婚約お嬢
隣同士で、お誕生日席に座らされて。
何時になく緊張しているお嬢は、隣でもじもじとしており、俺は高そうな食い物を片っ端から胃にブチ込む。
飽くまでも顔合わせということか、三条家とマージライン家の面々は和やかに歓談を交わしている。
後はよしなにと言わんばかりに、俺とお嬢は放置されており、何時もは喧しいお嬢が黙り込んでいるので特に会話はなかった。
面々、敢えて、俺の性別については言及していないようだ。
暗黙の了解というか、不文律のような空気を感じる。
少なくとも、両家は俺が男であることを知っているようだったが、当のお嬢本人には知らされていないらしい。
なぜ、マージライン家は男である俺を婚約者として受け入れようとしているのか……それも、ロザリーの命日に……理由はわからないが、婚約破棄された途端、この時代での手がかりを失う俺としては有り難い話だ。
「……ひ、ヒロさん」
「なに? このローストビーフ食ったら? 美味いよ? あと、よくわかんねぇジュレが載ってるプリンもイケる」
「あ、貴女、わたくしが婚約者であることを知ってらしたの?」
「まぁね」
一口サイズの匙に盛られた海鮮類を食べながら俺は答える。
「ひ、ひどいですわ……だから、あのお墓にいたんですのね……顔合わせの前にわたくしにあいに来るほどに恋い焦がれてるなんて……」
「どっから湧いてくるんだ、その自信満々たっぷり自画自賛オフィーリアは……お嬢大盛り、誰も頼んだ覚えはねぇぞ……最高だな……」
「ヒロさん」
ずいっと、迫ってきたお嬢は、香しい香りをばらまきながらささやく。
「貴女に、もう一度、らゔちゃんすを差し上げますわ」
「いや、お前、早口言葉で初手敗北かましただろ。なに偉そうに言ってんだ、淑女流記憶捏造術やめろ」
「淑女に二言は御座います!!」
「勝てねぇ……」
「わたくし、生まれてこの方、恋というものを存じ上げません。ですので、無類の栄誉としまして、貴女にわたくしの胸を高鳴らせる権利を差し上げますわ。おほほ、えんりょなさらないで」
オフィーリアは、微笑む。
「ヒロさん、わたくしに恋を教えてください」
目を見開いた俺は、手を止めて……席を立つ。
「ど、どうしましたの? わ、わたくしに恋を教えるということは、無類の栄誉、国歌斉唱、ギネスブック登録ですのよ?」
「いや、ちょっと、風を浴びてくる……」
「では、わたくしも参りますわ!!」
その空気の読めなさ、お嬢だから許しちゃう。アルスハリヤだったら○してる。
ふんすふんすと、気合の入ったお嬢はドレスの裾を持って追いかけてきて、ため息を吐いた俺はバルコニーを目指した。
立食で歓談している両家の間を潜り抜け、バルコニーを目指す途中で……人気のない隅に位置する箇所、大扉から声が漏れて聞こえてくる。
「それで、上手くいったのか」
「あぁ、間違いなく。この後、例年の如く受け渡しが行われる」
素早く。
身を伏せた俺は扉に耳を当てて、お嬢はジュレの載ったプリンを食べながら物珍しそうに俺を眺める。
「あの子なのか? 姉の方ではなくて?」
「あぁ、姉はアレでもまだ効いた方だ。妹は特異体質だから関係がない」
「ヒロさん、なにしてますの? 風が呼んでますことよ?」
「可哀想になぁ。少し罪悪感を覚えるよ」
「ヒロさん、わたくし、プリンぱくぱくですわ? 視なくてよろしいの?」
「仕方ない、我々にも崇高なる使命がある。そのためには、多少の犠牲は不可欠だ」
「ぱくぱくですことよ? ぱくぱくですことよ? 視なくてよろしいの? ぱくぱくですことよ? 視ておいた方がよろしくてよ?」
会話が終わってから、足音が近づいてくる。
俺は、慌ててお嬢の手を引いてバルコニーに飛び出し、カーテンの裏側に隠れてぱくぱくお嬢を見つめる。
彼女は、ぱくぱくしながら頬を染める。
「わ、わたくしのぱくぱく……独占されてしまいましたわ……ぱくぱく独占禁止法違反で逮捕されちゃいます……」
三条家とマージライン家の若い二人組が、扉から出てきて、俺は携帯のカメラを起動してその顔を撮影する。
「…………」
あの二人組の話、なにやらきな臭い。
内容としては、『プリンぱくぱくですことよ』に集約されるだろうが……って、違うわ、クソがァ!! ちゃんと思い出せ、ボケナス!! 華麗なるマージライン家のインパクトに弄ばれるな!!
「オフィーリア」
「ぱくぱくですわ!!」
「う、うん、それはわかったから。
さっき、扉から出て行った二人組、見覚えがあったりする? それと、今日、とても大事なものを受け取るって言ってたよね?」
スプーンをあむあむしながら、お嬢は小首を傾げる。
「…………?」
「う、うん、わかった。ぱ、ぱくぱく出来て偉いね」
「ですことよ!!」
喋りは達者だが、まだ9歳児だしな……家族や親戚でもなければ、大半の大人になんて注意がいったりしないだろうし顔だって憶えきれないだろう。
「ヒロさんヒロさん!! わたくしたちは、この後、カルイザワの別荘に向かいますことよ!! わたくし、ヒロさんとたくさん遊びたいですわ!!」
急にトコトコ歩き出し、すっ転んだオフィーリアを抱き留め、踏んだ裾の靴跡を払ってやって――
「……オフィーリア」
お嬢は呼ばれて、手招きされる。
「お父様ッ!!」
例のおフランスなカツラを被っていないお嬢の父親は、美しいドレス姿で綺麗な金髪を腰まで流し、豪華絢爛な美女として愛娘を受け止める。
「…………」
「そうですの!! お母様は、また海外ですのね!! わたくし、承知いたしましたわ!! ヒロさん、ヒロさん!!」
俺も呼ばれて、彼女の元にまで歩いて行く。
「…………」
背が高い。
180cmはあるんじゃなかろうか……例のカツラのインパクトのせいで、その背の高さにまで眼はいかなかったが、女性にしては珍しい長身だった。
「…………」
「…………」
なんか言えよ、圧が凄いんだよ。子供、泣くぞ。
「ヒロさん、紹介いたしますわ!!
わたくし、オフィーリア・フォン・マージラインですわ!!」
「父を差し置いての一番乗り自己紹介……フォワードの素質が備わりすぎている……世界が誇るエースストライカーか……?」
「以上ですわ!!」
「最高過ぎる……生まれてきて良かった……」
おいおいと俺は涙を流し、放置されていたお嬢の父はすっと手を出してくる。
その手を握った瞬間、直感した――この女性は、娘のためならば何でもする。
「…………」
「え、なんて?」
「わたくしがつーやくしますわ!! こう視えましても、わたくし、日本語、お嬢様語、お父様語のトライリンガルですことよ!! オーホッホッホ!!」
「WAO!! GLOBAL!! OJO SHIKA KATAN!!」
「ちなみに、さっき、お父様がなんて言ったのかは聞き取れませんでしたわ!!」
「話が進まねぇ、最高だ……神よ、生きとし生けるお嬢に感謝いたします……」
号泣する俺の前で、お嬢父はお嬢へと耳打ちする。
「わたくし、大事なモノを受け取ってきますわ!! ヒロさんは、先にお車に乗っていてくださいまし!!」
「了解ですことよ!!」
三条家の優しいおばさんに引率されて、ノリノリだった俺は、正常な空間の空気を吸い込むことで正気に戻る。
「…………」
「ひ、ヒイロさん? 大丈夫? 具合が悪いの?」
壁に手をついて、項垂れていた俺は、脳に感染していた『OJO』を排出するために深呼吸を繰り返す。
「…………」
――この後、例年の如く受け渡しが行われる
きな臭くはあるが、あの会場でなにかすることは出来ない。お嬢は安全だ。三条家とマージライン家の護衛がゴロゴロしている中で、なにかやらかすとは思えない。
ただ、やはり、気にかかる……調べておくか。
ホテルの外に出る。
お行儀悪くハンドルに両脚を放り出していた魔人は、俺の顔を視るなり急発進して消えた。
「やぁね、この辺りは運転が荒くて。
さぁ、ヒイロさん。この車に乗っ――」
「た、たすけてください……」
人影。
高級リムジンの裏側から、小さな人影が現れる。
「うっ……」
俺の周囲を囲っていた三条家の連中は、顔をしかめて鼻と口を覆った。
凄まじい腐敗臭……謎の液体で真っ黒に濡れたシャツとスカートを着た小さな少女は、黒い髪を揺らしながら涙を滲ませる。
「お、おたすけください……さ、さんじょうけのおぼっちゃん……お、おかあさんを……たすけてください……おねがいします……おねがいします……」
「も、物乞いか……?」
「ほ、ホテルのガードマンはなにをしているの!? こ、この子を追い払いなさい!! ヒイロさんになにかあったらどうするつもり!?」
「お、おたすけください……」
頼りない足取りで、よろよろと、彼女は近づいてきて――
「うわっ!!」
ほぼ反射的に、三条家の侍衛は腕を振り払い、弾き飛ばされた彼女はどうっと地面に倒れる。
「あ、貴女、子供相手になにをしてるの!?」
「い、いえ、急に近づかれたものですから……しかし、こういう手合いは、何発か殴らないと言うことを聞きませんよ……野良犬と同じですから……」
そう言って、侍衛は腕を振り上げて――身を屈めた俺は、その間に身を滑り込ませて――彼女の代わりに、頬に打擲を受ける。
「あ……」
ぷるぷると、足を震わせていた小さな少女は俺を見つめる。
「どこだ?」
「え……あ、あの……」
「あんたのお母さんはどこにいる? 案内しろ、助けてやる」
俺は、彼女を立たせて――
「ひ、ヒイロさん!! その子から離れなさい!! なにをぼさっとしてるの!? 引き離しなさい!!」
彼女の手を引いて駆け出す。
道路へと飛び出した瞬間、凄まじい勢いで横滑りしてきたランボルギーニの扉が上へと開いた。
アロハシャツ姿の魔人が、片手でハンドルを回しながら――親指と小指を立てて、ふりふりと振った。
「あろは~、魔人タクシーのご登場だ」
俺は、少女を抱えて頭から助手席に突っ込んで叫ぶ。
「行け行け行けッ!! 追いかけてくるぞッ!!」
「メーター回して良いのか?」
「エンジン回せッ!!」
アルスハリヤは、アクセルを踏み込み――車体が唸って、急発進した。




