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謎は解けた

 目が霞む。


 剣戟の音が聞こえる。


 倒れ伏した俺は、だらしなく開いた口に入り込む泥水を受け入れ続けた。


「…………」


 立てない。


 三条緋路の肉体は、とっくの昔に限界を超えている。


 口を閉じる力すら残されていない。ただただ、己の命運を受け入れろと言わんばかりに、濁流と化した泥水が俺の半身を沈めてゆく。


「…………」


 徐々に、視界が狭まってくる。


 やべぇ……気を失う……目を閉じたい……眠りたい……楽になりたい……ただ、この温かな泥中で休みたい……。


 目が。


 目が、閉じる。


 目が、ゆっくりと閉じ――人影。


「…………」


 閉じかけていた両眼が、ひとつの人影を捉える。


 鹿撃ち帽にインバネスコート。


 全身を真っ赤に染め上げた名探偵は、ねじれている右足を引きずりながら、ふらふらと七椿の下を目指していた。


「…………」


 ルミナティ・レーン・リーデヴェルトは、傷だらけの全身に鞭を叩きながら、命を削って歩き続けている。


 彼女の側には、アルスハリヤの胴体が転がっていた。俺が蹴り上げた生首と接続することで一時的に復活し、致命的な損傷からルミナティを救ったのだと知った。


 だがしかし、アルスハリヤの肉体の損傷もまた致命的であり、地面に転がっているその胴体はぴくりとも動かず生首の目も閉じられたままだ。


 雨中を掻き回す剣嵐。


 銀色の蒼刀が雨粒を切り裂き、凄まじい速度で跳び回るエスティルパメントに食らいついていた。朱と銀に染まったアステミルは、咆哮を上げながらアレだけ恐れていた師へと挑みかかっている。


 息魔の魔導書の所有権を移すには、移行先の対象に手で触れながら、現在いま主人マスターであるルミナティが設定した解句ワードを唱えなければならない。


 だからこそ。


 ルミナティ・レーン・リーデヴェルトは、真っ赤な線を地面に残しながら……己の命を厭わずに歩き続けている。


「…………」


 大切なモノがあるんだと思った。


 彼女には、決して、譲れない大切なモノが……あるんだと知った。


 あまりの痛みに涙を流しながら、何度も倒れながら、血と泥に塗れたルミナティは歯を食いしばって進み続ける。


「…………」


 俺は。


 俺は、なにをしてる。


 俺は、こんなところでなにをしてる。


 たったひとりで。


 たったひとりで、血反吐を吐きながら、進み続ける彼女を眺めながら……なにをしてる。


 立つんだろ。


 立たなきゃいけないんだろ。


 あの女性ひとと同じように――大切なモノがあるんだろッ!?


「……たて」


 泥水を吐き出しながら、無様に血反吐を垂れ流し。


 泥中で藻掻きながら、俺は、必死で痙攣する手足を動かした。


「たて……たてよ……」


 笑顔が浮かぶ。


 『素敵な恋になりますように』と、願いをかけた少女の笑顔が。


 あの子は、俺のことを好きだと言った。


 病魔で蝕まれた己の命に『価値』を見いだせなかった女の子は、その残り短い時間をたったひとりの男のために費やした。


 ――ヒロさん


 あの子は、俺を信じている。


 三条緋路を――信じている。


「たてよ……さんじょう……ひろ……たてるんだろ……護るって……誓ったんじゃねぇのか……あの子のために……命を燃やしたんじゃねぇのか……たったひとりで……屍体の山の上で……自分テメェの命を燃やしたんじゃねぇのかよ……!!」


 きっと、あの子が好きになった男は――


「立てぇえええええええええええええええええええええええええええええええええええええええええええええええええええええ!! 三条緋路ぉおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおお!!」


 立ち上がる。


 がくがくと震える膝を拳で殴りつけ、前へと倒れるように俺は走り出す。


 瀕死の七椿が呼び寄せた怪異が、覚束ない足で進むルミナティへと迫り――俺は、折れた無銘刀をその脳天に突き刺した。


 全力で、その脳みそを撹拌し、あまりの激痛に悲鳴を上げながらも食らいつく。


「行け、ルミナティッ!! 行けぇッ!!」


 俺は、右肩に突き刺さった怪異の爪をへし折ってトドメを刺しながら叫ぶ。


「きっと、俺たちの道に陽は差し込む!! 絶対に!! 俺たちの!! 俺たちの想いが勝る!! あんたの抱えた想いを!! あんたの想った願いを!! あんたの願った奇跡を!!」


 俺は――絶叫する。


「あんたの選んだ経路ルールを辿れッ!!」

「せんせい……!!」


 泣きながら、ルミナティは鹿撃ち帽を放り捨てる。


「せんせい……せんせい……せんせぇ……!!」


 インバネスコートを脱ぎ捨てた彼女は、ルミナティ・レーン・リーデヴェルトとして進み続ける。


「やくそくを……やくそくを果たしに来ましたよ……あなたとのやくそくを……ロザリーを……あなたの姪を……あなたが願った命を……」


 嗚咽を漏らしながら、ルミナティは歩く。


「私が……繋ぐから……だから……せんせい……視てて……私……私……」


 彼女は、笑う。


「ひとりで……走ってますよ……」


 長い長い時を経て。


 ルミナティは、ついに七椿の下へと辿り着き――凄まじい衝撃と共に棺桶が回収され、エスティルパメントは顔を歪める。


小僧ガキども、なにをしようとしてる……!?」


 襲いかかろうとしたエスティルパメントの前へと、銀色の輝きが割り込んで、数多もの斬撃を加えて押し留める。


「アステミル、てめぇ!?」

「申し訳ないが、我が師よ」


 息を荒げながら、血に塗れたアステミルは口端を曲げる。


「前払いで、ぜんざいを食べてしまいましたので」


 対となったエルフは、猛烈な勢いで切り結ぶ。


 棺桶で縫い付けられていた七椿は、エスティルパメントから解放されて勢いよく起立した。


 魔人は、ルミナティへと手のひらを向けて――


「ァアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアッ!!」


 間に入った俺の脇腹に穴がき、血飛沫と共に刀を振り下ろす。


 受け止められて――紫電が散り、俺は、魔人と鍔迫り合う。


「なぜ、動ける!? 虫螻むしけらが!? なぜ生きようとする!? その無価値な命を!? なぜ、他者のために費やそうとするのじゃ!? えぇ!? 狂っておるのか!? その薄汚い命で!! 妾をけがそうと言うのか!?」

「テメェには視えねぇのか……!!」


 傷という傷から血を流しながら、俺は、七椿へと刃を押し込む。


「この輝きが……その曇った眼には視えねぇのか……!! 俺たちは……生きている……!! 必死に必死に……息を吸って吐いて……生きてるんだよ……!! そのすべては……平等だ……輝いている……この曇天の下で輝いている……!! 陽は差すんだよ……必死に生きる者には……その命には……陽が差して……!!」


 喉から――俺は、己の矜持きょうじを叫んだ。


「輝くんだよッ!!」

「阿呆がぁああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああ!!」


 七椿の口が開いて。


 そこから光線がほとばしり――俺は、横から押されて――その光線は、割り込んできたルミナティの腹を斬り裂き、通り過ぎ、ぶ厚い雲に一点の穴を開けた。


 ぐらりと、ルミナティの身体が傾いて。


 その全身は、後方へと倒れようとし――両脚で踏みとどまる。


「私は……」


 口端から血を垂れ流しながら。


「私は……現在いま……どうしようもなく……」


 一筋の涙を流したルミナティは、喘ぐようにしてささやく。


「呼吸している……」


 彼女の右掌が、七椿の胸の中心に収まる。


 魔人は、初めて、動揺と恐怖で全身を震わせた。


 割れた雲の合間から太陽が覗き、真っ直ぐに柔らかな日差しが降り注いで、地上の一点をした。


 そこには、花があった。


 きらきらと。


 雨粒を花弁に残した花は光り輝き、精一杯に生を謳歌し、戦乱の最中で咲き誇りながら命を歌った。


 その花を視て――ルミナティは、顔を歪める。


「枯れてなかった……花が……花が咲いた……命が……命が……輝いている……せんせい……ねぇ、せんせい……枯れてなんてなかったですよ……ココで……ココで綺麗に咲いている……わたしたちのゆめは……あの事務所に置いてきてなんてなかった……ずっと……ずっと、ココにった……」


 ルミナティは、微笑む。


 主人の意思を読み取った息魔の魔導書は、鹿撃ち帽とインバネスコートの形を伴い――ルミナティ・レーン・リーデヴェルトを包み込む。


 魔人の胸に手を押し当てて。


 名探偵とその助手は、ふたりで願ったワードをささやいた。


「『謎は解けた』」


 光がほとばしる。


 七椿の絶叫が辺り一面に散らばって、その全身がほどけていき、紐状の蒼光となって天高く打ち上がっていく。


 カルイザワの戦場で。


 誰もが天を見上げて、その行方を見守る。


 その光は、天高く上っていき――弾け飛んだ。


 分厚い曇天は、その中心から割れ落ちて吹き飛び、突風と化して散り散りに失せていった。天に上った太陽は、雨上がりの空を映して、死屍累々の戦場に陽射しが差し込む。


 まるで、流れ星のように。


 息魔の魔導書の分身体は、戦場へと降り注いでいき、暖かな陽光に包まれた俺たちの下へと落ちてくる。


 ルミナティは、魔導書の核を――その首飾りを抱いて目を閉じる。


 その姿を見つめた俺は、微笑んで陽を受け入れた。

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― 新着の感想 ―
[良い点] めちゃくちゃいい作品を書いてくださってありがとうございます。。。
[良い点] まだまだやることは残ってますが、とりあえず悲願成就といったところですね ラスボスが残ってますがどうなるか [一言] アルスハリヤ先生! 寝てないでヨルンとルミナティの間に燈色挟んで幸せ()…
[良い点] 過去のアステミル師匠、ただただうざかったのに、師匠との鍔迫り合いかっこよすぎ [気になる点] 未来では名無しとルミナティはエスティルパラメントに斬首打首にされたと書いてた記憶があります。つ…
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