戦戦戦
「ばーかばーか、さんじょーひろのばーか!」
「バカですねバカですね、さんじょーひろのバカですね」
「開幕、罵倒なんだが」
金と銀に左右からバカにされ、俺は両手で顔を押さえて泣き真似をする。
「えーんえーんえーん、ひどいよぉ」
「ばーかばーか、さんじょーひろのばーか!」
「バカですねバカですね、さんじょーひろのバカですね」
「えーんえーんえーん、そんなこと言わないでよぉ」
「ばーかばーか、さんじょーひろのばーか!」
「バカですねバカですね、さんじょーひろのバカですね」
「えーんえ――」
「ばーかばーか、さんじょーひろのばーか!」
「バカですねバカですね、さんじょーひろのバカですね」
笑顔で無銘刀を振り回しながら、金銀の龍人を追いかけると、嬉しそうに悲鳴を上げたふたりが上空に逃げる。
「で?」
裂け目から湧いてきた龍人たちが、間断なく魔法を撃ち放ち、上空の七椿はその迎撃に追われている。
「翼の代価、おまぇの最も大事にしているモノは?」
そんな喧騒を横目に、オルゴォル・ビィ・ルルフレイムは、指輪だらけの指をじゃらじゃらと鳴らして催促してくる。
俺は、胸を張って答えた。
「仲間との……絆だッ!!(ドンッ!!)」
俺の顔面に、オルゴォルの拳がブチ込まれる。
もんどり打って倒れた俺は、ゴロゴロと地面を転がり爆笑している金銀コンビに足蹴にされる。
「ば、バカな……コイツ、少年漫画的文法が通用しないのか……恐るべし、オルゴォル・ビィ・ルルフレイム……!!」
「オレは、他者の財を掌中に収めるのが大好きだ。わかるか、若造。
この指輪も、この首飾りも、この右奥の金歯も……すべて、誰かから奪うか譲り受けたモノだ。だから、おまぇもオレに代価を与えなければならない」
「…………」
俺は、臍を噛む思いで手ぬぐいを懐から取り出した。
「ぁ? コレは、なんだぁ?」
「少女小説引いては、百合小説の元祖とも言える吉屋信子先生の直筆サイン入りの手ぬぐいだ。
知っての通り、吉屋信子先生の代表作たる『花物語』が少女画報誌で連載を開始したのは1916年のことだから、現在の彼女は無名の文筆家に過ぎない。だがしかし、この時期、既に彼女は上京しており、俺はミス・ルミナティ大先生の協力の下で彼女のことを探し出してサインして頂いた。
この手ぬぐいの価値が……お前にわかるか……ッ!?」
号泣しながら、手ぬぐいを渡した俺の顔を視て、オルゴォルの表情が見る見る間に曇っていった。
「……そうか」
「もう少しだけ……もう少しだけ、この身に身に着けていたかったが……約束は約束だ、あんたに譲るぜ、オルゴォル・ビィ・ルルフレイム……ルルフレイム家の家宝として、永遠に受け継いでいってくれ……」
「…………」
寄ってきた配下に手ぬぐいを雑に手渡し、オルゴォルは宙空の七椿を見上げる。
魔人は欠伸をしながら宙を滑っていき、ぱちんと指を鳴らした瞬間――大量の銅鏡が、天から降り注いだ。
咄嗟に、俺はルミナティを抱えて後方に跳ぶ。
オルゴォルたちも、また、次々と降ってきた鏡の雨を避けた。盛大な大音響と土煙を上げながら、円形の銅鏡は地面へと突き刺さり、表面に刻まれている魔法陣が蒼白に光り輝いて炸裂する。
眩む。
目が眩んだと思ったら、地上の怪異の数は倍に増えていた。
鏡像――鏡から這い出てきた怪異の鏡像たちは、質量を伴って牙と爪を振るう。
真っ黒な牛の頭を持つ蜘蛛がしゃかしゃかと動き回って、人間の胴体をその爪先で食い破り、真っ赤に染まりながら笑った。
俺は、迫りくる牛頭を持つ蜘蛛――牛鬼の頭を踏みつけて、宙を跳び、跳梁跋扈の只中へと刀身を振り下ろす。
宝石。
周囲にばら撒かれた宝石が、連鎖爆発を起こし、突っ込んできた金銀コンビは――
「「どーんっ!!」」
物言わず、跳んだ俺の足裏に左と右の脚を合わせる。
爆光を背に受けながら、納刀した七宝夜桜で水平線を引き――引き金――着地と同時、眼前に魔法陣が開き、振り払った蒼光が怪異を引き裂いた。
直後、背後からの殺気に刀を振る。
眼の前に飛び出してきた餓鬼の顔面に蹴りをめり込ませ、次いで、左に湧いてきた鵺の眼に折れた無銘刀を突き刺した。
混戦。
大量に湧き出した怪異たちを目前として、パニックに陥った人間たちは、必死に得物を振り回しながら怒号と悲鳴を上げる。
恐らく、後世の魔道触媒器の試作品である三十二年式魔銃付軍刀を振り回しながら、体格の良い軍人たちは怪異を切り払うものの、その特異性を活かせているとは言い難かった。
この三十二年式魔銃付軍刀には、握り手の上方に引き金と小銃口が付属しており、己の血を供物とした古流魔法を発動することで、無属性の魔法弾を小銃口から発射出来る。
だがしかし、この三十二年式魔銃付軍刀、まともに使えたものではない。10回、引き金を引いて1回でも魔法が発動すれば良いモノである。
試作品は試作品、見栄えが良いので腰にぶら下げて見栄を張っていたのだろうが、実戦で使用出来るほどの信頼性は確保出来ておらず、信頼性試験を実施すれば『不可』で真っ赤になる代物なのは疑いようがなかった。
結果。
急遽、実戦を迎えた軍人たちは邪魔な小銃口が付いた軍刀を振り回す羽目になり、中には銃口を石や地面に叩きつけて外し、ただの軍刀として用いる者も出る始末だった。
血、血、血。
俺は、がむしゃらに刀を振り回す。
後ろで縛った一本髪が宙空を踊り、大口を開けてルミナティに呼びかける。
「ルミナティ、行けッ!! アステミルが、エスティルパメントを誘導するッ!! 計画通りに息魔の魔導書をけしかけろッ!!」
「君はどうする!?」
「後で行く!! 先に行けッ!!」
主人の意を汲んだかのように。
急激に膨らんだ息魔の魔導書は、ルミナティのことを背に乗せて、物凄い速度で人と魔の垣根を飛び越える。
ソレを追おうとした天狗の背に、折れた無銘刀を投げつける。
見事にソレは突き刺さり、飛び立とうとした赤天狗は地面に落ち……いつの間にか、雨が降り出していた。
曇天の空から豪雨が降り注ぎ、あっという間に水溜まりが出来る。
耳朶を打つ土砂降り、泥濘に足を取られながら、俺は血と火と死の臭いを嗅ぎ続ける。
「鏡を壊せッ!! 地上に落ちた鏡だッ!! そこから湧いてきてる!! レイリーッ!! 鏡を狙えッ!!」
俺の指示通り、ずぶ濡れのレイリーは拳で鏡を叩き割る。
掻き集められた宥和派も主戦派も、生き延びることに必死で、血反吐に塗れながら柄で鏡を叩き壊す。
地を揺るがす、巨大な怪影。
大雨のカーテンの向こう側、天と地を埋め尽くすかのように巨大な餓者髑髏が姿を現した。
地に手と膝を付いた髑髏は、からからと歯を鳴らしながら、無造作に大砲を押し潰し掬い上げた生者と死者をまとめて口に押し込む。
火線が空を飛び、頭蓋骨に命中するものの、派手な音とは裏腹に傷ひとつついていない。
「ダメだ、怪異に火砲は通じん!!」
「盾にしろッ!!」
絶望に侵されて、逃げようとした軍人の襟首を掴み俺は叫声を浴びせる。
「砲を盾にして進めッ!! あの髑髏は俺が殺るッ!! 余ってる台車と砲を盾にして前に進めッ!! 怪異に通じないなら鏡を壊すことに弾を使えば良いッ!! ココを生き延びれば俺たちの勝ちだッ!!
お前らは、なんのために生きている!?」
雨。
火薬のせいで黒ずんだ頬を持つ人間たちは、びしょ濡れになりながら、萎えた面で俺を見つめる。
「ココを通せば人は死ぬッ!! 宥和派も主戦派も!! 手段は違えど、目的はひとつじゃないのか!? お前らにも護るモノがあるだろ!? それは、自分でも、親友でも、家族でも、恋人でも、財産でも、名誉でも、矜持でも、この国でもなんでも良いッ!! この雨を超えれば、晴れ間がのぞく!! 日の下で輝く!! 戦え!! 俺たちは呼吸している!! 生きている!!」
己の胸に拳を叩きつけながら、大量の水滴を髪から垂れ流し叫ぶ。
「ココを突破されれば、誰かが死ぬッ!! コレ以上、あの腐れ魔人に命を与えるなッ!! 俺たちは!! 俺たちの護るべきモノを護るために戦う!! 己の信念に問いかけろッ!! 自分の護りたいモノはなんだ!?」
徐々に。
血と泥で塗れた兵隊たちの顔に生気が戻ってくる。
「俺は……三条緋路は……たったひとり……たったひとりの女の子を護るために来た……その子の護りたいモノを護るために来た……この足で歩いてきた己の歴史を証明するために来た……自分らは……」
顔を歪めた俺は、喉と口を開いて叫ぶ。
「なにを護るために来たッ!?」
「私は」
雨に濡れたレイリー・ビィ・ルルフレイムは、口端から炎を上げながらささやく。
「半人半魔の未来を……子という名の財を護るために来た……そして……」
雨音の只中に、ささやき声が混じる。
「ただの一度も、私を疑わなかった少女のために……ただの一度も、半人半魔に石を投げなかった少女のために……ただの一度も、その少女に恩を返せなかった己のために……」
彼女は、笑う。
「この雨を晴らすために来た」
水溜まり。
その水鏡には、綺麗な龍人の笑顔が映り込む。
眼を見開いた人間たちは、豪雨の音に包まれながら――動いた。
「進めぇええええええええええええええええええええええええええええええええええええええええええええええええええええええええええええええええええええええええええええええええええええええええええええええええッ!!」
天地が、震える。
絶叫しながら、勢いを取り戻した人間の群れは眼前の敵を叩き潰し切り裂き轢き殺し、その波濤に呑まれた魔の軍団は初めて恐怖を見せた。
及び腰になった怪異たちを囲んで、破壊し、原始的な手段で再起不能にする。
餓者髑髏は、緩慢な動作で腕を振るい――
「盾ぇえええええええええええええええええええええええええええええええええええええええええええええええええええええええええええええええええええええええええええええええええええええええええッ!!」
咆哮と共に押し出された台車と大砲の壁に阻まれ、その動作は途中で止まり、血を雨で押し流しながら俺はその腕に飛び乗る。
「金、銀、来いッ!! 左方の連中は、火砲であの髑髏の注意を惹けッ!!」
上がる、上がる、上がる。
納刀した鞘を眼の前に構えながら、四肢を魔力強化した俺は、紫水晶の紫光線を描きながら一気に駆け上がる。
心の臓を揺るがすような。
火砲の音が響き渡り、髑髏の左頬骨に砲弾が直撃し煙が上がる。続いて、右胸骨に当たり、上腕骨頭が弾ける。
上がった火煙の只中を、納刀した絡繰刀を引っ提げて、ひとつの人影が疾走する。
風。
ぶわっと、煙が晴れて、視界が開いた俺は跳ね跳ぶようにして頭上を目指す。
髑髏は左の腕を振るい、ソレを受けた俺は宙空へと落っこちて――金が受け止め、再度、跳んだ俺は元の箇所に戻り、飛んできた指を跳んで躱し、空中で待っていた銀が印を結んで俺の身体を巻き上げる。
跳ぶ。
金と銀。
印と法。
刀と光。
交互に、テンポ良く、金と銀を踏み台にし、腕から空中へ、空中から腕へ、繰り返しながら俺は頭蓋骨の頂点に辿り着いた。
天。
金と銀の翼で、上空へと飛び上がった俺は、宝石をセットしながら連続で引き金を引き――溶け落ちた紅玉、蒼玉、黄玉、緑玉、金剛石、紫水晶――七宝は、桜花の燐光を描き、曇天の闇の下に桜が咲いた。
「レイリィイイイイイイイイイイイイイイイイイイイイイイイイイイイイイイイイイイイイイイイイイイイイイイイイイイイイイイイイイイイッ!!」
小瓶の口を開き、魔法陣を描いて。
レイリー・ビィ・ルルフレイムは、牙を剥き出し空を見上げて笑った。
「合わせろォオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオッ!!」
落ちる、落ちる、落ちるッ!!
急速に落下した俺は、風切り音を鳴らしながら抜刀する。
「「ォ、ォ、ォオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオッ!!」」
一気に墜落した俺は、七光に包まれた刀身を振るい落とし――レイリーは、直下から渦巻く炎弾を叩きつけ――金と銀は、髑髏の口の中に大量の宝石を投げ入れた。
上顎と下顎。
光刀と炎弾は、見事にソレを噛み合わせて――大量の宝石が砕け散る。
「「KEN」」
双子の龍が、互いの手と手を組み合わせて印を結び――凄まじい勢いで、炎柱が吹き上がる。
穴という穴から、赤黒い地獄の業火を噴き出した巨骨は、どろどろに溶け落ちて地に沈んでいった。
歓声が上がる。
涙を流しながら、生き延びた歓喜に震える人間たちの讃歌が響き渡り、骨の上を滑り落ちた俺はレイリーの下へと向かう。
無言で。
すれ違いざまに、手と手を打ち鳴らし、俺たちは逆方向へと向かっていく。
真っ直ぐに、俺は、魔人の下へと駆けていった。