入場、南国入り
一台のランボルギーニが、高級ホテルの前に止まって――下りようとした俺は、はたと動きを止めた。
「……俺、この格好で大丈夫かな?」
「まぁ、婚約者との初対面にしてはカジュアルかもしれないな」
俺の格好を上から下まで確認した後、アルスハリヤはブランド名が書かれた袋を投げつけてくる。
「君の相棒を舐めるなよ。この程度のことは予測済みだ。
どこぞの自称百合IQ180とは違う」
「さすがじゃねぇか、アルスハリヤ先生。その自称百合IQ180のアホに、二度と、自称でも百合IQ180を騙るなって言っておいてくれ」
「二度と、自称でも百合IQ180を騙るなッ!!」
急になに叫んでんだ、コイツ……? こわ……。
さすがに、堂々と魔人が会場入りするわけにもいかないので、アルスハリヤとはホテル前で別れる。
連絡用に使い捨ての飛ばし携帯を受け取った俺は、三条グループの支配下にあるホテル内に入って、顔パスで会場まで案内されエレベーターに乗り込む。
如何にも成金趣味な金色の扉が閉まり、どこもかしこも艶めいているエレベーター内で、電光表示が移り変わっていった。
最上階について、俺は、会場入口を通り過ぎてトイレに駆け込む。
事前にスーツに着替えておくことにして、アルスハリヤから受け取った袋を開き――
「…………」
ド派手なアロハシャツとショートパンツが現れた。
「…………」
『¥3150』に斜め線が引かれて、『¥1575』とマジックで書かれている値札を確認し、俺は飛ばし携帯を取り出して番号を入力した。
『はーい、こちら、子供恋愛相談センター総括のわーだよー! こんにちはー、ヒーロくーん! 今日の相談は、なんな――』
電話を切る。
番号を間違えていると思って掛け直す。
『はーい、こちら、子供恋愛相談センター総括のわーだよー! こんにちはー、ヒーくーん! 今日の相談は、なんなのかなー? 好きな女の子と全マシを分け合って食べる方法~? というか、なんで、電話切っちゃったんですか~? ひどくない~?』
「……アルスハリヤを出せ」
『は~い!
ぷっ、ぷっ、ぷっ、ぷっ……』
謎の保留音が流れ出し、ブツッと音がした。
『どうした、ヒーロくん。もう寂しくなったのか?』
「子供恋愛相談センターに繋がったんですが……しかも、電話口から二郎系ラーメンの匂いがした」
『最近の飛ばし携帯は、口臭まで伝えるのか。
電話口、4DXだな』
「というか、お前、俺に渡す服間違えてんだろ。とっとと、バリッと糊の利いた黒スーツを届けに来い。ダッシュな」
『いや、特に間違えてないが』
俺は、再度、子供サイズのアロハシャツを確認する。
「…………すぞ」
『大丈夫だ、安心しろ』
さすがに冗談かと、俺は安堵の息を吐く。
『僕とオソロだ』
「アロハァアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアッ!!」
思い切り、俺は、携帯を壁に叩きつける。
バッテリーが外れて、電話が切れ、息を荒げた俺は目元を押さえた。
「……何時か、絶対に殺す」
落ちた携帯を拾い上げてから、バッテリーを嵌め直し、問題なく起動出来ることを確かめる。
「…………」
俺は、いそいそとアロハシャツとショートパンツに着替えた。
トイレから出た瞬間、案内係の女性が唖然とし、会場入りした途端にあんぐりと関係者各位が大口を開ける。
「あろは~」
親指と小指を立てた俺は、ハングルースで挨拶する。
異様な雰囲気を纏った一団。
三条家の家紋が入った着物を着た連中は、愕然として俺を凝視し、その中のひとりがツカツカと歩み寄ってくる。
「ひ、ヒイロさん、その格好はなんですか?」
「ごめんなさい、最近、暑いので南国と間違えました」
「す、直ぐに着物――い、いえ、間に合わないわ!! 近場でこの子用のスーツを買ってきなさい!! 早く!!
ヒイロさん、こっちに来なさい!!」
俺の予想した通り、あわあわと大慌てした三条家のおばさんは、従者にスーツを買いに行かせて俺を控室に引っ張り込む。
「…………」
視線。
着物は着用せずに、黒色の高級スーツを身に着けた一団が、ワイングラスを揺らしながら連れて行かれる俺を見学していた。
「…………」
その中心で。
片手をポケットに突っ込み、口端を曲げている女性を見つける。
長身の彼女は、ひらひらと手を振ってきて、カラーコンタクトを入れた眼で俺を見守った。
眼と眼が合って――俺の視界から彼女が消える。
幸いなことに、まだ、予定時刻までは余裕があったらしい。
マージライン家の面々は会場入りしておらず、たまたま、業務でホテル内にいた一部の三条家の人間しかいなかったこともあり、俺には悠々とスーツに着替える時間が与えられた。
子供用のスーツに身を包み、髪に櫛を入れられた俺は会場に戻る。
「こんにちは」
背後。
声をかけられて、俺は振り向く。
「坊っちゃん」
長身、眼の下には隈、病的なまでに白い肌。
俺の前に立った長躯をもつ彼女は、スーツを着崩しており、左手の甲に魔法陣、指にはルーン文字のタトゥーを入れていた。三白眼の瞳はカラーコンタクトで色づいており、緋色の瞳がこちらを見下ろしている。
「霧雨!!」
庇うように。
先程のおばさんは、俺のことを抱き込んで隠そうとする。
「ヒイロさんに近づかないでと、何度も言ったでしょう!? あ、貴女、御当主様のお言葉すらも無視するつもり!?」
「酷いなぁ。ぼかぁ、ちょっくら声を掛けただけですよ。なにせ、ぼかぁ、くくっ、子供が大好きなんで」
滑舌が悪い。
たぶん、『ぼくは』と発音したいのだろうが、『ぼかぁ』と聞こえてくる。
一着、70万は下らないキートンのスーツを着た彼女は、上着のポケットに手を突っ込んでゼリービーンズを取り出す。
袋から取り出した様子はない。恐らく、直に入れている。
特に気にした様子もなく、顔を天井に向けた彼女は、掴み上げたゼリービーンズをぱらぱらと落として頬張った。それらを噛み砕きながら、もう片方のポケットに手を入れて、飴玉を取り出しそれも噛み砕く。
「坊っちゃん」
ニコリと笑ってしゃがみ込み、両手をポケットに突っ込んだ霧雨は、握り込んだ拳を出してから俺の前へと突きつける。
「どっちだぁ~?」
「霧雨ッ!!」
聞く耳もたず。
満面の笑みを浮かべた彼女は、握った拳を見せつけてくる。
「…………」
俺は、ふたつの拳を見つめて――
「どっちにも入ってない」
ゆっくりと、彼女は眼を見開いた。
「だろ?」
緩慢な動作で、拳が裏返って開く。
そこには、ゼリービーンズも飴玉も入っておらず、緋色の瞳が俺のことをじっと覗き込んでいた。
「お前」
俺は、愛らしく笑う。
「子供、嫌いだろ?」
「くくっ……」
霧雨は立ち上がり、指に刻まれたルーン文字の間から俺を睨めつける。
「坊っちゃん……至極残念なことに、あんたは生き残っちまいそうですねぇ……ぼかぁ、善人だから忠告しますが……とっとと、くたばっちまった方がマシですよ……そうでもねぇと、ぼかぁ、子供が大好きだから……」
座り込んで。
俺と眼を合わせた彼女は、小首を傾げてささやく。
「ずっと、一緒に居たくなっちまう……」
「誰かッ!! 誰か、来てッ!! コイツを会場の外にまで連れて行って頂戴!! お相手が来る前に!!」
「では、坊っちゃん」
堂々と煙草に火を点けた霧雨は、それを吹かしながら出入り口まで歩いて行く。
「また、いずれ、お逢いしましょう」
着物姿の三条家の連中を押しのけながら、白煙を残して彼女は出て行った。
「大丈夫ですよ、ヒイロさん……男とは言え、こんな幼い子にあんな脅しを……華扇さんがいれば、まだ言うことを聞くのに……大丈夫ですからね……」
俺は、頭を撫でられながら閉ざされた扉を見つめる。
三条霧雨。
一癖も二癖もあるキャラクターである彼女とは、未来、三条家を潰す時に再会することになるだろう。ただ、ヤツは現在の問題とは関係がない。ココでヤツと会うのは予想外だったが、頭を切り替えて対応す――
「どぅぁああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああっ!!」
大声。
会場が粉々に砕け散らんばかりの叫声を上げた女の子は、綺麗な蒼いドレスを着て金髪を縦ロールにし、わなわなと震える指を俺に突きつけていた。
「ひ、ヒロさん!? あ、貴女!?」
彼女は、思い切り吸い込んでから叫ぶ。
「わたくしの婚約者でしたのぉおおおおおおおおおおおおおおおおおおお――げほぉ!? がはっ!! き、気管に!! 気管につまりましたわ!! お、おたすけ!!」
大騒ぎになった会場を横目に、俺は、片手で顔を覆って静かに涙を流す。
「…………」
お嬢……好きだ……。




