What soon
「……違う」
ロザリーは、我が眼を疑うかのように目を擦る。
「叔母様じゃない……貴女は……」
「葬式以来だね。
いえ」
鹿撃ち帽を脱いで、ルミナティは髪を掻き回す。
羽織っていたインバネスコートを外そうとしていた彼女は、その手を止めてから、代わりに微笑を浮かべた。
「お元気でしたか?」
「……ルミナティさん」
鹿撃ち帽が差し出され、ロザリーは震える手でソレを受け取る。
「叔母様の……ですか……?」
「えぇ、彼女から頂きました。私の都合の良いように言わせて頂けるのであれば『受け継いだ』。
個人の裁量で恐縮ながら、現在のわたしは『名探偵』を名乗らせて頂いています」
別人のように。
いや、別人を装っていた彼女は、本来の『ルミナティ・レーン・リーデヴェルト』として、彼女の末裔である『クロエ・レーン・リーデヴェルト』を想起させる話し方で、ロザリーと向き合っていた。
「粉骨砕身、彼女に成りきっていたつもりでしたが露見してしまいました。
予想外の方向から、名探偵さんの手で暴かれまして」
ルミナティは、微笑む。
「謎解きをお願いしても?」
「俺にとっては、違和感だらけでね……どこぞのルルフレイム家もそうだが、俺の知ってるリーデヴェルト家はもっと生真面目な性格をしてた。
確信したのは、マージライン家の邸宅で、ロザリーの叔母に彼女の親友が捧げたメモ書きの内容を聞いた時だ」
「叔母の……『偉大な頭脳にとっては、些細なものなどありえない』ですか……?」
俺は、頷く。
「『偉大な頭脳にとっては、些細なものなどありえない』……アーサー・コナン・ドイル『緋色の研究』の作中で、シャーロック・ホームズが口にするセリフだ。
そして、この大正二年に日本で『緋色の研究』を保持して読んでいる人間は限られる。頭の中に浮かんできたのは、ルミナティ・レーン・リーデヴェルト、あんたが事務所で『緋色の研究』のページをめくる姿だった」
「確かに、『緋色の研究』は書物の蒐集家だった叔母が大事にしていた本です……ヒロさん、凄い……ただでさえ、日本では希少な本だというのに……その一節すらも頭に入っているなんて……」
「シャー○ー・ホームズと緋色の憂鬱」
「はい?」
早口で、俺はささやく。
「シャー○ー・ホームズと緋色の憂鬱という、シャーロック・ホームズ、ワトスンも含めた主要な人物が女性化した小説が存在する。俺は、この作品を百合小説と定義しており、続刊も出ているので百合ホームズシリーズと銘打っている。
そして、俺は、元ネタは隅から隅まで履修するタイプのキモオタでね。元ネタの一節を暗誦する程度はお手の物。百合の真理に到達するためであれば、苦労は惜しまないんだ」
「…………」
「…………」
「本筋から少々ズレたな、話を戻そうか。
ハヤカ○文庫の百合小説と言えば、濃厚なSF要素も味わえる○インスター・サイクロン・ランナウェイを上げる人間が多いかも知れな――」
「ヒロさん、自ずから大脱線しております。
残念ながら、元の走路はそこではありません。お空の上に線路が敷かれています。地上に戻ってきてください」
「失礼、デコンパとツイスタの夫婦愛に酷似した関係性の考察と百合SFアンソロジーについての概論は後に回そう」
知れず、口角が上がっていた俺は咳払いをする。
「当然、『緋色の研究』を読んでいたからと言って、ルミナティ・レーン・リーデヴェルト、あんたがロザリーの叔母の親友であるとは限らない。
そこを結びつけたのは、マージライン家の庭園に現れた人影だった……アレは、あんただろ、ルミナティ・レーン・リーデヴェルト?」
「視られてましたか」
所作振る舞いすら変わって。
立ち姿すらも変わったルミナティは、どこぞのご令嬢のように柔らかな笑みを浮かべて拝聴の姿勢を取る。
「庭園の人影……レイリーが捕まえようとして、ヒロさんが止めた時ですか?」
「あぁ。
ロザリー、あんたが調子を崩したことを察知して、居ても立っても居られずにルミナティは様子を見に来ていたんだよ」
「ふふ、シャーロック・ホームズ顔負けではないですか。
しかし、若きホームズ、わたしは貴方に顔を視られた覚えはありませんよ。なぜ、庭園に現れたのが私だと確信したのですか?」
「三条緋路だよ」
ルミナティは、顎に指を当てて小首を傾げる。
「あんた、俺が七椿討伐戦の戦場からロザリーに救い出された後、マージライン家の屋敷から逃げ出した時に見計らったみたいにして俺の前に現れただろ?
そして、あんたは、三条緋路がロザリー・フォン・マージラインに恋い焦がれていたことを知っていた……このふたつの事実から導かれる答えはひとつ……あんたは、三条緋路と同じように、塀の外からロザリーを見守ってたんだよ。
だから、俺がマージライン家の屋敷から逃げ出した後に先回り出来たし、三条緋路が塀の外からロザリーを見守っていたことを知っていた」
「驚嘆を禁じえません。
彼女と同等、いや、それ以上に頭が回る」
「俺、百合IQ180、ね」
ニヤつきながら、トントンと、自分の頭の横を叩いた。
そして、気配を感じる。
凄まじい悪寒と共に嫌な予感がよぎり、俺は、勢いよく後ろを振り向く。
俺の背後で、顔を真っ赤にしたロザリーは、あわあわと口を蠢かしながら顔面を両手で覆い隠そうとしていた。
「ひ、ヒロさん……そんな、あの、こまります……わたしのことを想っていただなんて……そんな……わたしのこと、好きにならないと思ったのに……や、やだ……いけません……こまります……やだ……」
「…………」
わからない。
百合IQ180の俺が一分の隙もない推理を披露して百合を護ろうとしたにも関わらず、女の子が男の子の前で恋愛オーラを纏って、ハートマークを飛ばしながらニヤついている意味がわからない。
「…………」
俺の百合IQが高すぎるのか……?
口をだらしなく開いて右上を見つめ、宇宙の神秘について想いを馳せていた俺は、正気を取り戻して表情を引き締める。
「点と点が繋がって、俺は、あんたの正体に勘付いた。
そうすると、なにもかもが様変わりして視えてくる……随分と大事にしている『緋色の研究』、保管するために積まれているようにしか視えない本の山、用途不明の藁太郎とカエル男爵、妙に達筆な『名探偵』と書かれた紙の三角柱……コレら、すべてが遺品で、ルミナティ・レーン・リーデヴェルトが、現在は亡き友の死臭を帯びていると考えればしっくり来る」
ルミナティは、柔らかな微笑を浮かべる。
「『死臭を帯びた人間は、最期に美しいモノを見に行くのさ』……あんたにとっての美しいモノっていうのは、あの事務所そのものだろ?」
「だから、貴方は、私の筆跡を照会するために『名探偵』と書いてみるように迫ってきたというわけですよね。
では、私と貴方の間に最後の謎を架けましょう――大圖書館から息魔の魔導書を盗み出した悪逆無道の探偵もどき、ルミナティ・レーン・リーデヴェルトの犯行動機は?」
真っ直ぐに。
俺の人差し指は、ロザリー・フォン・マージラインを指した。
「魔力欠乏症の解決」
ルミナティ・レーン・リーデヴェルトは、苦笑して鹿撃ち帽をかぶり直した。
「助手にすべて解き明かされたら、探偵は一体どうすれば良いと言うんだい?」




