことだが……三条家の闇を挙げればキリがなく、お坊ちゃまが気に入った女の子ひとりをお持ち帰りすることは大したことではないらしい。
「ところで」
俺は、お嬢の隣で舌を突き出している大型犬を指差す。
「その犬、なに?」
「よくわかりませんがもらいましたわ!! 名を『オフィリーヌ』!! わたくしの名を分け与えられた忠犬になること間違いなし!! ですことよぉ!!」
そのネーミング、9歳児のものだと考えたら納得いくわ。
「よう、面汚し」
ハッハッハッハッと息を荒げながら、モップみたいな巻き毛を持った犬は俺のことを見上げる。
「この間は、世話になったな」
オフィリーヌは、小首を傾げる。
予てからの計画だったらしく、三条燈色はマージライン家に預けられることになり、なし崩し的にスノウも俺と旅路を共にすることとなった。
こうして、俺たち一同は、トーキョーからカルイザワを目指す。
「…………」
図らずも、俺は、将来の婚約者と偽婚約者に挟まれ、息魔の魔導書の核の所在を確認せざるを得なくなり――
「……核がどこにもない」
マージライン家の別荘で、その結論に至った。




