重なる逢瀬と切られる火蓋
息魔の魔導書は、魔力を吸い込み吐き出す。
マージライン家の忠犬、『オフィリーヌ』の姿をした魔導書の本体は、取り憑いた対象の魔力を吸うことで増殖する。その増殖数には限りがなく、増殖した魔導書の分身体は対象から吸った魔力を吐き出し続ける。
魔導書の本体は、自身が受け付けられる最大量の魔力を吸い込んだ瞬間に『核』となる。
核となった魔導書は、増殖をやめて、分身体からの魔力を吸い込み吐き出し……呼吸する。その呼吸の最中に核が破壊された場合、魔導書は今までに吸い込んだ魔力を持ち主へと返却する。
要するに、この息魔の魔導書は魔力の貯蔵庫だ。
各地に己の魔力を魔導書の形で分散保管し、いざという時に魔力を返済させることで、本来の自分では持ち得ない量の魔力を解き放つことが出来る。
体内で魔力を保持出来る量には限界がある。
アルスハリヤを受け入れる(というか、強制的に棲み着かれる)前の俺も、魔力の保持量が少なかったゆえに、行使出来る魔法が限られていたし、魔力切れで死にかけたこともあった。
だからこそ、オルゴォル・ビィ・ルルフレイムや金や銀たちは、魔力を裡に溜め込む性質のある宝石を破壊し、その中に籠められている魔力を解放し活用する古流魔法を用いていた。
宝石とは異なり、息魔の魔導書は分割して保管出来る上、その裡に籠められる魔力量は想像を絶する程だ。
魔導書にしては珍しく、人間にとって有用なモノだ。
自身が死なない程度に魔力を吸わせ続けて、各地に分身体を保管し、必要となった時に核を破壊して膨大な量の魔力を解放する。研究開発に途方もない量の魔力を必要とする魔法結社なんかで、応用して扱われそうな魔導書だ。
だが、この息魔の魔導書は、魔術演算子の塊……つまり、魔力で象られている魔人にとっては相性が悪い。
なにせ、魔人は魔力そのものだ。
魔人を象っている魔力には、記憶やら人格やら精神やら、大事なそれらが入り混じっており一個の個体を形成している。それらを一気に魔導書で吸い取られ、各地に分散されてしまえば、空気中の魔力で肉体を取り繕うことが出来ても大事な中身は失われてしまう。
――あの魔導書のせいで、妾は妾ではなくなってしまった
だから、万鏡の七椿は、現代で別人のようになってしまっていたのだろう。
恐らく、アレでも、現代の七椿は分身体を幾つか回収し回復した後の姿なのだろう。
自身を形成している魔力を一気に吸い取られれば、下手すれば廃人となり、空気中の魔力で補填出来たとしても魔力切れの症状に悩まされる筈だ。
魔力切れ……要するにコレは魔力欠乏症のことで、皮肉にも、七椿は魔力欠乏症に纏わる虫螻たちの手で同じ苦役を受けることになった。
魔力欠乏症。
体内の魔力が一挙に失われることで、体内で魔力の補助を受けていた器官の機能低下が症状として現れる病のことだ。
この世界の人間は、魔力が存在する世界を生きており、体内には常に魔力が巡り身体機能の補助を行っている。
そのため、体内器官の中には、その機能の一部を魔力に補わせていたり、もしくは生前から不調だったものの表象には出ていなかったものもある。
それらの補助を受けていた器官が、体内から魔力がなくなることで上手く働かなくなり、症状として表象化するのが魔力欠乏症だ。
無茶な魔法行使による魔力切れ程度であれば、安静にしておけば回復するものの、ロザリーのように空気中から魔力を取り入れることが苦手な人間はそうもいかない。
普通の人間にとっては、十分な魔力量が備わっている空間でも、ロザリーにとっては死地にも等しく……少なくとも、彼女が生きていける環境はこの地球上に存在しない。
ロザリー・フォン・マージラインは、魔力欠乏によって心臓の機能が低下しており、心不全の症状が表れていた。血液不循環によって肺の血管に血液が溜まり、喀血まで引き起こしている。
このまま、なんの為す術もなく見守れば――彼女は死ぬ。
魔力欠乏症の症状は多岐に渡り治療方法も異なるが、最も有効な手立ては何らかの方法で魔力を外部から取り入れることだ。
例えば、魔人から吸い取った魔力を生命維持装置へと変えて、肌身離さず身に着けるとか。
――魔導書の養殖だ
ルミナティ・レーン・リーデヴェルトは、魔人を生命維持装置へと変えて、魔力欠乏症の治療方法が見つかるまでの繋ぎとした。
恐ろしいことに。
彼女は、魔人の命を人間の命を繋ぐための糧にしようとしていた。
――この世において、命ほど平等なものはない
万鏡の七椿の言う通り、ルミナティは命を平等に取り扱うことにしたのだろう。
魔人だろうがなんだろうが、ひとつの命を救うために生贄の祭壇へと捧げる……そんな気迫が、彼女には備わっていた。
107年後。
息魔の魔導書は、107年後、七椿から吸った魔力を吐き出し終える。
そこまで逃げ切れば、ルミナティ・レーン・リーデヴェルトの企みは成功し、霧散した魔力を七椿が取り戻す機会は失われる。
107年間、数多の魔導書の分身体の中から、核を見つけ出されなければ俺たちの勝ちだ。
ただし、息魔の魔導書を用いたこの封印劇……後にカルイザワ決戦と呼ばれるこの戦いは一筋縄ではいかない。
――カルイザワ決戦で、ルミナティ・レーン・リーデヴェルトと三条名無しが魔人側に付いたから
生贄の祭壇に捧げられたのは。
――そして、彼女らはふたり仲良く、エスティルパメント・クルエ・ラ・ウィッチクラフトに首を撥ねられた
果たして、万鏡の七椿だけなのだろうか。
「……ヒロさん?」
物思いに耽っていた俺は、顔を上げ、物置小屋の外からこちらを窺っているロザリーへと視線を向ける。
「どした?」
彼女は、躊躇いがちに姿を現した。
整えられた金色の髪は艶めき、陽光を受けて煌めいている。カチューシャを着けた彼女は、純白の手袋を着け、少しだけ丈の短いクリーム色のワンピースを身に着けていた。
普段の着物姿とは異なる洋服姿。
照れているのか、スカートの端を両手でぎゅっと掴み、彼女はおずおずと上目遣いでこちらを窺う。
「あ、逢引きしに来ました……」
「…………」
誰に焚きつけられたのかは明白で。
ロザリーの背後に隠れている半人半魔の従者たちは、きゃーきゃー言いながら事態を見守っている。
最早、逃れ得ない運命にあることを知っている俺は、キザな笑みを頬に浮かべて足を組み、人差し指を彼女に突きつけた。
「ロザリー、こういうのは」
俺は、ぱちんと指を鳴らす。
「デートって言うんだぜ?」
「「「…………」」」
きゃーきゃー言えよ。
「仕方ねぇ、将来的にあんたが運命の女性に出会った時、困らないように手ほどきってものをしてやりますか」
「はいっ!」
ロザリーは、嬉しそうに満面の笑みを浮かべる。
俺は、ロザリーを伴って、物置小屋を出ていこうとし――凄まじい悪寒――こちらを親の仇のように睨めつけ、舌打ちをし、現在にも俺を縊り殺しそうな顔をしたふたりの従者がプレッシャーをかけてくる。
「ろ、ロザリーさん……あの、服、似合ってますね……か、可愛いですよね……」
「……恐縮です」
ロザリーははにかみながら俯き、俺は、周囲にアルスハリヤがいないか確認した。
「わぁ! 良かったですね、お嬢様!」
「折角、おめかししたんですものね、褒めてもらえて良かったですね!」
従者のふたりは、歓声を上げ――その目には、涙が浮かんでいた。
「よかったですねぇ……よかった……お嬢様はとても可愛らしい御方だから……ずっと……ずっと、お洋服が似合うと思っていました……」
「お相手が男の方だなんて、お嬢様らしいです……誰にでも別け隔てなく接する御方だから……お嬢様は……お嬢様は、人を視てらっしゃるんですものね……だから……わたしたちは……」
笑いながら、彼女らは嗚咽混じりにささやく。
病で伏せることが大半で、まともに外にも出られず、婚約者にすら見捨てられた彼女の晴れ姿に感極まったのだろう……ロザリーの命が尽きようとしていることを、彼女らは知っているのだ。
そんなふたりの姿を視て、ロザリーは悲しそうに微笑む。
だから、俺は、笑いながら――声を張り上げる。
「おい、乙女たち」
ふたりの従者は、怪訝そうにこちらを見つめる。
「これから、涙が枯れるくらいにお嬢様の晴れ姿を見せてやるよ。
だから、そこで笑ってな。全快したお嬢様の御髪と衣装は、あんたらに任せるから素晴らしいプロデュースを頼むぜ」
「「……はい?」」
「ロザリー」
俺は、顎で外を指して笑う。
「三条家の名にかけて、なかよし作戦の開始を宣言いたします」
ロザリー・フォン・マージラインは――花開くように笑った。
「承認しますっ!!」
「シャァッ!! 付いてこいや、小娘ぇ!! 百合ゲーで培ったHow to Loveをたらふく教え込んでやるわッ!!」
俺とロザリーは、意気揚々と歩き出し、呆気に取られていた従者たちはゆっくりと笑みを浮かべる。
こうして、俺とロザリーは悲喜こもごもの逢瀬を交わし、その舞台裏で歴史の川は流れ続け――
「万鏡の七椿が来る」
カルイザワ決戦の火蓋が切られようとしていた。




