そもそも、百合IQってなんだよ
「こんなことしてる暇はあるのか?」
圧巻の走りで三条家の連中を撒いた魔人タクシーの運転手は、ニヤニヤとしながら問いかけてくる。
「暇があるかないかは関係ねぇだろ、タコが。俺は、助けを求める百合は見捨てない。きっと、この子は、将来、愛する女の子と結ばれ、式の最中に撮ったツーショットを俺に送ってくれる……やべ、涙、出てきた……結婚おめでとう……」
「…………」
俺の膝の上で、縮こまっている彼女は息を殺していた。
「どした? 大丈夫? なんか飲むか?」
「……く、くるま」
「車?」
申し訳無さそうに、小さな少女は顔を歪める。
「よごして……ごめんなさい……おぼっちゃん……く、くさくて……ごめんなさい……ごめいわく……ごめんなさい……」
「あぁ、気にすんな。この車、廃車確定だから」
「言っておくが、将来的に同じ車種が廃車になるだけで、このAventadorは僕のポケットマネーで購入した自家用車だ。
つまり、汚すな、臭わせるな、ご迷惑かけるな」
「…………」
「笑顔で唾を吐くな、クソガキが」
アルスハリヤにぶん殴られながら、俺はシートに唾液を垂らす作業を完遂する。
「ところでさ」
「……はい」
「なんで、俺のこと知ってたの? もしかして、誰かに俺のことを教えてもらったんじゃないの? 指、指してみ? 俺のことを教えてくれたヤツを指で指してみ?」
少女はアルスハリヤを指し、俺はアルスハリヤを殴る。
「バカな……な、なぜ、バレたんだ……」
「お前、俺がホテルから出てきた瞬間に急発進して逃げやがっただろうが。やましさが、全身からコレでもかと放たれてんだよ。テメェ、なにが『こんなことしてる暇はあるのか?』だ。テメェの仕込みじゃねぇか、魔人の手仕込みじゃねぇか」
「ピンっ、ときたんだよ」
運転しながら、アルスハリヤは指を立てる。
「この子は、未来、君を追い詰――幸せにする逸材へと成長するとね。然らば、しっかりと水を与えて、伸び伸びと育って欲しいと願うのが魔人心というものさ。
やれやれ、僕ほど、相方に優しい魔人は存在しないだろうね」
「残念だが、お前の計画は破綻するね。断言する。この子は、絶対に、俺の思い描く通りにゆりんゆりんな女性に成長する。確信している。もし、違ってたら、百合IQが0であることを公言してやってもいい」
「僕の眼から視ると、自分の腹に淡々と時限爆弾を巻き付けてるようにしか視えない」
少女の案内に従って、Aventadorは延々と曲がりくねった道を行き、寂れた集合住宅へと到着した。
当然のようにランボルギーニを路駐したアルスハリヤは電話をかけ、真っ黒な尾をゆらめかせながらシルフィエルが現れる。
アルスハリヤ教の三幹部のひとり、なんの因果か、俺の下で働くことになる彼女は胸に手を当てて深々とお辞儀をした。
「お呼びでしょうか、アルスハリヤ様」
「僕の愛車を頼む。
こういうムカつく面をしたクソガキの魔の手から護ってくれ」
「尖った石で俺のサインを入れてやるぜぇえええええええええええええええええええええええええええええええええええええ!! うぉおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおお!!」
シルフィエルに抱っこされた俺は、恭しい手付きで路上に下ろされ、頭を撫でられてから解放される。
「万事、このシルフィエルにお任せくださいませ」
意外と子ども好きなのか。
視たことのない笑顔で手を振るシルフィエルに送り出され、俺たちは少女の後ろを付いていく。
「こ、こちらです……」
カンカンと。
音を鳴らしながら、俺たちは外階段を上げる。
少女の案内に従って3階にまで上がっていった俺は、薄汚れたコンクリの上を歩き、ハサミムシやらとすれ違いながら『302』号室の前にまで辿り着いた。
「…………」
「どうした? 百合でも催したか?」
「百合を尿意扱いするな、耳の穴にハリガネムシを突入させるぞ。
いや、妙な臭いがするなと思って」
アルスハリヤは、口端を曲げる。
「死臭だな」
俺と少女を押しのけて、アルスハリヤは前に出る。
『302』号室のドアノブに手をかけたアルスハリヤは、回らないことを確認し――風――扉の中心が陥没し、内側へと吹っ飛んでいった。
我が物顔で鉄扉を蹴破ったアルスハリヤは、土足のままで家の中へと踏み込み、俺はその背中に付いていく。
ずんずんと。
最初から、目処が立っていると言わんばかりに、アルスハリヤは臭いの出処へと向かっていき――強烈な異臭――折りたたみ式の磨りガラス製扉を開き、中を覗き込んだ魔人は鼻で笑う。
「残念ながら、君の出番はなさそうだぞ」
俺は、背後から風呂の中を覗き込む。
でろでろとした黒い塊……それが人の形を模していることに気づき、凄まじい腐敗臭に吐き気がこみ上げてくる。
「あ、あの」
女の子は、期待するかのように俺を見上げる。
「お、おかあさん……たすかりますか……?」
「……アルスハリヤ」
「おいおい、無茶を言うなよ。
スーパーで売ってるブロック肉を生き返らせろと言われた方がまだマシだぞ」
少女に付着している黒い染み。
それが、彼女が『お母さん』と呼んでいるモノの一片だと気づき、脱いだ上着でソレを丹念に拭い取ってやる。
「外傷はないが……ご丁寧に凶器が転がってる」
アルスハリヤは、中身が腐っている酒瓶を揺らす。
「風呂の中で酒を飲み、急激に血圧が下がったことで失神したんだろう。溺死だ。現在は夏場だからな。肉が腐るのは早い。
その子が事態を理解しようとしている間に腐ってしまったんだろうな。『他人に助けを求めるな』とでも躾けられていたのか……僕に拾われて正解だ」
「あ、あの……」
一生懸命に、少女は俺の袖を引く。
「びょういんにつれていけば、おかあさん、なおりますか……?」
「いや」
微笑んで、俺は彼女の手を握る。
「お母さんは、天国に行ったんだ。だから、治らない。でも、大丈夫だ。俺がいる。なにも心配しなくていい」
「くくっ……愛娘を放っておいて、風呂で酒を飲んでるような母親が、果たして無事に天国に着けたかどうかは疑問だね」
「黙ってろ。
お父さんは? どこにいる?」
「じごくにいるって……おかあさんが……どこだかわからないから……あったことない……です……」
「アッハッハ、お似合いの夫婦だな。運命の赤い糸で結ばれて、地獄でまさかの再会だ」
「黙ってろ、アルスハリヤッ!!」
アルスハリヤは嗤いながら、ご機嫌で風呂場から出て行く。
「…………」
警察に任せるのが最適解だ。
どう取り繕ってもそうだろうが……なぜだろうか……そうすれば、この子とは二度と会えなくなる気がする……誰かと似てるからだ……そして、自分の中で、そうなった場合の彼女の運命を……理解している……。
「おかあさん……いなくなったら……」
爪先を凝視した少女は、涙ひとつ流すことなくささやく。
「わたし……ひとりぼっち……ですか……ずっと……ひとり……じごくにいかないと……あえませんか……」
その顔を視た瞬間――
「一緒に行こう」
笑いながら、俺は、彼女の両手を握っていた。
「俺と家族になろう。ずっと一緒だ。君が君の大切な女性と巡り合うまでの間、ありとあらゆる災禍から俺が護ってやる。
だから、な? 俺と家族になろうぜ?」
「…………」
少女は。
じっと、俺を見つめてからこくりと頷いた。
「話はついたか?」
ひょっこりと、アルスハリヤは顔を覗かせる。
「あぁ。
この子の汚れを落としてやりたいんだが、ネカフェかスーパー銭湯にでも寄ってくれないか?」
「なに言ってる、シャワーなら幾らでもあるだろ」
アルスハリヤに連れられた俺たちは、鍵の開いていた『303号室』に入って、緊急事態につき無断でシャワーを借りる。
「アルスハリヤ、洗ってやってくれ」
「悪いが」
ニヤニヤとしながら、魔人は壁に背を預ける。
「特等席を譲るつもりはない」
「……しねや」
仕方なく、俺はズボンの裾をまくってから、裸になった少女を座らせシャワーをかけていく。
「どう? 熱くない?」
「……はい」
徐々に。
彼女を覆っていた黒い汚れが落ちていき――真っ黒だった髪が白へと変わり――背筋に凄まじい怖気が走った。
どくん、どくんと。
心臓が跳ね回って、口がからからに乾いていった。
どこかで。
俺は、どこかで、この子を視たことがある。
「あ、あのさ」
ひりつくような緊張感の中で、俺は彼女に問いかける。
「き、君、名前はなんて言――」
「スノウです」
「ぁああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああっ!!」
思い切り後ろに逃げた俺は、磨りガラスに全身を叩きつけ、きゅーっと音を立てて手を擦りつけながら倒れる。
「俺の百合IQ、0だぁああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああッ!!」
甲斐甲斐しく、己を捨ててまで俺に尽くす白髪メイド。
その災禍を招いた原因が、己自身にあると判明し、俺は涙を流しながら絶叫して――爆笑しているアルスハリヤの顔面に踵をめり込ませた。




