騒乱の蒼嵐
「はっはっは!! なにがどうなってやがる!!」
ご機嫌のエスティルパメントは、横にした棺桶に座り込む。
「魔人が二体も!! いつの間に、一体、増えやがった!? 七椿、オマエが呼んだのか!? なぁ、おい!? 最高じゃねぇか!! わざわざ、このおれにブチ殺されるために湧いて出てきてくれたのかぁ!?」
「あいも変わらず」
アルスハリヤは、苦笑して肩を竦める。
「鎖の付いていない獣としか形容出来ない口の利き方だな、エスティルパメント・クルエ・ラ・ウィッチクラフト。
寝起きの僕の頭では、少々、その下品な声音は頭に響くよ」
「アルスハリヤ」
気を失っている弟子をもうひとつの棺桶に乗せたエスティルパメントは、真っ蒼な瞳を魔人へと向ける。
「てめぇ、誰の許可を得て墓から起き上がってる? あ? わざわざ拵えてやった墓石の下は、気に入らなかったのか? ヌビアで封印してやった時に、ヒエラティックで洒落た墓標を刻んでやっただろうが」
「やれやれ、何時の時代の話をしてるんだか……コレだから、月日の観念を持たないエンシェント・エルフの面倒を見るのは面倒だよ」
魔人とエルフの間で、目に見えぬ火花が散る。
その緊張感が極限まで高まった瞬間――俺は、両者の間に割って入って、笑いながら語りかける。
「両者、見合って見合って、はっけよいせずに話を聞いてくれ。
俺たちの敵は誰だ?」
「「三条緋路」」
「良い度胸だ、かかってこいやオラァアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアッ!!」
エスティルパメントの拳を食らって、アルスハリヤに蹴られた俺は、ずざーっと地面を滑ってから立ち上がる。
「よし、俺の尊い自己犠牲の下に落ち着いたな。
エスティルパメントさん……いや、エスティルパメント様、俺のことを憶えてらっしゃいますでしょうか?」
「あ? 誰だ、てめぇ?」
「貴女に命を救ってもらった月見蕎麦です」
「おれは、蕎麦の救い方なんて知らねぇ」
「はっはっは……さて、場も和んだところで、貴女様に提案があります」
俺は、笑みを浮かべたまま、藻掻き苦しむ七椿を指した。
「一緒に、ヤツを封印しま――」
鼻先。
咄嗟に仰け反った俺の鼻先を掠めて、棺桶が飛んでいき、凄まじい勢いで回転しながらエスティルパメントの下へと戻る。
「坊主、てめぇ、口上がかったるくてなげぇんだよ……おれは『一緒に』とか『連れ添って』とか『力を合わせて』とか、そういう類の友情ごっこに唾を吐き捨てて、粉微塵にするって決めてんだ」
エスティルパメントは、拳をボキボキと鳴らす。
「坊主は退いてろ。
現在から、おれは、ソイツらと遊ぶから逃げて良いぞ」
やっぱり、コイツと交渉するのは無理か……俺は、ちらりと失神しているアステミルを瞥見し、次いで、倒れ伏しているルミナティを見つめる。
ゆっくりと、両手を挙げて、微笑んだまま俺は後ろに下がった。
「では、ご随意に」
瞬間。
エスティルパメントの姿が掻き消えて、強烈な摩擦熱で生じた火焔は道筋を示し――アルスハリヤが、上空へと打ち上がった。
「エスティルパメントォオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオッ!!」
両眼から血を流しながら、七椿は光線を放とうとして――
「えぶっ!!」
その鼻面に膝が突き刺さる。
くるりと宙返りをした執行者は、五指の上に不可視の矢を呼び出す。
文字通り、視えず察せず避けられずの不可視を連射し、アルスハリヤの全身が穴だらけになった。
「ぎゃっはっは!! おらおらおらぁ!! てめぇら、魔人が二体も揃って、手も足も出ねぇのか!? おれを!! おれをもっと楽しませろ!! このクソくだらねぇ退屈を!! 掻き消すような高揚を与えてみせろッ!!」
アルスハリヤが、尊い自己犠牲精神で時間を稼いでいるうちに、俺はルミナティの下へと駆けていって脈を確かめる。
生きてる。が、瀕死も瀕死だ。
身体中の骨をへし折られたルミナティは、虫の息で、ひゅーひゅーっと喘鳴を上げながらぴくぴくと震えていた。
「ルミナティ!! ルミナティ、おい、聞こえるか!? 息魔の魔導書を俺に取り憑かせろ!! 主人を変えて、俺が、七椿に魔導書を取り憑かせる!! だから、おい、ルミナティ!! 返事しろッ!! 聞こえてるか!?」
ダメだ、聞こえていない。
こぽこぽと、口端から血泡を吹いているルミナティは、あらぬ方向に目を向けて何事かをつぶやいていた。
俺は、その口に耳を近づける。
「せん……せぇ……せん……せ……はなが……はな……さき……ました……よ……あ、あな……あなたの……なぞ……なぞは……わた……わたし……が……とく……から……せん……せぇ……」
ダメだ。
俺は、愕然として彼女を見下ろす。
今すぐにでも、手を打たなければルミナティは死ぬ。息魔の魔導書を俺に移すどころではない。ロザリーを救う前に彼女が死んでしまう。
必死で、俺は、彼女の傷を確かめる。
折れた骨が臓器に突き刺さっているのか、体内からの出血が止まらず、俺の応急処置では手が負えない領域にまで至っていた。
屍体から剥ぎ取った布切れを押し付けているが、湧いてくる血液は留まることを知らない。
どんどんどんどん、強まる雨と共に命が流れ出していく。
「アルスハリヤァア!! ルミナティは限界だッ!! 来てくれ!! 今すぐにでも、手を打たないと死ぬ!! アルスハリヤァア!!」
ころころと。
俺の下へと、なにかが転がってくる。
ぽてんと、俺の足に当たった生首は、見覚えのある瞳で俺を捉えていた。
「ほら」
真っ赤に染まったエスティルパメントは、アルスハリヤの胴体を泥中へと放り投げてから微笑む。
「ご注文通り、持ってきてやったぞ」
「…………」
ひとつめの棺桶に頭を押し潰され、ふたつめの棺桶に胴体を食い破られて。
ふたつの棺桶によって地面に縫い付けられ、自由を奪われた七椿は弱りきっており、体の良い的として用意されていた。
現在だ。
俺は、心中でささやいた。
俺が待っていたのは現在だ。現在しかない。エスティルパメントが、封印を施す瞬間、七椿を無力化したこの時、このタイミング、頭の中で思い描き待ち望んでいた絶好の機会。
だが、現在、息魔の魔導書は動かせない。
時間が……時間が必要だ。もう少しだけ。もう少しだけで良い。俺に時間をくれ。この機会をこの手に掴む時間を。
この時を――俺にくれッ!!
「てめぇ、なんで、魔人を呼んだ? 魔人とつるんでるのか? 人間が? あ? てめぇ、アレの眷属か?」
一瞬の隙を突いて、俺はアルスハリヤの生首を蹴り上げる。
「……なにしてんだ、てめぇ?」
「さっき、練習したんでね」
そう言って笑った瞬間、胸に十字の斬撃が走って血飛沫が上がり、激痛と衝撃と共に俺は倒れ込む。
「現在から、七椿を封印してくるから待ってろ。小僧をいたぶる趣味はねぇから、話を聞いた後にきちんとトドメを刺してやるよ」
「…………」
倒れた俺は、淀んだ瞳で血の水溜まりを見つめる。
遠く。
遠く、遠く、遠くへと。
エスティルパメントは歩いて行き――ヒロさん――泥の中を藻掻きながら、俺は、エスティルパメントの足を掴む。
「あ?」
俺は、痙攣の止まらない右手で、しっかりとその足を掴む。
そして、打撃が降ってくる。
ガンガンと、容赦なく踵で額を割られた俺は、脳みそごと意識が揺さぶられる。かち割られた頭から、大量の血液が漏れ出るが、俺は決してその手を離さずへし折れた指で掴み続ける。
――わたし、ロザリー・フォン・マージラインです
ぼやけた頭に浮かぶ。
――わたし、死ぬ前に恋をしてみたいです
この姿は、俺が思い浮かべているのか緋路が思い浮かべているのか。
――わたしの恋が
たったひとつ、わかっていることは。
――素敵なものになりますように
俺は、あの子のために、決してこの手を離さないということだ。
「……仕方ねぇ」
魔力が溜まる。
世界を照らすかのような、蒼白い光が俺の頭上に広がった。
「坊主、恨むなよ。悪いが、てめぇに足を引っ張られることに飽きた」
その魔力光は、緋路の肉体ごと俺を葬り去るために輝き――エスティルパメントは、その光を纏った足を振り下ろし――後方へと弾け飛んだ。
「前々から思っていましたが」
銀色。
蒼銀の輝きを抱いた彼女は、無銘の墓碑を担って現れる。
その切っ先には雨粒が止まり、降りしきる雨中で濡れた前髪の隙間から、蒼天の瞳が押し広げられる。
「強者には」
最強を冠するエルフ――アステミル・クルエ・ラ・キルリシアは、口端を曲げて言った。
「逆境がよく似合う」




